広く浅く[blog.goo.ne.jp/taic02より移転]

https://blog.goo.ne.jp/taic02 から移転。秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記など、広く浅く、時には中途半端に深く、いろいろと。

はじめに

2008年9月12日から、gooブログ(https://blog.goo.ne.jp/taic02)で投稿していました。
gooブログが2025年11月18日に終了することになり、2025年9月3日から、この、はてなブログへ移転して、継続することにします。
デザインや操作の違いにはまだ慣れませんが、「心機一転」ではなく、gooブログ時代と方針を変えず、極力、同じブログにしていきたいです。どうぞよろしくお願いします。

 

お読みいただくにあたって、ご案内とお願いを記しておきます。

●ブログの題材について
長年住んでいる秋田市、大学時代を過ごした青森県弘前市の風景、出来事、地理、さらに旅行記、植物など生き物、ランチパックなどメーカー製のパンなどをよく取り上げます。
鉄道、路線バス、信号機、書体(フォント)なども扱いますが、そこまで専門的な知識がなく、また、詳しくないかたにも分かるように記すので、知ったかぶりだったり、回りくどかったりするかもしれません。


●ご覧いただく際にご承知おきいただきたいこと
当ブログは個人が収集した情報に考察等を加えた個人のブログです。したがって、扱っている内容の当事者とは関係ありません。
また、根拠や出典を明確にするよう心がけていますが、必ずしも正確な情報ではない場合もあり得ます。アップ後に状況が変化した際は、その旨を追記するよう心がけますが、フォローしきれない場合もあります。
これらの点をご了解いただき、当ブログの内容を元に、出かけたり買い物したりする際は、公式な情報も確認するなど、ご自身で判断するよう、お願いします。


●記事の探しかた
いろいろな分野を記事にしているので、ほしい情報が見つけづらいことがあるかと思います。
主なカテゴリーごとの記事一覧は、以下のリンクからどうぞ。gooブログ時代はカテゴリーを1つしか設定できなかったので、大雑把ですが。

秋田の季節・風景  秋田のいろいろ  秋田の地理  秋田市営バス

津軽のいろいろ    旅行記

ランチパック・パン    各地のお土産・食べ物

 

カテゴリーのほか、ブログ内の検索窓を使っても、見つけづらいこともあります。
その際の手段として、Google検索で「キーワード taic02」で検索すると、見つかることもあるのでお試しください。「バナナボート taic02」「バスダイヤ改正2024 taic02」などです。【2026年4月23日補足・ブログ移行の結果、gooブログ時代よりも検索に引っかかりにくくなっています。確実にその記事があるのに、検索結果に表示されないものも多く、何とかならないものか…】


●コメントについてのお願い
読者の反応が分かるコメント機能は、ブログならではのものです。感想、質問、情報提供等がありましたら、コメントをお送りください。古い記事へのコメントもどうぞ。

ただ、コメントは、ネット上で世界中の人の目に触れ、長く残るものです。この点を理解いただき、常識と良識あるコメントをお願いします。また、すべてのコメントにお返事するとは限りませんので、ご了承ください。

なお、コメント欄以外のメッセージ送信方法として、メールによるものを導入しようか考えているところです。開始時にはここに追記します。【2025年10月13日追記・プロフィール(about)ページ内に、メールアドレスを掲載しました。「アットマーク」を「@」に変えれば送信できます。】


●リンク、引用等、二次利用について
当ブログへのリンクはご自由に。文章の引用は、常識の範囲内でお願いします。いずれも連絡は不要です。

画像の転載や、当ブログの内容を元にした商用利用(報道等)は、当ブログが出典であることを明示いただければ、いいことにします。この場合は、連絡していただけるとありがたいです。


●gooブログからの移転関連のお知らせ
移転時に、コメント、画像の転送と過去記事へのリンク修正を行っていますが、一部、対応できていない可能性もありますので、ご了承ください。
gooブログの個々の記事へのリンクやブックマークをされていたかたは、2025年11月以降、表示できなくなる点も、ご承知おきください。なお、gooブログの記事個々のアドレスは「https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/★★★」の形式ですが、★★★部分は、移行先のはてなブログでも共通です。したがって、「https://taic02.hatenablog.jp/entry/★★★」に変えると、はてなブログ側で同じ記事を見られることを、参考までにお知らせします。
【10月13日追記・gooからインポートしたコメントについての不具合を発見】
コメントの行頭に半角「>」がある行は、はてなブログでは表示されなくなっていました。
したがって、記事中からの引用や、複数のコメントにまとめて返信した際等の相手のお名前が、消えてしまっているものがあります。【11月29日追記】インポートしたコメントでは、本来よりも改行が多く入る不具合もありそう。(以上追記)

 

※この記事は2025年9月3日アップですが、ブログ最上部に表示させるため3025年の日付としています。

初夏の花々 ’26

東北はもう1週間ほど、梅雨らしい天候が続きそうで、蒸し暑い。このまま雨の被害なく明けて、ほどほどの暑さでお願いしたいのですが。【21日追記・19日に、今季初めてアブラゼミが鳴いていた、ような気がした。】
この1か月ほどの秋田市内で見かけた、花や植物をまとめて。

大町二丁目、日本銀行秋田支店と秋田ニューシティ跡地(秋田いすゞ自動車中古車センター)の向かいにある、「大町通り」下り側バス停。大きい建物は元・ファッションアベニューAD


