8月3日から6日まで、秋田市で「秋田竿燈まつり」が開催。
これまでの梅雨空から一転、3日は晴天。4日に梅雨明け。珍しく、最終日まで雨の心配がまったく要らなかった。6日は最高気温33.6℃。
「昼竿燈」という言葉がある。
竿燈は、夜に提灯に灯りを入れて行うのが本来。夜の竿燈を「夜竿燈」とはあまり言わない。秋田市竿燈まつり実行委員会では、「夜本番」と称しているが、これも市民に通用はするだろうが、自発的には言わないだろう。
「昼竿燈」は、広義では昼花火や昼行灯のように、「竿燈を明るい時間に揚げること」を指したり、もう少し狭めて「竿燈まつり期間中の昼間に、市内あちこちで揚げられる竿燈のこと」、「竿燈まつり期間中の昼間のイベント全般」を指すかもしれない。
狭義では「竿燈妙技大会」を指す。「妙技会」と呼ばれることも多い。
毎年8月4日から6日(※)の昼間に行われる、竿燈を揚げる技やお囃子の競技会のこと。
※(夜の)竿燈は日数や日程に変遷がある。少なくとも1988年に4日間になってから(それ以前は8月5日~7日)は、妙技大会は初日を除く3日間。
報道では、NHK秋田は「「竿燈妙技大会」は日中に行われることから「昼竿燈」とも呼ばれ」、秋田テレビは「竿燈妙技大会(昼竿燈)」、秋田魁新報は「妙技大会(昼竿燈)」としている。
現地の表示は大きく「昼竿燈会場」、小さく「第78回 竿燈妙技会」
現在、公式には、竿燈妙技会と昼竿燈が同義に扱われている。
竿燈妙技会は、エリアなかいちができた2012年から、その広小路に面した「にぎわい広場」が会場。
それ以前は、なかいち向かい、千秋公園に向かう「中土橋通り」で行われていた(2009年)。
なお、雨天時は秋田市立体育館で行われる。
ブログ「二〇世紀ひみつ基地」によれば、過去にさかのぼれば、風の影響をなくし公正な審査をするため、天候に関わらず市立体育館(おそらく移転前の現・県庁第二庁舎の場所の頃?)で行われたことがあったようだ。また、妙技大会ではなさそうだが、大正時代など戦前に、中土橋や広小路で昼に竿燈が揚がった写真が残っている。
そして、2000年から2006年は、また別の場所で開催された。
2001年8月5日(日曜日)に撮影した写真を2つ。


通町の通り(県道233号)が会場だった。
上はどちらも通り北側歩道からの撮影で、1枚目は東・通町バス停~通町橋方向を、2枚目は西・大町通りが突き当たる丁字路付近を、それぞれ撮影。
2枚目の写真で、茶色いビル(当時は大町企画ビル、今は大町第2レインボウビル。1982年5月築)の右、とんがり屋根のテントがある場所は、丁字路角・現在のセブン-イレブン秋田通町店(2013年開店)。
その右の緑色は秋田市民俗芸能伝承館・ねぶり流し館。
それらの奥の赤い四角い看板は、秋田ニューシティ(2010年閉館)の「辻兵」のもの。この時点ではまだダイエー秋田店も入っていた(2002年8月31日閉店)。
以下、当時の状況は「広報あきた」での告知に基づく。
会場の名称は、2003年まで「通町商店街」、2004以降「通町」の表記だが、場所自体は同一(2000年のみ一部例外あり。後述)。
妙技大会会場としては、通町橋たもとから丁字路にかけて100メートル程度。県道の交通規制は、それに通町橋を含めた区間。短い感じもするが、中土橋やなかいちで開催できているのだから、その程度で充分か。
