広く浅く[blog.goo.ne.jp/taic02より移転]

https://blog.goo.ne.jp/taic02 から移転。秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記など、広く浅く、時には中途半端に深く、いろいろと。

はじめに

2008年9月12日から、gooブログ(https://blog.goo.ne.jp/taic02)で投稿していました。
gooブログが2025年11月18日に終了することになり、2025年9月3日から、この、はてなブログへ移転して、継続することにします。
デザインや操作の違いにはまだ慣れませんが、「心機一転」ではなく、gooブログ時代と方針を変えず、極力、同じブログにしていきたいです。どうぞよろしくお願いします。

 

お読みいただくにあたって、ご案内とお願いを記しておきます。

●ブログの題材について
長年住んでいる秋田市、大学時代を過ごした青森県弘前市の風景、出来事、地理、さらに旅行記、植物など生き物、ランチパックなどメーカー製のパンなどをよく取り上げます。
鉄道、路線バス、信号機、書体(フォント)なども扱いますが、そこまで専門的な知識がなく、また、詳しくないかたにも分かるように記すので、知ったかぶりだったり、回りくどかったりするかもしれません。


●ご覧いただく際にご承知おきいただきたいこと
当ブログは個人が収集した情報に考察等を加えた個人のブログです。したがって、扱っている内容の当事者とは関係ありません。
また、根拠や出典を明確にするよう心がけていますが、必ずしも正確な情報ではない場合もあり得ます。アップ後に状況が変化した際は、その旨を追記するよう心がけますが、フォローしきれない場合もあります。
これらの点をご了解いただき、当ブログの内容を元に、出かけたり買い物したりする際は、公式な情報も確認するなど、ご自身で判断するよう、お願いします。


●記事の探しかた
いろいろな分野を記事にしているので、ほしい情報が見つけづらいことがあるかと思います。
主なカテゴリーごとの記事一覧は、以下のリンクからどうぞ。gooブログ時代はカテゴリーを1つしか設定できなかったので、大雑把ですが。

秋田の季節・風景  秋田のいろいろ  秋田の地理  秋田市営バス

津軽のいろいろ    旅行記

ランチパック・パン    各地のお土産・食べ物

 

カテゴリーのほか、ブログ内の検索窓を使っても、見つけづらいこともあります。
その際の手段として、Google検索で「キーワード taic02」で検索すると、見つかることもあるのでお試しください。「バナナボート taic02」「バスダイヤ改正2024 taic02」などです。【2026年4月23日補足・ブログ移行の結果、gooブログ時代よりも検索に引っかかりにくくなっています。確実にその記事があるのに、検索結果に表示されないものも多く、何とかならないものか…】


●コメントについてのお願い
読者の反応が分かるコメント機能は、ブログならではのものです。感想、質問、情報提供等がありましたら、コメントをお送りください。古い記事へのコメントもどうぞ。

ただ、コメントは、ネット上で世界中の人の目に触れ、長く残るものです。この点を理解いただき、常識と良識あるコメントをお願いします。また、すべてのコメントにお返事するとは限りませんので、ご了承ください。

なお、コメント欄以外のメッセージ送信方法として、メールによるものを導入しようか考えているところです。開始時にはここに追記します。【2025年10月13日追記・プロフィール(about)ページ内に、メールアドレスを掲載しました。「アットマーク」を「@」に変えれば送信できます。】


●リンク、引用等、二次利用について
当ブログへのリンクはご自由に。文章の引用は、常識の範囲内でお願いします。いずれも連絡は不要です。

画像の転載や、当ブログの内容を元にした商用利用(報道等)は、当ブログが出典であることを明示いただければ、いいことにします。この場合は、連絡していただけるとありがたいです。