「大町神明社」という小さなお社の前
右隣の駐車場は、2015年まで「フレンドビル竹谷」だった。
バス停上屋が建つ部分は(AD前まで含めて)歩道かのようにも見えるが、実際には各施設の民有地だと思う。厳密には歩道がない道路。
バス停上屋の左、電柱の根本。

お隣とのブロックの境のわずかなすき間から、タチアオイが生えて咲いていた。
真夏の花と思いがちなタチアオイだが、実際にはアジサイと同じ頃に咲き出す。秋田市内の庭植えなどのタチアオイよりはやや遅く、小ぶりだが、あまり見ない(白とピンクが多いかな)赤紫色の花をたくさん咲かせていた。

今はないが、以前は神社の前の植栽にタチアオイが植えられていたような記憶があるので、そのこぼれ種だろうか。

 


春に3種の桜が咲いていた、奥羽本線・第一手形谷地町踏切。
その東側に初夏は、

ノウゼンカズラ
春の記事で触れたとおり、2010年代前半まで、ここにクリーニング店があった。解体後は柵だけになり、そこから生えた。2020年のストリートビューでは何もなく、2024年でも草丈は低かった。

 


踏切西側の北方向、千秋北の丸付近の小高い道路から、千秋中島町方向を見渡すと、鮮やかな黄緑色というか黄色の葉っぱがこんもりしているのを見つけた。蛍光ペンで描いたような人工的な色にさえ感じた。
近くへ行くと、

黄色くないのは違う種なのか、剪定されたからか
県立秋田北高等学校の塀際(地震対策で以前より低くされた)の生け垣の針葉樹の新芽だった。


カイヅカイブキかと思っていたが違いそう。コニファー?

 


秋田貨物駅付近の奥羽本線の外旭川側には、歩行者自転車道が並走し、その境に水路と網状の壁が立っている。壁は防音や防風目的なのだろうか。

車窓から眺めていたら、1か所だけ、鮮やかな赤い花が、塀の上から線路側になだれかかるように咲いているのを見つけた。
旅客列車は高速で通過するし、貨物駅があるので線路反対側から見るのも困難。歩行者道で現地へ。


濃いピンク色のつるバラだった。
線路側のほうがたくさん茂って咲いており、道路側はわずか。その根本は、道路側の塀の元
塀の途中には葉も花もほとんどなく、上で一気に繁茂している。
周りにアジサイ(この時点では咲き始め)はあるが、つるバラはこの1本だけ。
また、大きい木はキササゲだと思うが、これは自然に生えたものだろう。

同じ道路の泉踏切~泉外旭川駅辺りでは、桜や梅のほか、地域の人が植えたと思われる園芸植物がある箇所もある。ほんとうのところは問題なのかもしれないが、悪影響はないし、黙認状態なのだろう。
つるバラも種で増えることもあるようだが、やはり誰かが植えたのか。

全体像
上の写真右下。水路のコンクリート壁の途中から、小さなガクアジサイが伸びて、2輪花を咲かせている。排水のパイプから生えているようだ。

榮太楼大町店の上

前回の大町五丁目の解体から北へ600メートル。竿燈大通りの二丁目橋から、旭川の上流方向の眺め。

2026年4月下旬
左の大町二丁目側、川沿いいちばん手前の2階建ての建物。

右の高いのは空き家同然の「新秋田ビル

 

岸の枝垂れ桜が終わりかけ

「菓子舗榮太楼(栄太楼、えいたろう)」の大町店(大町本店とも?)だった建物。明治16年の創業地がここだったそうだが、1980年に本社工場が移転、1981年にできた。当初は1階が店舗で、2階は旭川を眺められる喫茶だった。

ちなみに、東京日本橋に榮太樓總本鋪があるが、日本橋とここの川沿いの立地が似ているとして、秋田の創業者が日本橋の了解を得て名乗ったらしい。
また、榮太楼ではかつて旅館も経営していたが、ここから500メートルほど上流の対岸。


いつの間にか喫茶はやめて、跡は2005年に「東海林太郎音楽館」ができた。
2019年6月29日に、1階の店舗も閉店。秋田銀線細工の「矢留彫金工房」となっていた。【18日追記・引き続き榮太楼の所有管理なのだろうが、お菓子は買えなくなった。】
今、初めて知ったが、建物全体が「榮太楼ふるさと文化館」という名称らしい。

 

その建物に足場が組まれていた。

正面。「榮太楼ふるさと文化館」とある
そうか、ついに榮太楼大町店だった建物も解体か、と感傷にふけったが、そうではなかった。写真では閉まっているが、音楽館も工房も廃止や移転していない。
足場は全面でなく川側をメインに、6月に入った頃まであったかと思うが、現在は撤去された。

現在。旭川は増水中

屋上と川に面した壁の、榮太楼関連の表示を撤去したのであった。
正面の「菓子舗榮太楼」や、南・竿燈大通り向きの「さなづら」の広告はそのまま。
老朽化により維持管理も大変なのだろうし、屋外広告物の手続きもしないとならないし。

ここでお菓子が買えると思ってしまう人もいるだろうから、まぎらわしさは低減されたが、屋上にあった榮太楼のロゴがなくなるのは、少々寂しい。

板に描いたのではなく、横方向の棒でできた立方体に、鋳物か何かのロゴを付けている。4面ともロゴがあったが、南北面は面積が狭いので小さなロゴ。ロゴは元は白かったようだが、だいぶ色が変わった。

