秋田市中央地域にある、みどり町公園こと保戸野鉄砲町街区公園にあった電話ボックス(公衆電話)が廃止されたことを記事にしていた。
電話機は2025年11月上旬頃に撤去されたが、電話ボックス自体はまだ残っていた。そのボックスも、12月13日から19日の間になくなっていた。
奥の白い柵の右にあった
意識しないと、電話ボックスがあったこと、なくなったことには気付かないだろう。
撤去跡には砂が入れられ、平らに固められていた。
犬の足跡
今回は、ここにあったボックスや電話機について。
郵便ポストでは、愛好家がけっこういて、形式の説明や珍しいものの情報が、それなりにネットで得られる。しかし、ポストと同じく、元は国(または国の公社)が設置したもので、かつては通信手段として欠かせないものであり、全国どこにでもあるといった点で通ずる点が多い公衆電話・電話ボックスについては、そうした情報は少ない。
僕も、あまり興味を持たないでしまっていた。昭和の昔は、電話帳の最後のほうに、公衆電話の紹介ページがあって、電話の機種ごとの違い(対応硬貨、110・119へのかけかた等。昔は赤・青・黄・緑や大型・小型と、電話機にバリエーションがあった)が載っていたのを眺めたくらいで。そういえば、電話帳として残っていたタウンページも、2026年3月で発行終了。
今、調べてみると、なかなか奥深い。公衆電話が多かった頃に、もっと興味を持てばよかった。
ところで、みどり町公園にあったような、電話を使う人が、その中に入るのが「ボックス」。
泉外旭川駅外旭川側駅前広場に新設されたり、コンビニの前にあったりする、電話機だけが入った箱もある。それは「キャビネット」。駅構内など屋内にある、電話機がむき出しで置かれた台は「スタンド」。
在りし日のみどり町公園の電話ボックスを振り返る。
11月下旬
電話機撤去後も、ボックスの扉は開閉でき、中に入ることができた。入るなとの表示もなかったので、入らせてもらった。
たまに、部品が劣化したのか、扉が自動で閉まらず、半開き状態の電話ボックスを見かけるが、ここは最後までスムーズな開閉。上の写真は、開けて、閉まる途中を撮影したもの。
電話機撤去跡
下は荷物置き【25日追記・本来は「電話帳置き(実用としてはその上に荷物を置く)」だった。電話帳を固定して収納できるのは、この後のボックスから】だから、電話機の底面はどことも触れず、背面だけで固定していたのか。
現役だった10月中旬
天井は、穴がたくさん開いた金属板で、斜めにカバー付き蛍光灯。
扉には明確な取っ手はなく、金属のフレームをつまんで開けるわけだが、手書きっぽい丸っこい赤文字で「ひく」と縦書きされた、小さなプレートが付いていた。

内部のガラスのシール。
「秋田 010173番」という公衆電話だったらしい
電話機
ボディやコードに汚れやサビがあり、年季が入っている。
テレホンカード対応公衆電話黎明期を知る者としては、この小型の電話機は比較的新しいイメージだったのだが。
電話機の銘板
「MC-4PRAAH」という機種で、製造番号「TR000770」、1996年5月製造。
MC-4PRAAHは、受話音量を大きくできる「シルバーホン(めいりょう)」機能を備えた電話機の型番らしい(非対応の基本機種がMC-4PRA?)が、ここの受話器には音量調節ダイヤルがないから、普通の公衆電話。後から受話器を通常品に交換したのかもしれない。そういえば、この頃の電話機のコードは、緑か銀の太くて硬いものが一般的だったと思うが、これはカールコード。受話器も、もしかしたら電話機自体も、元は別の場所に設置されていた中古転用品だったりするかも。
ボックスに話を戻して。
みどり町公園にあったような、銀色フレームで屋根が赤いボックスは、現行タイプではないことは認識していた(屋根が緑色のものもある)。今は、新しい黒っぽいボックスが多いが、古いのもまだそれなりに残っていると思っていた。