●gooブログからの移転関連のお知らせ
移転時に、コメント、画像の転送と過去記事へのリンク修正を行っていますが、一部、対応できていない可能性もありますので、ご了承ください。
gooブログの個々の記事へのリンクやブックマークをされていたかたは、2025年11月以降、表示できなくなる点も、ご承知おきください。なお、gooブログの記事個々のアドレスは「https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/★★★」の形式ですが、★★★部分は、移行先のはてなブログでも共通です。したがって、「https://taic02.hatenablog.jp/entry/★★★」に変えると、はてなブログ側で同じ記事を見られることを、参考までにお知らせします。
【10月13日追記・gooからインポートしたコメントについての不具合を発見】
コメントの行頭に半角「>」がある行は、はてなブログでは表示されなくなっていました。
したがって、記事中からの引用や、複数のコメントにまとめて返信した際等の相手のお名前が、消えてしまっているものがあります。【11月29日追記】インポートしたコメントでは、本来よりも改行が多く入る不具合もありそう。(以上追記)

 

※この記事は2025年9月3日アップですが、ブログ最上部に表示させるため3025年の日付としています。

土崎駅の時計/総合車両ベース

秋田市土崎地区の話題が続きます。

JR奥羽本線 土崎駅
最近は週に1度は利用しているのだけど、いつの間にか変わっていたことに、今週気付いた。

 

駅舎正面、出入口の上の外壁に設置されていた、丸いアナログ時計がなくなった。照明は残る。
特に説明書きなどはなさそうで、撤去の理由は不明。

JR東日本以外も含めて、スマートフォンの普及と維持管理の手間や費用を理由として、駅の時計を撤去する事例が増えている。
土崎駅では、駅舎内、改札口上の時計は2022年に撤去されていた。ただし、秋田港ロータリークラブから2013年に寄贈された、港まつりのからくり時計が、改札向かって左の待合室入口にある(からくり部分は故障)。


今回もそのケースなのか。
学校と駅の正面には時計、という印象があるけれど…と思ったけれど、時計がない駅はけっこうある。
2004年にできた4代目弘前駅には、そういえばないのでは【10日追記・駅ビル前の雁木状の屋根下に、小さいデジタル時計があった気がするが、遠くからは見えない】。3代目駅舎には、ひっそりと小さいアナログ時計があった。
それに、秋田駅の東西の時計は、場所的に秋田市管轄の自由通路部分の壁にかかっているように思われる。泉外旭川駅では、秋田市管轄の自由通路の外壁に計3台も時計がある。長野県などでは地元企業であるセイコーの電気時計が駅前広場に設置されていることがあるが、それも自治体管轄だろうから、残すかどうかの判断基準は、鉄道会社とは異なる。
JR直轄であろう土崎駅は分が悪そう。


2012年に駅舎外観がリニューアルされるより前から、同じ時計があったと思われる。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250906/20250906164107.jpg(再掲)2012年夜の風景

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250905/20250905201741.jpg(再掲)2010年
1970年代後半の写真では、同じ位置に、同じくらいの大きさの違う時計がかかっていた。

 

JR東日本秋田事業本部管内(≒秋田県内)で秋田駅、大曲駅(※)に次ぐ利用者数を誇る土崎駅。
※以前は秋田、土崎、大曲の順だったが、近年は僅差で逆転された。定期券利用者が微減なのが要因か? なお、旧・秋田支社管内では、2位に弘前駅が入る。
泉外旭川駅のように秋田市が、もしくはどなたかが寄付でもして、自由通路や駅前広場辺りに時計を設置してもいいのでは、と他力本願。

 

 

さて、7月から、JR東日本の事業体制が変わって、秋田支社は秋田事業本部となった
事業本部内では、駅と乗務員が所属していた「統括センター」がなくなるなどしているようだが、部外者には全貌が分からない。
そのほか、車両工場や車両基地である「総合車両センター」、「車両センター」の名称が変わったことが判明。現地の表示が変わっている旨が、ネット上に多くあるが、公式情報は見当たらない。Wikipediaは旧名称のままだし、銀行など統合や移転があれば、誰かが素早く更新手続きをしてしまう、Googleマップさえ、まだ更新されていない。


土崎駅のそばに明治41年からあり、鉄道省「土崎工機部(1942年)」、国鉄「土崎工場(1952年)」などと変遷し、2004年から「秋田総合車両センター」となっている工場も変わった。
正面の表札的な表示板も変わっているそうだが、奥羽本線から見えるフェンスの表示も変更済み。その名は、