ロゴマークも、松をモチーフにした榮太樓總本鋪のものと似ている。これは足がたくさん生えたクラゲのようにも見えるけれど、これも松なのでしょう。横書き文字は榮太樓總本鋪右から左で、秋田は左から右。昔は秋田も右からだったのかも。

 

ところで、上のリンクの新秋田ビルの記事の通り、かつては新秋田ビルの上に「HITACHI」の広告看板が載っていた。
そして、新秋田ビルと榮太楼の間の2階建ての建物の上には「京ごふくせんもん店/ちんがら呉服はしや」の看板が出ていた。その建物がそのお店。ストリートビューでは2024年5月時点ではあった看板が、現在は枠だけになっている。現在、正面には看板があるが、シャッターはいつも下りている。
はしやの看板があった当時は、南側からは榮太楼の看板は隠れてよく見えなかった。
空き店舗が多く寂しくなった一帯だが、看板類も寂しくなってしまった。

2002年8月。土手長町歩道橋から
秋田ニューシティに入り、閉店する直前であったダイエー秋田店の看板と榮太楼。壁面には「旬・美・菓 大町工房」ともあるが、名前に覚えはある気がするが、何を意味するのかは覚えがない。

元・第一会館本館 解体

秋田市街地の建物解体シリーズ。※前回の記事
大町五丁目4番地、歓楽街・川反(かわばた)の1本西隣の大町通り(赤れんが館通り)。

2026年4月初め
白いビルは、かつて「第一会館(㐧一会館)本館」だった。本館(本店ではない)には本社機能と宴会場などバンケットホールがあった。川反通りには「第一会館川反店」があり、小さい宴会場や居酒屋など複数の飲食店(おそらく直営)が入っていた。

 

1970年設立の企業だそうだが、2019年9月に倒産。どちらの建物も閉まった。川反店のほうは今なお、そのままのはず。
本館は2020年6月頃に、中通から移転した「東北バルブ株式会社大町支店」が入った
エントランスのドア上には「互大大町第一ビル」というビル名らしき表示があったが、後に、その横の壁に東北バルブ大町支店の名と並んで「互大設備大町ビル」という表記も設置され、ビル名はよく分からない。Googleマップでは「ロイヤルユウ大町」という、近く――上の写真で背後に写っている――のマンションの名を表示してしまっている。

秋田ではわりと知られた、「互大設備工業株式会社(ごだい~)」関連のビルになったのだろうが、5階建てのビル全部に東北バルブが入ったのかなど、詳細は分からないままだった。

 

今春、気が付いた時には、仮囲いが設置され、内部解体がされていた。
エントランスのひさしは、第一会館~東北バルブ初期は、内側が白い天井で覆われていたが、今は鉄骨がむき出し。2020年10月から2022年10月の間に、天井板が撤去されている。


5年ほどでなくなってしまうのは、場所やビルの本来の用途からして使い勝手が良くなかったのか、老朽化のためか。東北バルブがどこへ行ったのかは不明【15日追記・新国道沿いへ移転したとの情報をいただいた】【16日追記・八橋新川向のタイヤ店「ドーヴィル」隣接地。2024年頃まではドーヴィルは「ダイリン」で、その当時はどちらもダイリンの別棟の店舗だったようだ。自動車販売店っぽい作りなので、もともとはそういう用途だったのかも。外観は企業名のみ表示で支店名の表記はなさそう。】。

 

現在は建物自体の解体が進んでいる。

7月初め。南側から


恒例ですが、跡はどうなるか。

秋田駅トラス電化柱1つ撤去

秋田駅北方の東側で、おそらくアンダーパス工事の関係で、電化柱(架線柱)の建て替えが行われている話で、さっそく続き。先週初め時点では、前回記事の状態だったと思う。
雨降りなどもあって1週間見ないでいたら、南側から
2つあったトラスの架線柱が、1つだけになっていた。南側の51番が撤去された。
ただ、
東側の柱が残っていた
西側の柱は、根本部分が少しだけ【16日追記・コンクリートの台座込みで膝丈程度】残っていた。

 

独り立ちした、新しい51番のビーム部分
「D」と架線の系統(?)を識別するための表示が付いていた。先に新しくなっていた4・5番線の49番では、巨大な「B」だったのに、こちらはだいぶ小さい。この違いは何だろう。

 

52番は新旧共存
残る52番の前後の線路際(撤去された線路跡)に、撤去されたトラスの部材(の一部)が置かれていた。【14日追記・残されていた部材は、全体の4分の1にも満たなそうな量。どうしてこれっぽっち残したのか不思議。】

奥はビーム、手前は柱だったはず
撤去されたビームにあった「D」も同じくらいの大きさだが、文字色が違う。
間近で見ると、ビーム部分は錆が激しく、柱部分はそうでもなかった。

次は52番の撤去か?

