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金八先生'95のスタートライン

30年前・1995年は、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件Windows95発売、個人的には大学入学と、印象深い年であった。
その1995年の10月12日から半年間放送されたテレビドラマがあった。
【12月9日追記・余談だが、同じ1995年度後半には、テレビ朝日水曜21時に柴田恭兵主演「風の刑事・東京発!」が放送。秋田県大久保駅も舞台となった。この記事で少々。】

TBS系「3年B組金八先生」第4シリーズ。
金八先生は、連続ドラマ8シリーズと単発ドラマを合わせて、1979年から2011年まで放送された。32年間だが放送がない年もあったわけで、Wikipediaによれば学年としては19学年分。

1995年に金八先生が始まると知った時、「久しぶりだな」と思った。というか、完結済みでもう制作されない番組だと思っていたかもしれない。ここが32年間の中で、いちばん間隔が開いた時期であった。
連ドラの前作・第3シリーズ(桜中学ではなく松ヶ崎中学が舞台で、1クール3か月放送という異例作)は、1988年放送だから、7年ぶり。
単発の直近作を入れても、1990年に1作(松ヶ崎中)だけだそうで、5年ぶり。【11月18日追記・この時期の武田鉄矢といえば、1991年「101回目のプロポーズ」。】

ところで、金八先生は我が国学園ドラマの代名詞であり、特に昭和に放送された初期シリーズは、いろいろと語り草になっている。
だが、僕はそこまで思い入れはない。放送開始時に2歳で、最初期は幼かったことも理由だが、それより大きな理由が2つあると思う。
1つは、上記の空白期間と、自分の中学生時代(1989~1991年度)が重ならず重なり【18日訂正補足・つまり自分の中学時代にシリーズの放送がなく】、感情移入できなかったこと。
もう1つは、大学入学以前を過ごした秋田ではTBS系列局がないため(当時はケーブルテレビやネット配信もなく)、放送時間が変則的【16日補足・午後早く~夕方の放送の印象】で話題になりづらく、要はさほど盛り上がらなかったのではないかと思われること。
【11月6日追記】秋田市にも「桜中学」がある。城東中学校から分離した、1998年開校の秋田市立桜中学校。
高校生だった1993年度には、すでにその校名が決まっていたか噂になっていたかしたようで、桜中学区(となるエリア)在住の同級生が、「桜中なんて、金八先生みたいだ」と嫌がっていた。秋田でもそれなりに金八先生の内容は知られていたことになろう。(以上追記)

なお、Wikipediaによれば秋田テレビが放送していた記載があるが、一部は秋田放送で放送されたシリーズもあったような気がする。姉妹編の「2年B組仙八先生」「3年B組貫八先生」も見た記憶がある。「1年B組新八先生」は秋田テレビで放送したようだが、記憶はない。
2000年代以降の末期になると、秋田ではどこの局でも放送しなくなってしまった。


そんなわけで、1995年の金八先生は、僕にとっては、自分より年下の生徒たちで、夜の時間帯【16日補足・いわゆるゴールデンタイム】に放送されるのを見る、初めての金八先生であった。
「金八」の名は、金曜日の8時(20時)から放送されたのが由来だそうだが、第3シリーズでは月曜21時(月9だったのか。同時期のフジは「君が嘘をついた」)、この第4シリーズでは木曜21時となった。

金八先生側でも、空白期間を経て、いろいろ変化があった。
シリーズとしては平成初。【10日補足・第3シリーズは、放送途中で昭和から平成に変わってはいる。】
坂本金八は1950年生まれの設定だそうなので、1990年の特番時に40歳になったばかりで、本作では45歳(武田鉄矢は46歳)。その間に妻を亡くした。さらに松ヶ崎中から文部省(当時)へ異動(出向?)していて、本作冒頭で桜中へ赴任。

金八先生の主題歌は「贈る言葉」が有名だが、連続ドラマではシリーズごとに、違う歌が作られる。
武田鉄矢の属する海援隊は、1982年でいったん解散したため、第3シリーズの「声援」は武田鉄矢のソロだった。1994年に海援隊が再結成したため、本作は再び海援隊名義(後述)。
なお、音声は本作からステレオ放送。

TBSのロゴマークは、1991年までは直線的な筆記体、その後「ミクロコスモス」と呼ばれるポップなロゴになるも短命に終わり、1994年から落ち着いたローマン体のロゴになった(2020年まで使用)。金八先生は、ミクロコスモスを飛ばして、本作からロゴが代わったことになる。
TBSの社屋も1994年に新しくなった。

