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1997年3月22日

【2017年11月28日カテゴリーを「秋田のいろいろ」から「昔のこと」へ変更】
NHK秋田放送局の夕方の県域ローカル番組「ニュースこまち」。
月曜は「Dのこまち」という、秋田局のディレクターたちが取材したさまざまなジャンルの話題を伝えるコーナーがある。(既に放送済みのレポートなどの“再放送”同然のこともあるけれど…)
その1つに「あきた映像秘話」というシリーズがある。昔の映像を紹介した上で、その後日談や当時を知る人に当時の逸話を改めて語ってもらうような構成。
今日3月2日放送がそれで、1997年3月22日の秋田新幹線開業時のことだった。

ディレクター自身も出演して、キャスター2名とやり取りしながら進行する。
ディレクターは若い女性。どこの出身かは知らないが、年齢的に開業当時は未成年だっただろうし、リアルタイムでは秋田新幹線開業はほとんど知らなさそう。
アナウンサーはベテランの福井さんだけど、当時は秋田に縁はないだろう(【3日追記】盛岡局にいたことはあるようだ)。秋田出身の吉田キャスターも当時は小学生だそうで、あまりピンと来ていなさそうだった。
要は、当時のことをリアルタイムではほとんど知らない人たちの進行。一方で、僕を含む見ている視聴者には、当時を実際に経験して記憶している人も少なくないはず。NHKの地方局ではどうしてもこういう形になってしまう。
ただ、それが新たな視点や切り口となり、地元の者にとっても新たな発見に気づかされることもある。
※以下、テレビの放送内容はうろ覚えです。


盛岡駅での争奪戦
まずは、開業前の盛岡駅での乗り換え事情の解説があった。
【3日・省略しすぎていたので補足】当時は東北新幹線は北は盛岡駅止まり(列車名は「やまびこ」のみ)。八戸・青森や秋田方面は、盛岡で在来線特急の「はつかり」や「たざわ」に乗り換えていた。基本的に在来線と新幹線は10分弱の時間で接続するダイヤが組まれており、その時間には新幹線ホームと在来線ホームの間を結ぶ通路は乗り継ぎ客であふれた。
個人的には、在来線から新幹線ホームへ上がった時に車両の音(モーターかエアーコンプレッサーから発せられるのか「ゴォー」という音が屋根付きホームに反響していた)が響き、白に緑の線が入る200系新幹線の姿を目にして、新幹線に乗る期待が高まった。
また、わずかな時間で立ち売りのおじさんから駅弁を買うのも楽しみだった。現在の盛岡駅弁は、NREウェルネス伯養軒のいずれも岩手県外資本の業者ばかり(一ノ関駅の業者からの輸送販売はある?)だが、10年ほど前(?)までは「村井松月堂」という地元業者もあって、コケシの顔の陶器に入った弁当などがあった。立ち売りをしていたのは、村井松月堂かもしれない。
在来線ホームの立ち食いそば屋では、車内持ち込み用の容器があって、新幹線から乗り換えた「たざわ」車内でそばをすする人を見たこともあった。
足腰の悪い人や大荷物では乗り換えが大変だったのは違いないが、そんなわけで、仙台や東京へ行く道中のインターバルのイベントとして、少しばかりの楽しみもあったものである。(以上補足)

番組では、当時の時刻表(たざわ・はつかり10号)を引き合いにして、盛岡駅において青森方面と秋田方面から来た客による、東北新幹線(やまびこ)の自由席の争奪が繰り広げられていたことを説明。
何かの事件事故解説さながらのCGアニメーションによる解説。CGの車両は、新幹線は200系、「たざわ」は485系をモチーフにしていると思われた。「はつかり」は485系を色違いの青色にした、すなわち583系っぽもので、芸が細かい。(ただし、「はつかり」の定期便に583系が充当されたのは1993年まで)

秋田駅みどりの窓口前周辺で、当時を知る一般通行人(2~3人)へのインタビューもあったが、みんなお年寄り。(もっと若くても知っている人もいるけれど、狙いを定めたインタビューはしにくそうだからね)

ただ、指定席を取っていれば、席取りは不要(乗り継ぎ時間が限られているから、自然と急ぎ足にはなったものだけど)。
また、秋田新幹線開業により「乗り換えがなくなって便利になった」としていたが、そもそも現在(2002年から)は全席指定になっているので、当時とは事情が異なる。そうした点への言及はなかった。


●比較広告とナマハゲ
次が、開業時のJR東日本のテレビCM。
当時は「比較広告」として、かなり注目された。
奥田瑛二演ずる航空機の機長が、秋田新幹線開業を知った乗客につられて、客室乗務員(当時はまだ「スチュワーデス」)とともに秋田新幹線に乗り移ってしまうストーリー。秋田新幹線に乗って、車窓になまはげを見つけるバージョンもあった。
開業時の話題を取り上げるからには、この件は絶対に触れると思っていた。当然、映像も「CM情報センター提供」かなんかで流れるかと思った(NHKであっても、こういう用途なら放映されてもおかしくない)。

しかし、映像は「JRにも広告会社にも残っていない」という。
本当だろうか?
当時はビデオデッキが充分に普及していたから、非公式な(個人的に録画しているような)映像でさえそれなりに残っている。(それをNHKで放映するわけにいかないのは当然だが)
あれほど注目を集めたCMなのに、原本が制作者・広告主側に残っていないもんだろうか…
例えば奥田さんの権利関係の処理がどうこうという事情だったりして?!