秋田駅の電化柱2

JR東日本・秋田駅構内の電化柱(架線柱)の続き。引き続き、見当違い等あるかもしれません。
前回は、4・5番線の北側(奥羽本線下り、土崎・青森方面)すぐ先に、「副49-3」「副49-4」と記された2本の柱が、2025年11月に新たに立てられ、その後、架線を吊るして供用されている話。

今回は、8番線の東側。北から出入りする留置線が何本もあり、留置線に市道が沿っている区間がある。
その既存の電化柱のそばに、新しい柱だけが立っているのに気付いた。


上の写真では、左・東側の既存の柱よりも内側に、「2026年2月」の「裏副53」「裏副53-1」が2本並んで設置された。
向こう、西側には新しい柱は未設置。

 

前回も触れたように、電化柱の材質はいくつかあるが、秋田周辺ではコンクリート製が基本。上の新旧53番も。
だが、秋田駅構内には部分的に違う電化柱がいくつかある。53番の2つ南側だから51番。

金属製のトラス構造の電化柱
橋の上の電化柱はこれが多いし、電化の最初期には地上区間でもよく用いられたようだ。
秋田駅周辺は50年ほど前の電化時に一括設置だろうから、時期的なものではない【13日追記・ただし、付近にあった機関区の廃止や、鉄道用地の縮小を経てきているので、部分的な建て替えはあった可能性もある】。地盤など何らかの制約があったのだろうか。
その間の52番は、東側はトラスで、西側はコンクリートという折衷【下に写真あり】。


そんな51、52番にも、内側に新しい柱が建った。一見、コンクリート柱と見紛うが、質感が少し違う。
トラスではないが、金属製のようで鋼管柱というものか。電信柱や信号柱を太くしたようなもの。やはり何らかの理由があって、ここは材質を変えているようだ。
こちらは東側の内側(裏副51、裏副52)と西側(裏副51-1、裏副52-1)に1本ずつ。ひと月早い「2026年1月」。

 

思い起こせば、この付近は、
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250905/20250905013037.jpg(再掲)2021年
以前は、いちばん東側の留置線に車両が入っている時は、道路から手が届きそうなほど間近に見ることができた。ストリートビューでは2024年5月までその状態。
その後、東端の線路が撤去されて(冒頭の写真に枕木の跡が写っている)、そこに新しい電化柱が立ったのだった。

Weロードから
南側では錆びたレールが残っているが、おそらくつながっておらず、入線できない。


こんな具合に、秋田駅北方東側に、新たな電化柱がまとまって立った。
確認できた限り、東側は50番から53番にかけて。金属製の51と52は1本ずつ。50と53は、1か所に2本ずつコンクリート柱が立ったので、合計6本。
対になるであろう西側は、金属の51-1と52-1の2本。

前回も触れた、年月とともに記されたよく分からない表記は、コンクリート柱ではいずれも「井筒1号4段」、鋼管の51番は「井筒5号6段」、52番は「井筒5号5段」。

 

駅北側でも西側や、駅南方では、このような動きはない。
そして、新しい柱が立った箇所よりも北側・54~56番辺りでは、秋田市道のアンダーパス建設工事が行われていて、そこには2020年4月表記の供用開始済みのコンクリート柱がある。
右の副54と副54-1が新しい。左は古い柱のまま
【13日追記・54、54-1は井筒1号5段、2025年11月だった。】
区画整理施工中のエリアでもあり、留置線や電化柱が工事の影響を受けたるため、立て直しているということか。


5月最終週半ば。

52番と53番の間(52寄り)の線路際に、ピカピカの資材が置かれた。電化柱に取り付け、架線を吊り下げる「ビーム」だ。
旧来のビームは平らな棒状だったが、前回の49番の柱では太めのパイプ状だった。これはパイプ状ながら49番よりも細い。
なお、秋田駅北の線路近くに秋田支社がある、日本電設工業株式会社がこの工事に関わっているような表記があった。

週明け・6月初め。

51番にそのビームが付けられた。


架線の知識がなくて見方が分からないが、現段階では新旧とも、架線を吊り下げているということか?
新しいほうでは、ビームの下に碍子をはさんで黄色い棒状のものが渡されているのが目立つが、古いほうでは色がついていない同じようなものがありそう。そして、前回の49番にはそれに相当するものはなさそう。

 

6月第3週半ば。52番と51番の間に、再びビーム仮置き。
52番は右がトラス、左がコンクリート柱2本

翌週初め。
52番に設置

現時点では、50と53がビーム未設置。その後には、古い柱の撤去も必要になるだろう。アンダーパス開通はまだ先になるから、ゆっくりやっているのでしょう。
変化があればいずれまた。※早速変化が生じていた


そして、改めて見渡せば、秋田駅構内にはおもしろそうな電化柱もあったので、続く。

土崎駅の時計/総合車両ベース

秋田市土崎地区の話題が続きます。

JR奥羽本線 土崎駅
最近は週に1度は利用しているのだけど、いつの間にか変わっていたことに、今週気付いた。

 

駅舎正面、出入口の上の外壁に設置されていた、丸いアナログ時計がなくなった。照明は残る。
特に説明書きなどはなさそうで、撤去の理由は不明。

JR東日本以外も含めて、スマートフォンの普及と維持管理の手間や費用を理由として、駅の時計を撤去する事例が増えている。
土崎駅では、駅舎内、改札口上の時計は2022年に撤去されていた。ただし、秋田港ロータリークラブから2013年に寄贈された、港まつりのからくり時計が、改札向かって左の待合室入口にある(からくり部分は故障)。


今回もそのケースなのか。
学校と駅の正面には時計、という印象があるけれど…と思ったけれど、時計がない駅はけっこうある。
2004年にできた4代目弘前駅には、そういえばないのでは【10日追記・駅ビル前の雁木状の屋根下に、小さいデジタル時計があった気がするが、遠くからは見えない】。3代目駅舎には、ひっそりと小さいアナログ時計があった。
それに、秋田駅の東西の時計は、場所的に秋田市管轄の自由通路部分の壁にかかっているように思われる。泉外旭川駅では、秋田市管轄の自由通路の外壁に計3台も時計がある。長野県などでは地元企業であるセイコーの電気時計が駅前広場に設置されていることがあるが、それも自治体管轄だろうから、残すかどうかの判断基準は、鉄道会社とは異なる。【16日補足・秋田駅は西口の駅ビル壁面に時計があるが、それは駅ビル=JR系列の管轄かもしれない。ただ、鉄道部門の直接管理ではないだろう。】
JR直轄であろう土崎駅は分が悪そう。