「秋田総合車両ベース」。
秋田以外も、旧・総合車両センターは「総合車両ベース」、旧・車両センターは「車両ベース」となったらしい。

7月4日に、秋田テレビのローカルニュースで「引退した電気機「山男」の見学会 ふるさと納税の返礼品として初開催 ファンが雄姿を堪能 秋田市 」が報道された。【10日補足・ネット配信のタイトルは「引退した電気機~」、画面の字幕は「引退した電気機関車~」。】
廃車となったEF64形電気機関車の限定公開が、ここで開催された。原稿中に会場の名称はなかったが、字幕では「秋田総合車両ベース/秋田市土崎港」と表示。
全国的に見ても、新名称が報道された早期の事例ではないだろうか。


新名称を知って、真っ先に連想したのが、「所ジョージの仕事場(事務所)兼遊び場のガレージ」。「所さんの世田谷ベース」とか。仮に世田谷にJR東日本の工場や基地があったら、どういうことになっていただろう。
あとは「軍事基地」。
それから、ヤマト運輸では、荷物を集めて仕分けする拠点のことを「ベース(ベース店?)」と称し、秋田県では秋田市御所野に秋田ベースがあるようだ。

 

なんか斬新で嫌いじゃないかと思ったが、「センター」を「ベース」に替えただけだ。内部でどんな変化があったか知らないが。
英語で車両基地は「depot」だそうで、工場なら「factory」だが、英語ネイティブに「base」はどうとらえられるだろうか。そして、その両者を区別するは「総合」という日本語で、従前と同じというのが、よく分からない。

ところで、秋田駅の南、金照寺山と一つ森公園の間にある車両基地。国鉄時代から「南秋田運転所」で、2004年に「秋田車両センター」となって秋田総合車両センターとまぎらわしくなったが、両者は独立した別個の組織だった。
ところが、2021年に、在来線部門と新幹線部門を分けた上、在来線側を秋田総合車両センターの下部組織とし「秋田総合車両センター南秋田センター」となった。新幹線側は独立して「秋田新幹線車両センター」に。
それらが7月からどうなったのかは不明。新幹線のほうは「秋田新幹線車両ベース」かもしれないが、在来線のほうは「秋田総合車両ベース南秋田ベース」だとしたら、なかなか珍妙な名前(旧称も似たようなものか)。


秋田では、秋田総合車両ベースのことを「コーキブ」と70年以上前の名称で呼ぶ人が、まだわずかにいると思われる。20年以上前の「土崎工場」は、充分通用するだろう。
上記の通り、「秋田総合車両センター」は南秋田とまぎらわしく、土崎であることが分かりづらかった。
秋田総合車両ベース、定着するかな。

廃止したかったバス路線 '26

毎年夏前後に気になってくるのが、10月に実施される秋田中央交通の秋田市内の一般路線バスダイヤ改正。
ダイヤは9月に入らないと明らかにならないが、廃止される路線については、先に判明する。「秋田市地域公共交通協議会」の議題になるため。

2024年は何路線か廃止になり、2025年は系統単位での廃止はあったが、路線廃止はなかった。
2023年は、中央交通としては廃止したかったのだが、秋田市により「廃止見送り」とされ、いわば廃止が却下された路線もあった。


利用者減と乗務員不足は、改善したとはいえない現状、2026年秋はどうなるか。【8日追記・乗務員不足は都市部も含めた全国的問題。国や政治家は何をやっているのか。】

5月26日に第49回秋田市地域公共交通協議会が開催され、6月5日にその内容が秋田市サイトに掲載された(ページ番号1051306)。
案件に「バス路線廃止の意向の申出について」がある。

結論から言えば、記事タイトルでお分かりかと思いますが、今回は「廃止見送り」。


2026年9月30日付で廃止の申し出があったのは、「土崎・秋田厚生医療センター線」1路線のみ。
2023年に見送りとされた路線が再度申し出されることはないのは、中央交通が廃止をあきらめたってことでしょうか。