そこで、そのCMの内容もCGで再現。奥田瑛二が機長だったことの言及はなかった。
金曜日の「ビデオだより」のタイトルCGと同じ人(秋田局の美術スタッフはこの人しかいないのか)によると思われるタッチ。口頭であらすじの説明だけで、忠実なセリフや音楽はなし。
いくら上手にCGを作っても、実物を見ていない人には、正確には伝わらないでしょうね…


で、そのCMの内容を現実のものにしようと、秋田新幹線開業当日に、田んぼの中になまはげが立って、列車に向かって手を振るというイベント(?)が行われたことも紹介された。
これは当時のニュースで見た記憶があり、今回もそれが放映された。列車が通過した後に、なまはげが「やれやれ」とか何とか言うやつ。

その後日談もあった。
まず、手を振った場所は、秋田市(当時は河辺町)の和田駅付近だそう。角館辺りかと思っていた。
そして、当時赤いなまはげだった人のインタビューがあった。秋田県庁の職員(建物は第二庁舎が映り、和室でインタビューを受けていた)で、開業の前日に「やってみるか」と話が出たのだという。
なまはげの衣装の着け方がよく分からず、ミノを前後(?)逆に巻いてしまったそうだ。

沿線の町の観光協会辺りが用意周到に準備していたのではなく、ちょっとした思いつきを実現させたという、当時のバイタリティみたいなのが、今こそ必要かもしれない。
東日本大震災後は、列車に向かって地元の人が手を振って歓迎の意を示すのが、一種の流行りになったこともあったが、その先駆けとも言えそう。


【2024年7月21日追記・余談。列車名「なまはげ」について】
開業に当たって、列車の愛称が公募された。その1位は「なまはげ」だったのだが、結局「こまち」となった。(以上追記)



ニュースこまちの話はここまで。ついでに、当時の思い出2つ。
●アニメ化
クレヨンしんちゃん」の父・野原ひろしは大曲辺りの出身。
開業間もない頃、しんちゃん一家が帰省で秋田新幹線に乗った話が、アニメでは1997年8月15日放送の#808「満員こまちで秋田へ行くゾ」。
その中で、しんちゃんが車内をうろうろして「奥田瑛二もスチュワーデスもいなかったゾ」と言ったり、車窓にナマハゲを探すシーンがあった。もちろん、そのCMの影響だ。

また、車内でイチャイチャするカップルがいて、それは現在は野原家の隣に住んで交流がある「ミッチー・ヨシりん」なのだが、野原一家との面識はなさそうな素振り。当時はまだそういう間柄だったようだ。

2017年11月には、E6系に乗車する話が放送。


●もう1つの開業と18年後
JRグループダイヤ改正は、3月15日前後の土曜日に実施されるのが通例。
でも、秋田新幹線が開業した1997年だけは3月22日と遅かった。どうしてなんだろう?

その1997年3月22日に、国内でもう1つ新しい路線が開業しているのだが、秋田県民はもちろん、多くの人が秋田新幹線に目を奪われて知らなかったのではないだろうか。
新潟県の越後湯沢と直江津を短絡する(六日町-犀潟第3セクター鉄道「北越急行ほくほく線」である。

国鉄時代から計画されていた路線で「最後の新規開業ローカル線」などと言われた(当時の鉄道雑誌)が、首都圏からは上越新幹線と乗り継ぐことで北陸方面への最短ルートとなった。
JR東日本では「北陸新線」と銘打ち、テレビCMも流れたのだが、秋田新幹線のCMに比べると地味で影に隠れてしまったと思う。

ほくほく線は、単線ではあるが線路の状態が良く、高架やトンネル内では在来線で国内最速の160km/hでの走行ができる。秋田新幹線(秋田-盛岡間)なんかよりずっと高速。
特急列車が多数運行され、その運賃・料金収入があるので、第3セクター鉄道としては屈指の安定経営であった。

しかし、それが将来まで安泰ではないことが、開業当時既に分かっていた。
1997年10月開業の長野新幹線が、そのおよそ20年後に北陸新幹線として金沢まで延伸する計画があり、その暁には、ほくほく線に首都圏対北陸の役目がなくなり、ただのローカル線に成り下がるのだった。

「その時」が間もなく訪れてしまう。2015年3月14日に北陸新幹線の長野-金沢間が開業する。
僕は鉄道雑誌で読んだこのことが、ずっと頭の片隅にあり、北陸新幹線開業を諸手を挙げて喜ぶ気持ちにもなれないでいた。
聞くところによると北越急行では、この18年間で利益を130億円ほど積み立てていて、それを取り崩してあと30年はやって行けるという。
ただし、ダイヤ改正後は普通列車だけの運行になってしまい、自社で保有していた特急車両はすべてJR西日本へ譲渡される。160km/hの高速走行はもう楽しめなくなるのだろう。
僕は1度だけ乗ったことがあったけれど、もう1度乗っておきたかった。
【3月22日追記】ほくほく線では、130km/h以上で走行できることを指示する「高速進行」現示があり、青灯が2つ(1台の信号機の中で青が2灯)点灯していたそうだが、これも特急廃止で使われなくなる。他に国内では、京成成田スカイアクセス線で使われているという。


秋田新幹線も車両が2代目になっているし、18年なんてあっという間だ。
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