作風も、それ以前と比べるといくらか変わったようだ。
僕は初回~中盤は毎回見ていたはずだが、中身はあまり印象にない。それに終盤~最終回の頃は大学の春休みで秋田へ帰っていて、秋田テレビが遅れてそれを放送した頃には、僕は弘前へ戻っていたはずなので、結局見ていないと思う。だから、ドラマの中身については、言及しません。


第4シリーズで忘れられないのは、主題歌「スタートライン」。作詞:武田鉄矢、作曲:千葉和臣、編曲:若草恵。
主題歌が流れるオープニングの映像に話がそれる。荒川の土手を、様々な人々と交わりながら通勤する金八(もしくは他の○八)は、このシリーズの大定番。幼少の頃になんとなく見覚えがあるものを、初めてはっきりと見られて、感動した。
実は、シリーズによって、カット割りが違ったり、土手以外のシーンもおりこまれたりする差異はある。例えば、1980年の第2シリーズではワンカメラでズームした、カットなしの長回しで、生徒は女子3人【15日訂正・男子3人も登場していた】が横切るのみ。
※TBSでは、見逃し配信サイト(TVerとTBS FREE)で、過去の金八シリーズを期間限定で無料配信してくれている。現在は第1シリーズと第2シリーズが見られるが、それ以降もいずれ見られるだろうと期待【実際に配信してくれた】。

スタートラインに話を戻して。
はてなブログでは、一般社団法人日本音楽著作権協会JASRAC)と包括的利用許諾契約を結んでいるので、堂々と歌詞を部分掲載させてもらえる。
曲は明るく軽い感じ。歌詞も重くはないのだが、金八先生としては意外で異色なもの。
初回に聞いた時なのか、何度か聞くうちなのか忘れたが、はっとさせられ、共感した。

歌い出しは「夜明け前の薄暗い道を誰かがもう走っている」。
「寒い身体(からだ)を言い訳にして町は眠ってる曇り空の朝に」。
荒川堤防の道や、どんよりとした冬の朝を連想させられる。【15日追記・雪国で生まれ育った者としては、雪が積もる前の初冬の感覚か。弘前で初めて迎える冬(秋田と大きな差はないけれど)に対する、引き締まった気持ちみたいなものがよみがえってくる。】

その後続いていく詞の中に、他の金八7シリーズ、仙八、貫八の主題歌では歌われているのに、スタートラインには出てこない言葉がある。

「あなた」もしくは「君(きみ)」の二人称。なお、新八の「重いつばさ」にも出てこない。
金八の他の主題歌は、二人称視点というか主観的なストーリー。
ところがスタートラインは、「誰か」を客観的視点で描写している。まずはこれが大きな違い。

さらに、他の主題歌では、すべてで明確に言っているわけではないが、「愛」や「恋」が出てきて、それを肯定的なものとして扱っている。
ところがスタートラインでは「今 私達に大切なものは恋や夢を語り合うことじゃなく」と、否定。
大切なのは「一人ぼっちになる為のスタートライン」と歌う。3番では「必要なものは光り溢れる明るい場所じゃなく」「闇に向かって走り出す為のスタートライン」。
2番、3番も含めて、人知れず孤独に生きる人を見つめる。
【12月12日追記・僕は当時から2番以降の歌詞も知っていたはずで、どこで覚えたのか不思議だった。配信で確認すると、第1回など一部の回では、エンディングで2番や3番が流れることもあり、そこで覚えたのだった。】

他人と関わり合いになるなとか、自分勝手に生きろという意味ではないだろうが、特に当時の中学校の教育やドラマの中身とは相容れない詞に思えた。
だが、他人に流されずに、この先の孤独や困難を恐れず、自分のことは自分で決めろとか、自分の芯を持てとか、そんなメッセージが込められているのではないかと感じた。バブルが崩壊し、世紀末へ向かう時代を暗示しているようにも受け取れる。

どちらかといえば孤独な僕としては、それでいいのだよと言われた気分になった【9日追記・都合のいい解釈かな。あるいは「最後は自分」だから、自分を忘れるなということか】。ただ、それから30年経ち世の中もさらに変化して、スタートラインから走り出したのか、走り続けているのか、現在地は分からない。