丁字路以西や大町通りは規制されなかった。通町経由の路線バス各路線は、竿燈大通りへ迂回。直進して通町二区を通る路線は、大町西交差点~菊谷小路との交差点まで迂回するため、通町二区は臨時バス停で対応したはず。
1998年に始まったヤートセ秋田祭は、菊谷小路との交差点まで交通規制して開催していたイメージが強い(通町開催は2024年が最後)。しかし、開始当初はアゴラ広場や中土橋でやっていたそうだ。遅くとも2000年6月には通町で開催されていたので、商店街の受け入れ態勢や交通規制のノウハウは共有できたかもしれない。
ちょうどこの直前(1998年だそう)、通町~大工町の道路拡張が終わって広くてきれいな通りになったことが、会場変更の理由ではないだろうか。
妙技大会は通町が会場になる前も、中土橋でやっていた。
中土橋と比べると、空が広くて開放的で、夏空に映える竿燈も美しいと感じて撮影した記憶がある。

二〇世紀ひみつ基地によれば、通町は風の影響が大きいため、出場者から不評で中土橋に戻された由。たしかに、通町は東西に風が抜けてやりづらそう。
そして、竿燈は城下町の庶民の祭りである。旭川より西側が町人の住む「内町」だったわけで、それにふさわしい会場だとも思った。上の写真で演技中なのは「上亀之丁」だが、会場すぐそばの町内。
夜の竿燈は1988年に4日間に拡大されたが、当初は8月4日~7日(1992年「ひらり」)。
昼が通町に移った2000年が、その最後の年だった。2001年から現行の8月3日~6日に前倒し。
2000年の通町での開催は変則的だった。
妙技大会自体は5日~7日だったが、4日の午後も通行止めにしてイベントを行っていた。ステージも作られたようだ。
同時開催として「サマーフェスタ美心2000」なるもの。
「美心」は見慣れぬワードだが、「びごころ」と読み、1998年策定「秋田市観光振興計画」の「メインテーマであり、美酒・美食・美林を彷彿させる「美」をコンセプトとしたもの」。※当時のタバコの袋。
4日は、バトントワリングパレード、大抽選会、ジャズダンス、民謡舞台。
5日・6日は盛りだくさんで、港ばやし、ヤートセ、大道芸(チンドンミュージック、中国雑技)、特産品実演販売等々。
それらの分なのだろう、会場が西方向へ1ブロック長く、交通規制はせきや東(上肴町の通りと交わる)の信号機のない交差点まで実施。
2001年からは3日間(4日~6日)に。
2001年は4日と5日に「街の風音楽祭」を開催。大町と通町の商店街の主催だったようで、通町、サン・パティオ大町、日本銀行秋田支店前でのストリートライブを開催。今の「アキタミュージックフェスティバル」に通じるものか。
5日には妙技大会会場(終了後)で、南米カーニバル「サヤパレード」。
同じく5日に、通町佐野薬局隣で、「秋田市俳句人連盟」の創立記念イベントとして、その場で誰でも投句できる「野外俳句大会」を開催。
2002年は、4日と5日に港ばやしやヤートセの他、西馬音内盆踊り、羽川剣ばやし(秋田市下浜羽川)、エレクトーンミニコンサートなど。
「竿燈まつりの協賛イベントです」と明記して、「野外俳句大会」も継続。俳句の題材は「竿燈まつり」。
2003年は、妙技大会前日の3日に野外俳句大会。日曜日だから曜日の都合?
