町中にある不思議な構造物のような、ちょっと気になる光景を取り上げ、当事者に取材して由緒由来などを解説した内容で、どことなく当ブログと競合するようで、実は密かに気にしている。
23日の同コーナーは、「法務局前のバス停/なぜ「市町村会館前」?」と題したバス停の名前について。
新屋西線に「市町村会館前」というバス停があるが、同会館とバス停は100メートルほど離れている。法務局・合同庁舎・県警本部なども近いのに、なぜ同会館をバス停名に採用したのか?――というのが記者の疑問のきっかけ。
バス会社に聞くと、旧秋田市交通局から引き継いだ路線なので、「命名経緯は分からない」。
市町村会館を管理する秋田県町村会に聞くと、現会館は1998年建設で、それ以前はバス停の目の前の位置(現在は駐車場)に「県自治会館」という名称で存在した。つまり「バス停はもともと『自治会館前』だったのでしょう。建て替えた時に現在の名前に変わったのでは(原文のまま)」と説明を受け、記者は納得したらしい。
僕に言わせれば、わずか11年前のことなのに、当事者である町村会の「『自治会館前』だったのでしょう」「変わったのでは」という憶測じみたコメントが無責任(別にバス停名にまで責任はないが)というか他人行儀というか不思議。
僕は、この停留所がかつては「自治会館前」という名称だったのをはっきり覚えている(いつ改称したのかや、建て替えたことは知らなかったが)し、僕以外にも多くの秋田市民が記憶しているはずだ。新聞記事にするほどのことでもないと思う。
それだけ僕が歳をとり、なおかつ町村会職員や新聞記者が若い人あるいは秋田市に最近来た人だということかな?
※話が逸れますが、20数年前、「五城目のトメさん」という、秋田市の北にある五城目町に住むおばあさんが引き起こす珍騒動を秋田弁で語る漫談(?)が流行った。
その1つに、トメさんが秋田市に出てきて、ある建物に入ると中は老人ばかりだった。どうしてだろうと思っていたら、そこは「ジジ会館=爺会館→自治会館」だった。という話があったはずだ(詳細は曖昧です)。
小学生だった僕でも理解できるおかしい話だったし、「自治会館」という建物の存在も知ることができた。
(なお、秋田の特に年配の人は「自治」を「じち」でなく「じじ」と発音する人がわりと多いはず)
新聞記事に話を戻して、後段では、
別路線の「八橋南一丁目」停留所は、2006年までは「酒造センター前」と言っており、これももとは交通局の路線。
ここには2005年まで県酒造組合、1995年まで県醸造試験場はあったが、「酒造センター」という名称・通称のものは存在しなかった。醸造試では「交通局が通称を付けてくれたのかも」と話していた。――という内容。
「酒造ナントカ」という名の停留所がなくなったのは知っていたが、本当にそういう施設があるのかと思っていたし、移転していたのは初めて知った。この件は勉強になった。
たしかに、旧秋田市交通局のバス停は、多少テキトーに命名されたと思われるものもあったから、分からないでもない。(例えば以前記事にした「扇田=おうぎた」なのに「おうぎでん」と呼ばれるバス停など)
ただし、記事中、このバス停が「もともとは市交通局のバス停」というのは正確ではないと思う。交通局移管開始前から、緑色の民間バス会社の「県庁・八橋経由車庫(秋田営業所)行き/発」も共用していたはずだけど。
記事は「うーむ。バス停の名前って意外と謎が多い?」と結んでいるが、当ブログをご覧いただけば分かるように、その通り。特に秋田では。
どうせなら、「木内前をなぜ木“ノ”内前にしたの?」「西部市民サービスセンターなのに、なぜバス停名から“市民”を抜いたの?」「CHIYODAMATI(ヘボン式・訓令式混在)、SAKURATYOU(“ちょう”でなく“まち”が正当)などローマ字表記がいい加減なのはなぜ?」「長崎屋じゃなくなったのに、いつまで“長崎屋”バスターミナルなの?」といったことを追求してほしかった。これらは、みんなここ数年のうちに緑色のバス会社がやったことだから、「交通局が…」という“言い逃れ”はできないですぞ。
というのは、皮肉&冗談として、僕が前から本当に気になっていたバス停名がある。
「旭北前(きょくほくまえ)」だ。
略図。上が北。矢印はバスの経路、青い●はバス停旭北前停留所はドン・キホーテのすぐ北側、東北電力の角の交差点付近にある。この交差点で路線が分岐して、すぐ先に停留所があるため、3つのポールがある。
