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原の町もうひとつの角の解体

秋田市内の建物解体シリーズ。保戸野千代田町の三光不動産株式会社に続き、もう1つ保戸野地区から。


2025年11月下旬に気付いた時には、今回もまた、解体される直前であった。場所は、保戸野原の町の北寄り、保戸野八丁との境。2021年の交通規制の記事の最後に写っている建物。
秋田駅・通町側から天徳寺地下道方向へ道路をたどって説明。明治時代の地形図にも載っている、古くからの道。
県道233号・菊谷小路を直進、千秋トンネル通りと交わって市道区間(昔は県道)になっても、突き当りまで直進。この突き当りの角には、元々は染物屋で、後に八百屋→空き屋となった町家風の建物があったが、2019年に解体されてアパートと家が建った。
そこを左折するとセンターラインや歩道がない狭い道になって、再び突き当りがある。その突き当りの角の直前。

足場が組まれた建物
町家があった突き当りの角は直角だが、こちらの角は、地図で見るとやや角度が緩く60度ってところか。したがって、丁字路(T字)ではなく、小文字のy字の形状。
現地で体感すると、たしかに角度は緩いものの、道幅が狭く、見通しも良くないため、通行時の圧迫感・緊張感としては直角と変わらない。

反対から。左奥は旭川千秋公園

以前の繰り返しになるが、この道路を、かつては中型バスによる路線バスが走っていた。
秋田市営バス時代の神田線・添川線(小型バスの泉・山王環状線も)。
現在のバス通りは、ここより西側の(現在の)県道である、原の町通り。開通したのは1985年の春であった。バス通りが原の町通りに移った時期は、記録も記憶もないが、1985年春すぐではなかった気がする。遅くとも1987年もしくは1988年には移った。
普通乗用車どうしでも行き違いに注意を要する狭さの道にバスが通っていたとは、記憶があっても、今では信じられない。

ここをバスが曲がっていた。正面は規制区間

解体されたのは、やや横長ではあるが何の変哲もない、箱型の2階建てではある。なお、裏側から見ると、屋根がある民家の作り。
だが、昭和末、もしくは平成初期のここを知る者としては、印象的な建物だった。
上の写真でも分かるかと思うが、建物の長さとカーブ角度のせいか、どちら方向から進んできても、目に入り存在感があった。
また、近隣の沿道は民家やアパートが多い中、この建物はそうではなかったから。

 

解体直前では、前の道路に面した1階は、シャッター付き車庫として使われていた。もう20年以上になるだろうか、昔はお店だった。
今はとんと見かけなくなった、米屋さん、米穀店だった。
往時は、ガラスの引き戸が付いていたのは確実。中に米袋が積まれていて、「水晶米」の看板なんかがあった、ような気がする。
米屋さんは、客が来店するよりも、配達するほうが多かっただろうから、こんな規模・作りの店構えが多かったはず。

平成に入った1990年代頃だろうか、「A-coop」の看板が付いた。どういう意味なのか、米屋としてどういう位置付けなのかよく分からないまま、気が付けばお店をやめていた。
※この先、天徳寺地下道手前の桜町バス停付近にあった、Aコープのスーパーマーケットとは別。

2025年12月下旬

 

規制区間側から。奥が天徳寺方向
1960年代の航空写真では違う建物が写っているし、見た目からしても、1970年代頃からあったと思われる。
旧バス通りの2つの角にあった、存在感のある建物がどちらもなくなった。
いつものフレーズだけど、跡はどうなるか。


解体シリーズは、近いうちにまた。