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中央交通の赤いバス3

この記事の続き。2000年代に行われた、秋田市交通局(秋田市営バス)から秋田中央交通への、路線バスの段階的移管。その一環として、市営バスから中央交通へ譲渡され、塗装変更して使われ続けた車両があった。年によっては、塗装変更のスケジュールの都合上、譲渡直後、一時的に市営バスの塗装のままで中央交通の路線で営業運行する車両が見られた。
その最後の年となった2004年(2005年、2006年は塗装変更してから運用開始のため)は、塗り替えに先立って、行き先表示はLED表示器に交換していたため、「市営バス塗装とLED」というありそうでなかった光景が実現した。

 

前回紹介した写真は、もともと市営バスだった移管路線でのLED表示。「もしも… 秋田市営バスがLED表示器を採用していたら…(by ドリフ大爆笑)」という視点で、楽しめた。
他にこんな表示も見られた。
4月17日。1991年度導入 元268号車
↑東口の「東横イン」のネオンが点灯しているが、まだ営業していないはず。2004年6月1日オープン(秋田拠点センターアルヴェは7月16日)。もう20年以上経つのか。

「秋田駅・県庁 八橋球場・車庫」
「車庫」とは大川反車庫=秋田中央交通秋田営業所のこと。
ライバル関係の事業者の塗装と行き先の組み合わせを見せ付けられ、その片方がなくなりる=市営バスの終焉が近いことを強く実感した。

市営バス隆盛期には、長崎屋経由大川反車庫行きの競合路線として、大川経由交通局線があった。中央交通の「長崎屋バスターミナル」と「中央交通本社前」バス停は、市営バスでは「旭北錦町」「川元山下町」としていた。
2004年春に、市営バス塗装の車両が長崎屋経由に充当されたのは目撃してはいないが、可能性はありそう。

 

車庫行き表示は、中央交通所有となった以上、その車庫に帰る必要があるから、避けられない。
さらに衝撃的だったのが、
1992年度導入 元274号車
「秋田駅 下北手・宝川」
秋田駅西口から手形陸橋を渡って直進し、谷内佐渡、松崎。松崎団地には入らず、下北手宝川の「宝川下丁」までの路線。なぜか大学病院に立ち寄らない。
市営バスは関わらない、元から中央交通の路線で、2019年に廃止(秋田市マイタウン・バス化)された。

 

「もしも… 中央交通が存在せず、市営バスが秋田市内の全バス路線を運行していたら…」かのような光景ともいえるが、実態はその逆に向かっていた。
前回も触れたが、移管が進んで、路線や車両の数が増え、運用が複雑になったための措置なのだろう。だが、中央交通生え抜きの路線を元市営バスの車両が走ることが、ショッキングだった。まさにこれが「交通局全路線の民間移管」を体現しているように思われた。
市営バスユーザーとしては、支払った運賃の一部が使われたであろう車両が、中央交通生え抜き路線で使われることが、悔しいような釈然としないような【14日追記・「苦々しい」というか】複雑な気分にもなった。百歩譲って、生え抜き路線での運用は、塗装変更してからにしてほしかった。【14日追記・下北手線の利用者にしてみても、自分たちには無関係な市営バスが来たと勘違いして、驚いたり、乗り損ねたりしなかっただろうか。】
【21日追記・塗装変更後、後年には営業所統合などもあり、譲渡車が中央交通生え抜き路線で運行されることは、普通の光景になった。】

 

この写真は2004年5月16日(日曜日)撮影。現在は、休日ダイヤは便数が激減し、走る車両は限られるものだが、当時は、そうでもなかったのだろう。
見ての通り、雨降りで暗くてブレてしまったので、後日撮り直したいと狙ったのだが、他路線も含めて、市営バス塗装の中央交通のバスには遭遇できなかった。つまりこの時が、「中央交通の赤いバス」の見納めとなった。

右1台だけが市営バス
この2年後に、秋田市営バスがなくなった。