その1つが、家庭の郵便受けかと見まがいそうな、壁掛け式の「郵便差出箱2号」。
おそらく秋田市内には1つしか存在せず、それが新屋の秋田公立美術大学の学内に設置されていたとしたが、写真もなければ、近年は現地を確認してもいなかった。
1月末のあらや大川散歩道雪まつりに行った時、ポストの設置場所が(いちおう)開放されていたので、中へ入らせてもらった。
学生食堂などが入る「レストハウス」、正式には厚生棟というのかな。

あまり大きくなさそうな「売店」があり、その前に、
今も健在だった!美大には「大学生協」は存在しないようで、食堂とともに業者に委託しているようだ。国立大学生協のような、書籍や不動産の扱いはなさそう。
美術系大学なら、本はもちろん、専門的な画材や用具なんかも必要だろうから、品揃えのいい大きな売店があってもよさそうだし、大学生協は本を1割引で買えるのに。新屋には書店もあまりないのに、美大の学生はどうやって入手しているのだろうか。
美術系大学なら、本はもちろん、専門的な画材や用具なんかも必要だろうから、品揃えのいい大きな売店があってもよさそうだし、大学生協は本を1割引で買えるのに。新屋には書店もあまりないのに、美大の学生はどうやって入手しているのだろうか。
暗いので、以下、フラッシュをたいて撮影
正面。屋内なので状態は良好
投函口に毛筆体で「おす」以前の繰り返しになるが、壁掛けの2号ポストは、1951年に登場。以前の他のポストと同じ、朱色のボディ。他のポストは1996年に、現行の赤色のタイプにモデルチェンジしたのに、2号だけは後継が出なかった。製造は終了したと考えられる。
一方、美大は秋田公立美術工芸短期大学(美短)として1995年に開学。レストハウスの建物もその時にできた。
したがって、美大は2号ポストの最末期の新規設置箇所の可能性がある。
他のポストでもそうだが、向かって左の側面下に、銘板があった。
「福島 有限会社国分商店」ネットに企業情報は見当たらないが、郵便ポストのメーカーとしては一般的なところ。
製造でなく「納入」の年月が表示されている。元号は「昭和」、数字ははっきりとは判読できないが、「53年7 5月(?)」とあるような?
少なくとも、1995年である「平成7」ではなさそう。昭和53年だとすれば、開学当時で20年近くも前になってしまう。
どこかよそに設置されていたものが転用されたのかもしれないが、それにしてはかなりきれいで状態がいい。
下から見上げる。もうちょっと低い設置位置でもいいような
打ちっぱなしのコンクリートに古めかしいポストの組み合わせ屋根というか天面が傾斜しているが、その角度はかなり急。他のポストは平らなのに、どうしてこんなデザインなんだろう。
屋根の緑色のものは「平成10年2月2日、新郵便番号制スタート!!」「7けたの新郵便番号の記入に、ご協力をお願いします。」とのシール。1998年2月に、それまで3または5桁だった郵便番号が7桁になったことの告知が、19年経った今も残っているのだった。
さらに右側面。
まず、おなじみの収集時刻(正式には「取集時刻」らしい)。左側に枠があるのに、なぜかこちら面。平日、土曜日とも16時30分の1回だけ。日曜は建物が閉鎖されているからか、収集なし。
ポスト番号は秋田中央郵便局の「106」だそう。
取集時刻の上に、もう1枚、紙が貼ってある。
「お客様へのお願い」「最近の炭疽菌等事件を受けて」「小麦粉等の白い粉末を郵便物として差し出される場合、ポストに投函しないで、郵便局の窓口に差し出していただく」ようにといった内容で、名義は「新屋郵便局」。
僕も忘れかけていたし、今の学生さんたちには何のことやらちんぷんかんぷんだろう。
2001年、アメリカ同時多発テロの直後、アメリカで炭疽菌という病原菌が郵便物で送付されて死者を出す事件が発生した。それを受けて、日本でも一定の対策がされていたようだ。
また、現在は秋田中央郵便局が取り集めているわけだが、2003年3月までは新屋郵便局が、新屋地区の郵便物集配を行っていたので、新屋局が掲示を出していた。(現在の新屋郵便局は窓口だけで、集配にはノータッチ)
ということで、どちらの告知も、もういらないのではないでしょうか。
最近の秋田魁新報の購読者向け月間誌の写真によれば、由利本荘市のJR羽越本線羽後亀田駅でも、同じ壁掛けポストが今なお活躍している。これも壁と屋根がある場所に設置されていて、状態は良さそう。後継機種がないだけに、探せばそれなりに残っているようだ。
丸ポストのような知名度はないけれど、丸ポストと同じように味のあるアイテムだと思う。末永く残ってほしい。
※2018年1月27日現在、ポストは健在。
※2019年1月26日でも健在。炭疽菌の張り紙はなくなっていたかも? また、駐車場のポストは1口から新しい2口に更新されていた。