2012年に駅舎外観がリニューアルされるより前から、同じ時計があったと思われる。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250906/20250906164107.jpg(再掲)2012年夜の風景

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250905/20250905201741.jpg(再掲)2010年
1970年代後半の写真では、同じ位置に、同じくらいの大きさの違う時計がかかっていた。

 

JR東日本秋田事業本部管内(≒秋田県内)で秋田駅、大曲駅(※)に次ぐ利用者数を誇る土崎駅。
※以前は秋田、土崎、大曲の順だったが、近年は僅差で逆転された。定期券利用者が微減なのが要因か? なお、旧・秋田支社管内に広げると、2位に弘前駅が入る。
泉外旭川駅のように秋田市が、もしくはどなたかが寄付でもして、自由通路や駅前広場辺りに時計を設置してもいいのでは、と他力本願。

 

 

さて、7月から、JR東日本の事業体制が変わって、秋田支社は秋田事業本部となった
事業本部内では、駅と乗務員が所属していた「統括センター」がなくなるなどしているようだが、部外者には全貌が分からない。
そのほか、車両工場や車両基地である「総合車両センター」、「車両センター」の名称が変わったことが判明。現地の表示が変わっている旨が、ネット上に多くあるが、公式情報は見当たらない。Wikipediaは旧名称のままだし、銀行など統合や移転があれば、誰かが素早く更新手続きをしてしまう、Googleマップさえ、まだ更新されていない。


土崎駅のそばに明治41年からあり、鉄道省「土崎工機部(1942年)」、国鉄「土崎工場(1952年)」などと変遷し、2004年から「秋田総合車両センター」となっている工場も変わった。
正面の表札的な表示板も変わっているそうだが、奥羽本線から見えるフェンスの表示も変更済み。その名は、


「秋田総合車両ベース」。
秋田以外も、旧・総合車両センターは「総合車両ベース」、旧・車両センターは「車両ベース」となったらしい。

7月4日に、秋田テレビのローカルニュースで「引退した電気機「山男」の見学会 ふるさと納税の返礼品として初開催 ファンが雄姿を堪能 秋田市 」が報道された。【10日補足・ネット配信のタイトルは「引退した電気機~」、画面の字幕は「引退した電気機関車~」。】
廃車となったEF64形電気機関車の限定公開が、ここで開催された。原稿中に会場の名称はなかったが、字幕では「秋田総合車両ベース/秋田市土崎港」と表示。
全国的に見ても、新名称が報道された早期の事例ではないだろうか。


新名称を知って、真っ先に連想したのが、「所ジョージの仕事場(事務所)兼遊び場のガレージ」。「所さんの世田谷ベース」とか。仮に世田谷にJR東日本の工場や基地があったら、どういうことになっていただろう。
あとは「軍事基地」。
それから、ヤマト運輸では、荷物を集めて仕分けする拠点のことを「ベース(ベース店?)」と称し、秋田県では秋田市御所野に秋田ベースがあるようだ。

 

なんか斬新で嫌いじゃないかと思ったが、「センター」を「ベース」に替えただけだ。内部でどんな変化があったか知らないが。
英語で車両基地は「depot」だそうで、工場なら「factory」だが、英語ネイティブに「base」はどうとらえられるだろうか。そして、その両者を区別するは「総合」という日本語で、従前と同じというのが、よく分からない。

ところで、秋田駅の南、金照寺山と一つ森公園の間にある車両基地。国鉄時代から「南秋田運転所」で、2004年に「秋田車両センター」となって秋田総合車両センターとまぎらわしくなったが、両者は独立した別個の組織だった。
ところが、2021年に、在来線部門と新幹線部門を分けた上、在来線側を秋田総合車両センターの下部組織とし「秋田総合車両センター南秋田センター」となった。新幹線側は独立して「秋田新幹線車両センター」に。
それらが7月からどうなったのかは不明。新幹線のほうは「秋田新幹線車両ベース」かもしれないが、在来線のほうは「秋田総合車両ベース南秋田ベース」だとしたら、なかなか珍妙な名前(旧称も似たようなものか)。


秋田では、秋田総合車両ベースのことを「コーキブ」と70年以上前の名称で呼ぶ人が、まだわずかにいると思われる。20年以上前の「土崎工場」は、充分通用するだろう。
上記の通り、「秋田総合車両センター」は南秋田とまぎらわしく、土崎であることが分かりづらかった。
秋田総合車両ベース、定着するかな。

廃止したかったバス路線 '26

毎年夏前後に気になってくるのが、10月に実施される秋田中央交通の秋田市内の一般路線バスダイヤ改正。
ダイヤは9月に入らないと明らかにならないが、廃止される路線については、先に判明する。「秋田市地域公共交通協議会」の議題になるため。

2024年は何路線か廃止になり、2025年は系統単位での廃止はあったが、路線廃止はなかった。
2023年は、中央交通としては廃止したかったのだが、秋田市により「廃止見送り」とされ、いわば廃止が却下された路線もあった。