郷土芸能、エレクトーンは「サマーフェスタ2003」として、駅前のアゴラ広場へ。
また、「あきた特産市」が市役所前と産業会館跡地でおそらくこの年から開催。これが現在の「あきた竿燈屋台村」の原点なのだろう。
特産市は中土橋やアゴラで開催された年もあり、2009年は産業会館跡地で特産市、市役所で「秋田竿燈屋台村」と区別。2010年はアゴラも含めた3会場で「竿燈屋台村」を開催。
なお、ニューシティ跡地の屋台は、秋田商工会議所主催の別イベント。ニューシティ解体後の2011年に「B級グルメフェスティバル」として始まった。2012年から「ご当地グルメフェスティバル」。
2003年8月4日17時35分。市営バスは市章がシールの131号車
↑この日は時折雨で、路面が濡れている。妙技大会はどうだったのかは不明だが、各店舗前には出店に使うのかテントがある。夜は開催された。
2001年にも写っているが、妙技大会開催区間の沿道に、電球入りの提灯が設置されていた。本物の竿燈の提灯に似た、立派なもの。ここは電柱がない(地中化ではなく裏側に配線)ので、施工は大変かも。
なお、道路拡張前は、竿燈期間中に商店街が独自に、大量生産品の赤と白の縦縞の細長い提灯を設置してた。当初は電球入りだったが、平成になる辺りに電球なしになった。
また、竿燈大通りの夜会場にも、ピンクと白の細長い提灯が設置されていた。秋田魁新報、秋田放送、秋田テレビの名入り・電球付き。
(再掲)2009年
2010年は設置されていたが、2011年はなし。東日本大震災による節電が理由だろうか。それ以降、設置されなくなり、竿燈の観客への落下防止のワイヤーのみ張られる。
2004年は4日に野外俳句大会。サマーフェスタはアゴラ。
2005年、2006年も同様。2005年7月末に、ねぶり流し館隣の旧金子家住宅の公開が始まる。
2007年には、妙技会とともに俳句大会も中土橋近くの市立中央図書館明徳館前に移り、4日~6日開催の「竿燈祭り俳句大会」に(事前募集形式に?)。通町でのイベントはなさそう。
なお、俳句大会は2011年には開催されているが、2012年の広報には情報がない。現在は開催されていなそう。
竿燈を中土橋に戻した理由は、上記の風だけではないのではないか。
長時間の交通規制が生じること、秋田駅からやや距離があり、観光客の移動や食事・休憩場所の問題などもあったのではないだろうか。秋田市の商店街の中ではがんばっている通町ではあるが、観光客を満足させられるとは限らない。
2026年8月6日16時
↑2003年の写真とほぼ同じ位置から。2001年にはこの付近にお囃子のステージがあったはず。この背後、高砂堂付近には置き竿燈もあった。
今も時折、旅行客や竿燈演者が歩くものの、装飾も目立った出店もなく(キッチンカーは来ていたか)、いつもの風景。商店街も25年前よりは寂しくなった。あと、ここの路面のブロックというかタイルが白くて、反射がまぶしい(市道区間は違うブロックなのでそれほどではない)。
最後に、2000年代の広報あきたの会場案内図では、妙技大会の会場に「昼竿燈主会場」と記されている。
となると、「主」でない=妙技大会でない昼竿燈の会場もあることになり、妙技大会=昼竿燈ではなくなる。冒頭の定義に戻るが、この頃はもっと広い意味だったことになろう。僕がとらえている昼竿燈は、これに近く、なし崩し的に【7日訂正・知らぬ間にあいまいにしつつ、しれっと】意味が狭められたことに違和感がある。
竿燈じゃないものを見せられて「昼竿燈」はおかしいということならいいが、市主催にしても、協賛イベントにしても、まつり本体以外を開催する余力【7日補足・経済面、人材面とも】がなくなってきたことを意味したりはしないだろうか。
【7日追記・夜について】夜の竿燈の入場前に開催されていた「民謡手踊り(2000年代まで?)」や「市民パレード」が、今年はなくなった。代わりというわけでもないだろうが、初日と最終日の全演技終了後に八橋運動公園を基地として、500基のドローンショーが行われた。大阪・関西万博でも行われた、秋田市出身の人が経営する企業によるもので、好評。
この変化も、突き詰めれば同じことではないだろうか。踊りやパレードでは、無償の出演者の確保、複数団体との調整が必要だったが、ドローンショーは、1社に頼めば済むのだから(準備風景を見たが、社員らしき人が10人程度しかいなかった)。(以上追記)
通町以前、20世紀は中土橋で昼竿燈が行われていたとしたが、実は1980年代は、また違う場所で開催されていた。今年の竿燈は終わってしまいましたが、続く。