広く浅く[blog.goo.ne.jp/taic02より移転]

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「、」ハラ1

日本語の文章について。素人が、自分のことを棚に上げて、ひと様の文章にケチを付けている箇所もありますので、失礼をお許しください。

2024年頃、ネットやテレビで「マルハラ」が取り沙汰された。
「マルハラスメント」。メッセージアプリ等で文章のやり取りをする際、(仕事などで年上の人から受け取る文の)文末に「マル(。)」=句点(くてん)があると、若い人たちが、威圧的に感じるというもの。
人によって感じかたは違うとはいえ、何でもかんでもハラスメントにすればいいってものじゃないと思ってしまう(のもまた、ハラスメントになるのか?)。
そもそも、句点は日本語のきまりである。そのきまり通りに使っているのをハラスメント=「いやがらせ」と言われてしまっては、むしろそう言うほうがハラスメントではないのか(マルハラハラ?)。強いていうなら「マル恐怖症」のほうが適切ではないだろうか。
実際のところ、どの程度の人がマルハラを受けたと感じているのか、知りたいものだけど。


マルがあるなら、その「テン(、)」=読点(とうてん)版、「テンハラ」はあるのかと、考えてみたら、あった。
上記、マルハラの中には、読点に威圧感を受けるものも含むという話もあるようだが、それと別に、僕が「テンハラ」だと感じること――ハラスメントとまではいかないが、気になること――は2つ。2つは対照的な関係。

1つは、上記マルハラの裏返しかもしれない。
ネット上の文章を読んでいて感じる。
インターネットにより、素人が書いた文章を読む機会が格段に増えた。僕は黎明期からネットに触れているが、文章の上手い下手、校正を受けないことなどにより、読みづらい文章は昔からあった。
だが、この10年くらいだろうか。読点の使いかたが原因で、読みにくい文章をよく見かけるようになった。若くはない人でも、使うことがあり、ある程度広まっているように見受ける。

引き合いに、秋田市役所ホームページで見つけた文を使わせてもらう。
更新を行ったページのタイトルの一覧がリストになっている、「新着更新情報」のページがある(更新しても必ず表示されるとは限らないようで、担当セクションの判断なのか)。そのタイトルの表記方法には、特に基準がないらしく、各セクションによって多種多様。
「大森山動物園:大森山動物園広報印刷物制作業務に関する公募型プロポーザル」などと一目瞭然のものもあれば、「活動のお知らせ」だけで見ただけでは分かりにくいものもある(ちなみに国指定史跡地蔵田遺跡の「活動」でした)。これは文の内容(詳しさ)の問題なので、別の話。
こんな文があった。
秋田市消防本部では住宅用火災警報器の設置効果を具体的にお示しすることを目的として過去に発生した住宅用火災の詳細を分析中です。

これが、僕にとっての1つめのテンハラ。
読点が少ない、というか、ない。【9日追記・こんな文がネットにアップされたのは、文を作った当人ではなく、消防本部の上司やホームページ担当セクション(企画財政部 情報統計課)の責任である。】

このケースでは、そもそも文が長過ぎるが、文章をそのまま使うとすれば、
秋田市消防本部では、住宅用火災警報器の設置効果を具体的にお示しすることを目的として、過去に発生した住宅用火災の詳細を分析中です。」
と、2つ読点を入れるのが妥当。
文章校正用にはだいぶ使えるようになった生成AIに、「次の文章に、適切な読点を入れてください。」と聞いてみたところ、Microsoft Copilot、Google Geminiとも、上記の位置に点を入れた。異論はない。

このような読点がきわめて少ない文章を、ネットで見る機会が多くなった。【6日補足・そうした文章は、読点は少なく/なくても、句点は通常並みにあることが多い。】【7月3日追記・読点を一切使わないことを信条としているのではないかと思える(そう思うほかに理由が見当たらない)文章を書く人もいる。】
文章の中の言葉の関係(すなわち文章の内容)を把握するのに手間取り、スムーズに読めない。最大140文字しか投稿できないX(旧・ツイッター)であっても、点がないと長文に感じられ、読むのが面倒になってしまう【8日補足・文字数制限ギリギリで、読点を入れられないというわけではない】。文の解釈が複数できてしまい、伝えたいことが分からなかったり、誤解したりすることもある。

学校教育における、読点の打ちかたの指導方針が変わってはいないはず。
文字入力に手間取る(と思わない人もいるでしょうけど)スマートフォンの普及と、SNSに文章を素早く入力することが多くなり、読点を最小限しか使わない人が増えたのだろうか。
もっとさかのぼって、句読点が嫌われた掲示板サイト「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)」起源を指摘する人もいたが、2chは、誰もが投稿したわけではなかったから、そこまで幅広く影響を与えてはいないのではないか【21日追記・関連して、半角カタカナの句読点を使うと文字化けすることがあったため、句読点が敬遠されたという指摘もあった】。
加えて、新聞や本を読まなくなって、プロが書いた文章に触れる機会が減った人が多いのも一因かもしれない。

一般に1つ1つの文は短くするべきだが、どうしても長くなることがある。その時に読点が重要で、読みやすさに少なくない影響を与えると思う。
気楽に読み流すことも多い、ネット上の文章だからこそ、読みやすさが大切ではないだろうか。読点が少ないせいで、読んだ人に時間を取らせ、時には誤解を与えて、書いた人の真意が伝わらないことになりかねないのは、書いた人としては本意ではないだろう。(少なくともネットにアップする)文章というのは、書いた人が読む人に対して、何かを伝えるためのもの。読者の「読みやすさ・分かりやすさ」、筆者自身の「読まれやすさ・分かられやすさ」、つまり「伝わりやすさ」のために、もっと読点に気を配るべきだと思う。

学校教育で習った通りの読点の打ちかただと、読点が多いと感じることもあるようだ。当ブログの文章も、読点が多いと感じるかたはおられると思う。学校で教わった通りにはしていないが、やや多めにして、打とうかどうか迷った箇所には打つような方針を取っている。その理由は、時間を割いて読んでくれる方々への配慮でもあるのだが、誤解されたくないから。ただでさえ、マニアックなことをぐだぐだと並べた文章。せめて文章の構造だけは、1つの意味にしか取れないようにしているつもりです。「内容は複雑でも、文章は簡潔」を目指しています。

あいさつ状、年賀状、賞状などがそうであるように、日本語には、もともと句読点がなかったそうだけど、それは昔。現代の複雑な内容の文を、文字サイズや文字間隔がおおむね統一された活字で、効率的に読むには、句点も読点も欠かせない。
ただ、やはり、過ぎたるは及ばざるが如し。もう1つのテンハラは、逆に読点が多すぎる文。続く