利用者減と乗務員不足は、改善したとはいえない現状、2026年秋はどうなるか。【8日追記・乗務員不足は都市部も含めた全国的問題。国や政治家は何をやっているのか。】

5月26日に第49回秋田市地域公共交通協議会が開催され、6月5日にその内容が秋田市サイトに掲載された(ページ番号1051306)。
案件に「バス路線廃止の意向の申出について」がある。

結論から言えば、記事タイトルでお分かりかと思いますが、今回は「廃止見送り」。


2026年9月30日付で廃止の申し出があったのは、「土崎・秋田厚生医療センター線」1路線のみ。
2023年に見送りとされた路線が再度申し出されることはないのは、中央交通が廃止をあきらめたってことでしょうか。


土崎・秋田厚生医療センター線は、土崎駅前と飯島の旧・秋田組合総合病院を結ぶ。秋田駅には来ない。土崎駅~センターは所要14分、大人運賃310円。
2000年に、病院が土崎駅近くから現在地に移転した際、当時の秋田市交通局(秋田市営バス)が運行開始した路線。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250903/20250903205537.jpg【8日画像追加】(再掲)市営バス時代。行き先表示についてはこの記事参照
ただ、経路としては秋田駅~土崎駅を結び、2011年に廃止された「神田笹岡線」と重なるので、その区間便ととらえられるかもしれない。実際、同じ時刻表に両路線が掲載されていた。
そんなこともあり、神田がある外旭川地区には足を踏み入れないのに、神田線の1系統に位置付けられ、臨海営業所の中型バスでの運行で、系統番号は神田方面でいちばん若い「200」。ちなみに、始発時点での行き先表示は「自衛隊・四ツ谷団地入口/秋田厚生医療センター」。
当初は土日祝日も運行されていて、平日は7時台から19時台まで、少なくとも1時間に1本運行されていた。だが、年々減便傾向となり、2020年10月からは平日のみ運行(ダイヤは後述)。

 

添付資料では、令和2~6年度(?)の「乗車密度」が出ている。始発から終点まで乗り通す、1便当たりの人数だと思われる。各年度とも2.1~2.9人台だから、多いとは言えない。
午後の便を見かけることがあるが、乗客は0~3人といったところ。朝の便は多いだろうから、乗車密度には納得できる。
【8日追記・中央交通による廃止の理由は「乗務員数に応じたバス路線規模に縮小する必要があるため」などと、人不足のみを挙げている。利用者減には言及なし。】


廃止申し出を受けて、市の意向・方針は、
「マイタウン・バス北部線による代替が考えられるが、同路線は令和8年10月から運行形態の大幅な見直しを予定しており、現時点で当該路線バスの廃止による旅客の利便への影響が判断できないことから、廃止見送りとする。」


「マイタウン・バス北部線」は、秋田市が運行する、金足、下新城、上新城、外旭川地区の廃止代替バス。今回の会議で別の議題になっているのだが、現在の定時・定路・予約式から、「AIオンデマンド交通」としてフリールート・フリーダイヤの設定になる。【8日補足・車両は現在と同タイプのジャンボタクシー。】
単純に土崎駅~医療センター間を行き来したい人には、予約の手間が増える(乗りたい時に乗れて、実質増便にはなりそう)けれど、利用者数を考慮すれば、それで充分な気もする。
ただ、完全に秋田市の都合で、廃止を先送りしたようにも思えてしまう。両者で協議した上での、見送り決定のようではあるけれど。

 

現在は、
土崎駅発(こちらが往路)が7:40、8:45、10:00、10:55、12:35、13:55の6本。
医療センター発が10:30、11:55、13:10、15:05、17:35の5本。

通院者がメインターゲットの路線と考えられ、ダイヤ配分(偏り)もそんな感じがするものの、特に帰りは、いつ終わるか分からない総合病院の診察と会計で、この便数では使いづらい。
駅発着なので、JRとの接続を図っているかどうか。上り・秋田方面とは「秋田駅から中央交通のバスをご利用ください」と言える(時間も運賃もかかるけれど)から、では、下り方面かと思えば、微妙。秋田行きが13時54分に着いて、バスが55分発など、階段の上り下りがあるので間に合わない。

なお、隣の泉外旭川駅(バス停は外旭川駅前広場)では、神田線(神田旭野団地線)との乗り継ぎができる。所要時間は17分ほど、運賃400円で、接続は考慮されていないが、平日は毎時1本、土日祝日も運行。

 


この路線で不思議なのはルート。
土崎駅前から西へ直進し、南へ曲がって(統合前の旧)土崎小学校前、五差路を土崎幼稚園前へ。北へ戻って、秋田北税務署の交差点を東へ曲がって跨線橋を越え、JR東日本秋田総合車両センター(旧・土崎工場。7月から秋田総合車両ベースという名になったとか)。あとは直進して自衛隊前、四ツ谷団地入口などを経て、北へ進んで医療センター。

まず、土崎地区側では遠回りする。
駅を出て、北税務署まで350メートル弱南下すればいいところ、「し」の字に950メートル強も遠回り。幼稚園~税務署交差点は道幅が狭い。税務署の交差点にたどり着いたセンター行き復刻塗装車
かつて組合病院があった付近でもあり、店舗が集まる土崎の中心部でもある五差路周辺の利便を図ったということなのだろうか。
もしくは、小学校前~五差路は、神田土崎線(笹岡線とは別の、元祖・神田線で2019年廃止。この記事など)も通っていたので、路線免許の都合などによるものか。


