土崎小学校と土崎南小学校が統合した、新たな秋田市立土崎小学校についての続き。
●校章
対等な合併であることを示す意味もあるのだろう、校章も校歌も新たに制定。
校章は旧・土崎小の2025年度4年生の原案をブラッシュアップ。「和と輪」をテーマとし、土崎港曳山まつりの「曳山の車輪」、「波しぶき」をモチーフに、土崎南小の象徴であった「若はと(若鳩)」のイメージを加えた。中央に「土」の文字。
なかなか凝っているというか複雑なデザイン。どこが鳩なのかちょっと分からないのと、土崎中学校もあるのだから「土小」のほうが良かったのでは。
旧・土崎小の校章は、波とおそらく正面から見た船を描き(土崎中学校と共通性)、「土」の文字。土崎南小は、波と鳩の広げた翼をデザインし、「南小」の文字であった。
●校歌
作詞 内館牧子、作曲 天野正道。
どちらも秋田市出身、内館氏は土崎生まれ。
現役で秋田県出身で校歌をよく手がける人は、橋本祥路(作曲、「花岡恵」として作詞も)、加曽利康之(作曲、エレクトーン奏者)、四反田素幸(作曲、秋田大学元教員)各氏が思い浮かぶが、今回のおふたりは意外だった。
日本音楽著作権協会に登録された限りでは、天野氏は大仙市立西仙北小学校校歌だけ。内館氏は東京都立六郷工科高等学校だけ。※土崎小は現時点で未登録。【23日追記・JASRAC未登録なようだが、天野氏は県立男鹿海洋高校校歌も作曲。】
というか脚本家の内館氏が、歌の作詞をするイメージがなかった。ところがJASRACには、六郷工科高校歌のほか12曲も登録されていて、いずれも中条きよし、小林旭などそうそうたる歌手が歌っていた。
余談だが、脚本家が校歌を作詞したケースでは、「3年B組金八先生」のロケ地だった中学校が統合して発足した、足立区立千寿桜堤中学校の校歌を、同番組脚本の小山内美江子氏が手掛けている(作曲は海援隊の千葉和臣氏)。先立って、番組内の卒業式などで歌われた「桜中学校歌」も作っている(作曲は初期の音楽担当・瀬尾一三氏)。
内館牧子氏は、2025年12月に亡くなった。どこかの秋田の民放テレビによれば、土崎小校歌が「作詞としての遺作」とのこと。作詞以外では、もっと後の作品があったのか。
※閉校した2校をはじめ、秋田市内の小中学校の校歌(市立以外も含む)やスクールソング類は、秋田市退職校長会により秋田県退職校長会(市と県の違いは間違いではありません)のサイトに歌詞や歌唱がアップされています。https://stranger28.net/tiku/akita/kouka/
https://stranger28.net/tiku/akita/song/index.html
旧・土崎小校歌は、1941年制定(秋田市で戦中・戦前作の校歌は少ない)、作詞 金子洋文(小説家、土崎生まれ、土崎小で代用教員経験)、作曲 市川元(山田耕筰の弟子で、歌手でもあったらしい)。
「明けいく空に」が歌いだしで3番まで。「太平の名峰」「文化秋田」「雄物川」などが歌いこまれ、3番は「北荒海の日本海」「吹雪」「帆をあげて」「こぎいでん」と、北の港町ならでは。
作詞者が作った言葉の「港魂(みなとだま)」も出てきて、それは土崎中学校も含めて、地域性を表す言葉になっているという。
土崎南小は開校した1961年制定。作詞 竹内瑛二郎(秋田市立学校の教員。秋田の校歌常連)、作曲 佐々木竹治(秋田県立高校教員)。
「海原は 果てなく光り」で始まり2番まで。「海鳴り」「太平」「松の緑」そして「若はと」など。
新校歌は「若はと」「港魂」のほか、「太平山」「雄物川」「吹雪荒海」「大海原」「秋田の文化」が両校校歌から受け継いでいる。路上の看板にもあった「いとし故郷」も。「未来という名の 種を蒔く」は金子洋文の雑誌「種蒔く人」へのオマージュか。
それらをうまくまとめて、古臭くなく、平易な詞にまとめられていると思う。
●人事【24日補足・ここでは新聞に異動名簿が掲載される、県と市の正規職員のみについて。臨時講師やサポーターなどは除く】
一般に統合校では、児童生徒の移籍もあるわけで、状況を把握している先生たちもまとまって異動する。
また、今回のような、同名ながら新設校ができる場合には、形式上は、残留者を含めた全職員が異動扱いになるようだ。2014年に県立角館高等学校と県立角館南高等学校が統合して、新たな角館高校になった時は、校長は角館南の校長が就任(旧角館校長は退職)、教頭(全日制2、定時制1)は他からの異動、教諭のうち旧角館から23名、角館南から16名が異動していた。
新生土崎小学校は、校長は土崎南小校長、教頭は寺内小教頭が就任。
旧土崎小校長【24日追記・第67代目とのこと】は中央教育事務所副所長(秋田市にある県教育庁の出先機関)、土崎南小教頭は牛島小教頭へ異動。旧土崎小教頭は退職。
