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新寺構遊歩道

今さらながら夏~初秋の弘前の話題。場所は弘前公園土手町から少し足を伸ばした一角。
弘前大学医学部の脇、あるいはホテルドーミーインと、五重塔がある最勝院の間を結ぶ道路(青森県道28号線)は、あまり通りたくない道であった。先日記事にした秋田市保戸野の秋田県道のボトルネック区間と同じように。
ここは道幅が狭く、谷のような地形になっていて、五叉路もあるという場所。カーブもある一方、100メートル強の直線の区間もある。西側が南塘町、東側が桶屋町。

2013年度(供用は2014年春から?)にこの辺がちょっと変わったという話を聞いていたが、やっと現地を訪れることができた。
実はこの直線の道路がある部分は、もともとは弘前城築城直後に造られた、城の防御の役目をするため池の堤(土居)の跡で、国指定史跡なんだそう(「弘前城跡」を構成する1つという位置づけか)。
池は「南溜池」もしくは「鏡ヶ池」と呼ばれ、明治時代に埋められた。今、道路がある堤は「南溜池土居」。それらを合わせた防御施設としては、近くに新寺町があることから「新寺構(しんてらがまえ)」。
※禅林街の「長勝寺構」も防御施設であった。
【12月5日追記】五重塔の隣にある県立弘前高校の同窓会組織の名称は「鏡ヶ丘同窓会」なんだそうだ。学校の立地が、鏡ヶ池の近くの丘だから鏡ヶ丘という由来なんだとか。
余談だけど、秋田県内では、あげまき会(秋田北高)、美入野会(横手高)と、愛称がある同窓会では「同窓会」の言葉を入れない愛称とするのが一般的なので、それに従えば弘高は「鏡ヶ丘会」で良さそうなのに。やはり県が変われば違うということか。

この堤を西端にして細長い池があり、池だった部分は現在は寺沢川弘前大学医学部の「南塘グラウンド」になっている。
医学部裏手の寺沢川沿い~五叉路付近は、高低差が激しい不思議な地形に感じていたけれど、こういう経緯によるものなのだろう。
(再掲)寺沢川沿いの道。左が南塘グラウンド、奥の左右が県道。昔はここが池の中だったのだろう

3年前に変わったのは、弘前市教育委員会が新寺構に遊歩道を整備したこと。4336万円、長さ175メートル。遊歩道自体の名称は特にないようだ。
南・最勝院側から現地へ。
この左下が池ということになる
新寺構についての知識がなかったから、てっきり池のほとりの跡とか、県道とは別の位置に遊歩道ができたのかと思っていた。
そうではなく、県道と完全に並行な遊歩道だった。県道の東側なので、池の反対側・堤の外側。【8日追記】見かけとしては「県道に新たな歩道が拡幅された」形だが、実際には道路本体と遊歩道で設置・管理者が異なることになる。

なお、県道の西側には、従来から歩道があったが、道路外には木が茂っているので、かつて池だった部分を眺めるのはあまりできなかったはず。何よりも、五差路のところではその歩道がなくなっており、だから危なくて通りたくなかった。
左が医学部、正面がドーミーイン
遊歩道には、新寺構を説明する看板やベンチ6基が設置。車道との間には分離帯的な芝生が設けられ、道幅も充分で、快適かつ安全に歩くことができる。
振り返ると左に五重塔
池と逆の東側も斜面になっていて、下の土地は低い。そこには家が建ち並ぶ。
弘前駅方向が見渡せ、これまであまりなじみがない光景ではあるのだけど、その手前のお宅をのぞいてしまうようで、じっくり見るのは気が引ける。(だからベンチが西向きなのかな?)
北端の五叉路
遊歩道北端では、五叉路の横断歩道にうまく接続する。五叉路の先は相変わらず歩道がない狭い道だけど、遊歩道を通れば、五差路のいちばん危なそうな部分は避けられると思う。
新寺構側向きの指定方向外進行禁止標識はこんな形

五差路から振り返って南方向。右奥が池跡のグラウンドでがくんと低くなっている
北端と南端は、既存道路との接続部が緩い坂になっている。手すり付きのスロープも設けられていて、特に南端はぐるりと遠回りのスロープ(上のほうの写真参照)。大した勾配ではないように感じるけれど、必要とする人がより楽に利用できるための設備なんでしょう。

ところで、遊歩道ができる前、ここはどうなっていたっけ? 歩道はなかったと思うけど。
2013年5月撮影Googleストリートビュー
そうでした。竹垣で囲われた草地(?)だった。おそらく20年前で既に。
工事予定地として、市が確保していたのだろう。
それにしても、県道は路肩に電柱がでーんと立ちはだかっていて、気安く歩ける場所ではなかったのが分かる。

考えてみれば、堤として現役だった頃は、全幅がこんな感じだったのかな。(堤自体の幅=今の遊歩道+県道であって、全体の幅は往時と変わってないってことなんでしょうかね)
県道を造る時、どうして全幅を道路にしなかったんだろう。昔は家が建ってでもいたのだろうか。
江戸時代のことよりも、その後、現状になるまでの変遷に興味がある。


まあ、観光客も多い最勝院、弘前高校も近いので、歩行者・自転車の通行が多い道路だから、遊歩道ができたのは妥当。変化は時代の流れということでしょう。

気になるのは、冬の積雪期の除雪。坂だし、開けていて吹きさらしだし。
道路は青森県が除雪する。遊歩道は別に弘前市が除雪しているんだろうか。ロードヒーティングは制御盤が見当たらなかったから、ないと思う。それとも積もるに任せて実質冬季閉鎖
雪に埋もれるのなら、ちょっともったいないし、県道部分だって歩行者空間は雪が残っていそう。冬だけは相変わらずのあまり通りたくない道のままかもしれない。


なお、2015年に土手町の中央弘前駅~蓬莱橋の間の土渕川沿いにできた歩行者用通路のことが思い浮かんだ。土渕川は、県と市の共同事業で、長さは新寺構と同じくらいか。新寺構のほうが、勾配が緩く幅が広くゆったりしている。【8日追記】新寺構の遊歩道は県道と並行するのだから、ここも県と共同でやれば、工事や管理が効率化できそうだけど、そう簡単な話でもないのでしょうね。