一方、自衛隊前~医療センターで、将軍野線(秋田駅西口~県庁・寺内~医療センター)と重なるが、ルートは異なる。
将軍野線は四ツ谷団地~サンパーク(団地)内を周回して、北側から医療センターに入るのに対し、本路線はサンパークに入らず、「四ツ谷」バス停を経て南側から入る。
今度は土崎駅発着のほうが近道。なお、同区間なら運賃は両路線とも同額。

これは上記、神田笹岡線の名残りだと思われる。
笹岡線は当初はサンパークに入っていて、病院移転時に病院経由に変わっているので。


土崎中心部も寂れ、そこで乗降する人はどれほどいるだろう。ショートカットすれば、時間短縮と運賃もいくらか下がるかも。
一方、サンパークに入れば、土崎駅で乗り継ぐ住民の利用が多少増えるか。
いっそ、将軍野線【8日追記・もしくは神田旭野団地線】を土崎駅まで延伸し、この路線と統合するような形にすれば、いくらか運行経費節減になるのでは。
などと考えてしまうが、中央交通はやりたがらないのでしょうね。

 

2026年10月は、廃止路線はなしということでしょう。
ところで、2026年度に、秋田市の路線バス網の再編が始まるような話があったが、その後は聞こえてこない。
何よりもまず気になるのは、廃止されずとも、減便や時刻移動がどの程度あるか。もう少し待たないといけません。

W杯’74@まる子

2026年7月5日放送のフジテレビのアニメ「ちびまる子ちゃん」第1537話。後半パートは「「サッカー世界一を決めるテレビが観たい」の巻(脚本 加賀未恵)」。

以下、ネタバレですので、未視聴のかたはご注意を。

 


クラスメイトのサッカー少年・ケンタ(長谷川健太)は、ドイツのミュンヘンで行われ、「夜の12時から」放送される「サッカーの世界大会」の決勝戦のテレビ中継を見たがる。だが、それは清水では放映されず、見られないのだった。
なんとかして見せてやれないかと、まる子たちが、休日の1日奔走する。

東京へ出かけていた花輪くんの協力により、テレビの音声を電話で“中継”してもらい、ケンタは音声だけながら、楽しむことができた。
花輪くんは「昨日の夕方から旦那さまのご用事で東京へお出かけになっており」、その翌日(=決勝戦が始まる前)に帰る予定だったのを変えて電話中継に付き合い、決勝後の朝に清水へ戻った。花輪くんは朝の学校の机で眠るシーンのみ登場で、声の出演はクレジットされなかった。


ちびまる子ちゃんは1974年度を舞台にしているが、史実に忠実な点もあれば、そうでない点もある【6日補足・ノンフィクション作品ではないのだから、たとえ事実と異なっていても問題はないのだけど】。今回はどうなのか。Wikipediaなどでざっと検証してみた。

1974年に西ドイツで第10回のワールドカップが開催され、現地時間7月7日(日曜日)16時からミュンヘンで決勝が開催されていた。ちなみにオランダ 1-2 西ドイツ。
そうそう。当時は東西ドイツに分かれていたのだった。当時の一般日本人が、区別せずに「ドイツ」でまとめることはなくはなかったかもしれないが、その10年ほど後の記憶では、西ドイツは基本的に「西ドイツ」と呼んでいたと思う。※秋田市は1984年に旧西ドイツのパッサウ市と姉妹都市となったので、当時は耳にすることが多かった。
作中では「ドイツ」とされていたが、経緯を説明するとなるとややこしくなるからね。

日曜日なので、花輪くんが前夜から東京へ出かけ、まる子たちが1日使えたのは辻褄が合う。
現地の16時が日本で深夜0時だとすれば、時差は8時間となる。
実際のドイツとの時差は8時間。だが、この時期はサマータイムで7時間。ところが、当時はサマータイムが実施されていなかったようで、8時間で正解と思われる。


日本でのテレビ中継。
1974年大会の日本での放映権は、東京12チャンネル(現・テレビ東京)が獲得している。当時は大阪や愛知にさえ系列局(他系列と掛け持ちするクロスネット的関係の局はあったようだ)がなく、独立局同然だったようだから、静岡でネットされなかったのだろう。
しかし、当時は今ほどテレビネットワークの縛りがきつくなく、地方局では臨時でネットすることもなくはなかったかもしれない。調べてみれば、静岡以外も含めて、放送された地域はあったりするかもしれない。

ケンタは「日本で放送されるのはこれが初めてなんだ」と言っていた。ワールドカップの決勝戦が、なのかそれの生中継なのか、ニュアンスはあいまい。
12chは1つ前の1970年メキシコ大会でも放映権を得ているが、生中継は1974年が初だったらしい。
ラジオ中継はなかったのかと疑問も浮かぶが、後述のように当時はサッカーの人気は高くなかったので、中継はなさそう。

ということで、怪しい点はなく、極めて事実に忠実な設定だった。

【6日追記】当時の清水市では、サッカーどころではない事態だったのを忘れていた。大きな浸水被害を受けた「七夕豪雨」が発生。初期作「まるちゃんの町は大洪水」でも描かれている。
7日から8日にかけてなので、雨が降っていない屋外のシーンはあり得なかったし、深夜に長電話する状況でなかったはず。
1年間を舞台とするちびまる子ちゃんでも、年越しの話が複数存在するなど、パラレルワールドというか“世界線が違う”ようなことがあるので、これもその1つと受け取ればいいだろう。(以上追記)