教諭は、旧土崎小から5名、土崎南小から15名(うち再任用2)、市内他校から3名(うち再任用1)が異動。新採用は配置なし。
養護教諭(保健室の先生)と主任主査(事務職員)、各1名は、土崎南小から異動。
用務員・校務員あるいは給食調理員と思われる秋田市教育委員会の職員は、旧土崎小から2名、土崎南小から1名異動。土崎南小から2名が他校へ。
ちなみに学校給食は、旧両校、新土崎小とも、校内で自校の分のみを調理(単独調理校)。なお、秋田市では、児童生徒減少と設備老朽化と効率化のため、共同調理場化を推進しつつ、市街地の学校でも給食センター方式へ移行することを、長期的には計画している。
秋田魁新報の異動名簿。
県教委発表分は、角館高校の時と同じく「土崎」から「土崎」へ異動という、知らない人には謎の表記。
一方、秋田市発表分は「土崎小学校(統合後)」としていて分かりやすかったのは、秋田市人事課の配慮か。
児童数の差もあるだろうが、土崎南小学校から異動(勤務地的には残留)する人たちが多く、旧・土崎小学校の子どもたちにしてみれば、実質吸収されたような感覚になってしまわないだろうか。
○由利本荘市立鶴舞小学校
話が逸れます。本荘でも、今春、小学校の再編が行われた。
尾崎小の一部、子吉小、小友小が統合し、新設の本荘東小学校ができたのが目立ってしまうが、もう1つ。
尾崎小の残りと、鶴舞小を統合し、新たな鶴舞小学校ができた。尾崎小の校舎を使用。校歌(作曲は上記、四反田氏)も新たに制定。つまり、土崎小学校とそっくりの方式。校長は尾崎小校長が異動したのも、同じ形。
ただ、人事異動では、旧・鶴舞小から新・鶴舞小へ異動する人はいないことになっており、土崎小とは多少違う扱いなのだろうか。
【5月1日個人的備忘のため追記・移転前の鶴舞小学校の場所は、水林の本荘南中学校の隣。尾崎小の場所には、かつて県立本荘高等学校があった。尾崎小は1991年開校なので35年の歴史。】
●学校番号
自治体内の公立学校名を列挙する時、その順番が決まっていることが多いのではないだろうか。秋田市教育委員会では、各市立学校に「学校番号」を振っていて、その順となる。
小学校は保戸野小から始まって雄和小まで。古くから秋田市だった中央地域の小学校を古い順に配置した後、昭和以降に秋田市に合併された周辺地域、最後に旧・河辺町・雄和町の順。
2025年度は、旧・土崎小が10番、港北小をはさんで、土崎南小が12番だった。
前後を記すと、牛島、川尻、旭川、土崎、港北、土崎南、高清水、広面、日新、勝平。
2026年度は、新・土崎小が10番を継承。高清水小以降は1つ繰り上がった。最後の雄和小が36番。
●旧・土崎小学校
空き家となった、元土崎小学校の校舎や敷地はどうなるのだろうか。現時点では、ひと気がないだけで、昨年度までと変わっていない。
ほぼ散ったソメイヨシノ
桜はソメイヨシノが1本しかなさそうだった。紅梅も1本。
土崎駅からほど近く、南北方向に長い敷地で、三方を民家や寺に囲まれている。
現在は、北側が校舎、南側がグラウンドだが、先代の木造校舎時代は逆だった。
グラウンド奥の南端にこんなものがあった。
右の木の向こうにポートタワーセリオン
コンクリートでできた、登ったり、土管をくぐったりして遊ぶ、山型のもの。
「山型遊具」「石の山」と呼ぶそうだ。名古屋周辺に「プレイマウント」という遊具もあるそうだが、微妙に異なるか。
秋田市内では学校でも公園でも、ほとんどないと思う。フィールドアスレチック同様、テレビなどで見覚えはあるが、実物は知らないものだったが、土崎にはあったのか。【25日コメントいただき追記・学区(統合前は土崎南小学区)が隣接する、木造校舎時代の高清水小学校には、類似のものがあったとのこと。】
登下校できる門が複数ある学校は珍しくないが、たいていはサイズや間口が違って、どれが「正門」か明確だろう。
旧・土崎小では、校舎中ほどと北端に、同じ形でほぼ同じ幅の門があった。位置的には中央のほうが正門だろうけれど。


学校名の表札・表示板も、両方とも同じもの。中央では右の門柱、北では左の門柱に設置。
【6月2日追記・どちらも門も、表示板がないほうの門柱は単純な柱上の直方体なのに対し、表示板があるほうの門柱は直方体を組み合わせたL字のような形。】

同じ型から作って同一の筆跡のようだが、年月により、別々の風合いが出ていた。
前回の記事の通り、土崎南小正門の表示は、土崎小に交換された。一方、旧・土崎小の表示は、まだそのまま。土崎駅~秋田厚生医療センターの路線バスのバス停「土崎小学校前」もそのまま。
今は少々まぎらわしいが、それもいつかはなくなってしまう。
【追記】6月2日時点で、旧・土崎小学校跡に変化はなさそう。