NTTの公式サイトで公衆電話の場所を調べられる。それとGoogleマップストリートビューと突き合わせて調べたところ、みどり町公園の他に秋田市内には、旧タイプボックスは3基程度しか残っていなかった。いずれも、現時点では撤去されずに残っている模様。見に行きたかったが、クマとの遭遇をおそれてやめました。
秋田市中央地域では、みどり町公園が、最後の旧型電話ボックスだったと思われる。
では、みどり町公園のボックスは、いつからあったのか。
赤屋根ボックスでは、中に製造銘板があるという情報があり、探してみたのだが、見つけられなかった。
赤屋根タイプは1969年(東京では1964年)から設置されていて、1985年【25日補足・日本電信電話公社(電電公社)が民営化し、日本電信電話株式会社(NTT)が発足した年】から現行の黒っぽいボックスに代わったとのこと。保戸野鉄砲町街区公園は、1981(昭和56)年12月23日供用開始なので、その時に設置されたのか(下でもう少し推測)。赤屋根ボックスとしては、最終ロットに近いものだったのだろう。
【25日追記・電話ボックスの名称と変遷について】
赤屋根のボックスは「A型ボックス」または「A-BOX」、1985年登場はB型ボックス/B-BOX。その後、1991年にC型ボックス/C-BOXが導入され、現在の最新型。
B型とC型は、素人目には区別しづらい。(以上追記)
最後の電話機の製造年からも分かるように、中の電話機は代替わりしている。
実は僕は、1985年か1986年頃に、この電話ボックスから電話をかけたことがある。自分ひとりで公衆電話を初めて使った時だったかもしれない。
その時は、10円玉と100円玉でかける、黄色い大型のプッシュホン式の電話だった。
緑の電話機で使えるテレホンカードは1982年12月23日開始=43年前の今日。それにちなんで12月23日は「テレホンカードの日」。
公衆電話が一斉にカード対応したわけではなく、それなりの年数を経て移行していったので、昭和時代は、硬貨専用の赤電話や黄電話(青電話は秋田ではほとんどなかった)がまだあった。余談だが、1988年の「3年B組金八先生」第3シリーズ(松ヶ崎中)で、高校入試の合格発表などで、あちこちから電話をかけるシーンがあるのだが、緑より黄色の公衆電話が優勢だった。
大型の黄電話といえば、どーもくんを黄色くしたみたいな、真四角な真っ平らのボディの印象が強く、今、ネットで見られる情報もそれが多い。その他に、プッシュボタン部分が傾斜して、銀色のパネルが多用された、新しい機種もあって、みどり町公園にはそれが設置されていた。
「679-P」という形式だそうで(興味があれば画像検索を)、1982年登場という情報がある。ということは、公園供用開始から少し経ってからの設置か。
679-Pは、当時としては斬新なデザインで、初見時は黄色いけれどテレホンカードも使えるのかと思っていた。また、カード対応機と並行して、非対応機である679-Pも製造・設置されていたことになり、テレホンカードが使えない公衆電話機の最終形態となる。当初は、あれほどテレホンカードが普及するとは(さらにこれほど公衆電話が衰退するとも)予想していなかったのか。秋田市内でもあまり見かけない機種で、秋田キャッスルホテルだったか木内だったかの屋内に、緑の電話に混ざって少しあったような気がする。
その後、いつの間にか、大型の緑の電話機(当初はカード・硬貨両対応の小型機はなかった)に更新された【23日補足・1988年には緑に替わっていたか??】が、それも更新され、おそらく都合3台。初代・2代目は比較的短期で置き換えられ、最後の1台が長かったことになりそう。
電電公社時代から、NTT、NTT東日本と変遷し、少なくとも40年以上存在していた公衆電話ボックスであった。
公衆電話や電話ボックス全般について、またいつか。