 

以下、いろいろ。
強いて気になった点を挙げれば、
ケンタとまる子によれば、ケンタの父は「静岡県の中でも、映るところと映らないところがある」、友蔵じいさんは「伊豆のほう」なら映るのではと話したという。
隣県から越境する電波を受信することを指すと思われる。
だけど、12チャンネルというだけに、当初は東京タワーからのVHF12chの電波だけだったようで、当時の伊豆、というか神奈川県西部では、同局を受信できなかったかもしれない。小田原ではアナログ放送時代はテレ東が受信できなかった話もある。
素人の話だから誤情報で、実際に伊豆まで行っても受信できなかったということもあり得る。

 

まる子たちは、ケンタから話を聞くまで「サッカーの世界大会」が開催されていることを知らなかった。
当時は大人も子どもも多くがそうだっただろう。

今のように、深夜早朝の試合でも盛り上がるようになったのはいつ頃からか。
Jリーグが発足し、日本代表がアジア予選で「ドーハの悲劇」があった1993年、本大会に初出場した1998年、日本・韓国で開催された2002年辺りだろう。
【6日追記・近年は放映権の高騰やネット配信も含めてどこが取得するかが取りざたされる。1974年はどの程度だっただろう。12チャンネルは、競うことなく安価に取得できたりしたのかも。ある意味、マニア向け番組だったかも。】

 

50年以上経って、テレビや映像視聴の環境は大きく変わったが、2026年のワールドカップでも似たようなことがあった。
日本が敗れた6月30日(日本時間)の決勝トーナメント1回戦は、NHKBSとフジテレビでの放送。例えば弘前など青森県西側では、見たくても見られない人が多かったかもしれない。


今回のお話は、サッカーやスポーツ中継に限らずテレビ番組全般において、一度や二度ならず何度も、似たような経験をしてきた地方在住者には、非常に共感できた。※地デジ化後だが、青森県大鰐町での経験
こんなやり取りもあった。
ケンタ「(中継を)やるのがさ、映らないチャンネルなんだよ」
まる子「ああ、新聞のテレビ欄にあるのに映らないチャンネルあるよね」
たまえ「あるある。あれ悔しいよね」


そんな題材の作品を、同様に見られない地域もあるフジテレビというテレビ局が放送したことに、驚きもあった。
青森ではちびまる子ちゃんは放送されていないが、本作を知ったら、今大会でおたくが同じことをやってるじゃないかと、苦情が来るかも。


だけど、都会で生まれ育った人には、まったく理解できない話だったかもしれない。
上記、新聞テレビ欄の会話や、TVerの解説の「しかしそのチャンネルはまる子たちが住んでいる地域では映らないのだという。」を見聞きしても。そもそも新聞を見ない人も増えたし。

また、「見たがっていた」ケンタが、音だけ聞いて満足したことについても、今の感覚では共感できないかもしれない。だが、昭和はそういう時代だった。今はいい時代になった。

 

最後に、作中でも誰も触れなかったが、気になるのは電話中継した電話代(通話料金)。
「東京から(ケンタの)うちに電話をかけてくれる」とのことなので、花輪くん側の負担。花輪家のことだから大きな問題ではなさそうだけど。

 

試合時間は現在と同じらしい(給水タイム以外)から、105分として。
現在(2024年から)、NTTの固定電話は時間を問わず全国一律、3分9.35円。105分だと327.25円。

昔はかける時間帯と、相手先の距離に応じて、料金が違った。
1980年代以降は、昼間/夜間/深夜の3区分で、さらに平日/日祝日で異なったが、1974年当時(1972年11月~1976年11月)は曜日問わず昼間/夜間だった。
単位料金という基準額があって、区分によりそれで何秒通話できるかが異なる。僕は市内通話「3分10円」のような10円単位しか知らなかったが、それは1976年以降で、この当時は7円単位(市内は3分7円)。

東京~清水の距離をどう計算したのかが分からないが、直線で140kmほど。
120~160kmの区分に該当するとして、夜間は15秒で7円(昼間は8秒)。
105分だと2940円。
花輪家なら痛くもかゆくもないでしょう。

それにしても、知らぬ間に長距離の固定電話料金はかなり安くなっていたのだった。

イオン土崎解体 '26.6

秋田市のイオン土崎港店だった建物の解体。.
内部の解体が先に行われていて、その後、5月下旬に県道56号(新国道)に面した正面側が、足場とシートで覆われた。6月初めには、正面玄関の上の屋上に飛び出ていた、塔屋(ジャスコ時代は展望台だったとのこと)部分の外壁の撤去が始まったようだった。

6月下旬。駐車場スロープは手付かず
シートで分かりづらいが、本体の外壁もなくなっていて、骨組みだけの状態になった。

 

正面向かって左奥・東側にも、塔屋が2つあった。真ん中はプレハブ小屋?
今まで意識していなかったが、現役当時は屋上に板状の柵が設置されており、隠れて見えづらかったようだ。

薄れた古めかしい「出口」
屋上駐車場から、東側の市道への下り口。
建物の3階と屋上が立体駐車場であったが、末期は屋上が閉鎖されていたので、古いままだったのだろう。


一方、東側。隣接する幕洗川街区公園から。


外壁は健在。足場とシートが未設置の部分もある。大きな風除室も残る。


着々と進んではいるが、解体完了までしばらくかかりそう。新店舗の計画はどうなっているでしょうか。