新国道の北行き車線のバス停。「市営バス」の字が透けているのが泣かせる…後方に工事中の旭北歩道橋が見える新国道上には向かい合って2つ。これは、
【2018年10月8日追記】2017年頃まで勘違いしていた。新国道側の旭北前は、新港線だけが乗降を扱うもので、長崎屋経由車庫行きは通過する停留所なのだった。だから現地のバス停には、車庫線の時刻表は掲出されていない。一方で、路線図では車庫線も旭北前に停車するように受け取れる記載方法(要は他のバス停と同じ表示で注記もなし)で、誤解を招く。某所へ要望したので、2019年以降に何らかの変化があると思う。下の関連記事リンク参照。
※上の写真の新国道側旭北前は両方向とも、2017年末頃に表示板が更新された。
もう1つは、交差点東側の大町へ抜ける市道。
2002年交通局時代のもの。手書きで味のある看板だが、現在はカット文字に手直しされている交通局から移管された「川尻割山線」のうち、一方通行の関係で上り(秋田駅行き)だけがここを通る(下りはドンキホーテの裏側を通るため旭北前がない)。
「旭北(きょくほく)」というのは地名だが、実際には「旭北○○町」という町名で存在する。バス停周辺は「旭北錦町」だが、長崎屋バスターミナルを使用していなかった旧交通局では、「旭北錦町」という路上の停留所があった(移管後の現在はバスターミナルに入るようになったが、ラッシュ時間帯の割山線だけはターミナルに入らずに錦町を通るのかな?)。
2002年市営バス時代の「旭北錦町」。バスターミナルに出入りするようになったのは移管後のこと「地名+“前”」というバス停名称ってあり得るだろうか?(「○○入口」はよくあるけど)
仮にあり得るとしても、バス停所在地は、旭北のど真ん中って感じの場所だから、やはり「旭北“前”」はそぐわない。
旭北の名を冠したものには「秋田市立旭北小学校」がある(所在地は山王三丁目)。
旭北前とは、ひょっとして「旭北小学校前」という意味だろうか?
学校にもっとも近い、新国道の北行き車線の停留所を起点にすると、新国道を70メートルほど北進し、工事中の歩道橋付近を左折し、80メートル西進すると、学校の正門に着く。計150メートルでは「前」より「入口」だろう。
また、同校サイトの沿革によれば、昭和13年に「豊島町から現位置に校舎を移転」とある(豊島町は現在の大町五丁目辺り)ので、昔はバス停の前に学校があったというわけでもなさそう。
そもそも学校の前という意味なら「旭北小学校前」もしくは「旭北小前」だろう。「旭北前」はおかしい。
「旭南(きょくなん)小学校前」というバス停はありますが…(新屋線上り、牛島回り茨島環状線)小学校以外には、この近くに旭北の名を付けたものはほとんど存在しないと思われる。
上の方で紹介した、交通局時代の「旭北錦町」の写真を見ると、次のバス停名が「山王十字路/寺町 です」と書かれている。
また、以前掲載した、新国道南行き車線の「山王十字路」の次のバス停名は「○○交通前 です」(=現在の長崎屋バスターミナルや旭北錦町)となっている。
つまり、「山王十字路―旭北前―○○交通前/旭北錦町」もしくは「旭北錦町―旭北前―寺町」という順番のはずなのに、次のバス停名表示では、旭北前が無視された形になっている。
旭北前は比較的新しくできたバス停なのだろうか?
秋田市公式サイトで創刊号からの広報紙「広報あきた」を「旭北前」で検索してみた。
1962(昭和37)年5月1日発行の189号バス路線経路変更の告知記事に「旭北前」の記述があった。当時はまだ路面電車が走り、「山王十字路」すらまだなかった時代(八十刈(やそがり)交差点と言ったらしい)。住居表示実施前だから「旭北錦町」もなかっただろう。
そんな昔から存在する、かなり息の長い停留所名のようだ。無視されてかわいそう。
【2025年7月12日コメントいただき追記・1954(昭和29)年頃と考えられる路線図にも、「旭北前」があった。現在で言うところの川尻割山線のみが通っている。】
いろいろややこしく書いたが、結局、僕には「旭北前」の由来が分からない。
何かご存じであれば、お知らせください。
※2020年の関連記事。
「市町村会館」のように秋田に古くから住んでいる者は経緯を知っているが、そうでない人には分からなかったり不思議なものっていろいろあるはず。そうした溝を当ブログが少しでも埋められればいいと思っているのだが、バス停シリーズも結構ネタになりそう。今後、続編を展開するかもしれないので、期待せずにお待ちください。
※同じく命名が謎の「勝平二丁目」バス停の記事