土崎・秋田厚生医療センター線は、土崎駅前と飯島の旧・秋田組合総合病院を結ぶ。秋田駅には来ない。土崎駅~センターは所要14分、大人運賃310円。
2000年に、病院が土崎駅近くから現在地に移転した際、当時の秋田市交通局(秋田市営バス)が運行開始した路線。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250903/20250903205537.jpg【8日画像追加】(再掲)市営バス時代。行き先表示についてはこの記事参照
ただ、経路としては秋田駅~土崎駅を結び、2011年に廃止された「神田笹岡線」と重なるので、その区間便ととらえられるかもしれない。実際、同じ時刻表に両路線が掲載されていた。
そんなこともあり、神田がある外旭川地区には足を踏み入れないのに、神田線の1系統に位置付けられ、臨海営業所の中型バスでの運行で、系統番号は神田方面でいちばん若い「200」。ちなみに、始発時点での行き先表示は「自衛隊・四ツ谷団地入口/秋田厚生医療センター」。
当初は土日祝日も運行されていて、平日は7時台から19時台まで、少なくとも1時間に1本運行されていた。だが、年々減便傾向となり、2020年10月からは平日のみ運行(ダイヤは後述)。

 

添付資料では、令和2~6年度(?)の「乗車密度」が出ている。始発から終点まで乗り通す、1便当たりの人数だと思われる。各年度とも2.1~2.9人台だから、多いとは言えない。
午後の便を見かけることがあるが、乗客は0~3人といったところ。朝の便は多いだろうから、乗車密度には納得できる。
【8日追記・中央交通による廃止の理由は「乗務員数に応じたバス路線規模に縮小する必要があるため」などと、人不足のみを挙げている。利用者減には言及なし。】


廃止申し出を受けて、市の意向・方針は、
「マイタウン・バス北部線による代替が考えられるが、同路線は令和8年10月から運行形態の大幅な見直しを予定しており、現時点で当該路線バスの廃止による旅客の利便への影響が判断できないことから、廃止見送りとする。」


「マイタウン・バス北部線」は、秋田市が運行する、金足、下新城、上新城、外旭川地区の廃止代替バス。今回の会議で別の議題になっているのだが、現在の定時・定路・予約式から、「AIオンデマンド交通」としてフリールート・フリーダイヤの設定になる。【8日補足・車両は現在と同タイプのジャンボタクシー。】
単純に土崎駅~医療センター間を行き来したい人には、予約の手間が増える(乗りたい時に乗れて、実質増便にはなりそう)けれど、利用者数を考慮すれば、それで充分な気もする。
ただ、完全に秋田市の都合で、廃止を先送りしたようにも思えてしまう。両者で協議した上での、見送り決定のようではあるけれど。

 

現在は、
土崎駅発(こちらが往路)が7:40、8:45、10:00、10:55、12:35、13:55の6本。
医療センター発が10:30、11:55、13:10、15:05、17:35の5本。

通院者がメインターゲットの路線と考えられ、ダイヤ配分(偏り)もそんな感じがするものの、特に帰りは、いつ終わるか分からない総合病院の診察と会計で、この便数では使いづらい。
駅発着なので、JRとの接続を図っているかどうか。上り・秋田方面とは「秋田駅から中央交通のバスをご利用ください」と言える(時間も運賃もかかるけれど)から、では、下り方面かと思えば、微妙。秋田行きが13時54分に着いて、バスが55分発など、階段の上り下りがあるので間に合わない。

なお、隣の泉外旭川駅(バス停は外旭川駅前広場)では、神田線(神田旭野団地線)との乗り継ぎができる。所要時間は17分ほど、運賃400円で、接続は考慮されていないが、平日は毎時1本、土日祝日も運行。

 


この路線で不思議なのはルート。
土崎駅前から西へ直進し、南へ曲がって(統合前の旧)土崎小学校前、五差路を土崎幼稚園前へ。北へ戻って、秋田北税務署の交差点を東へ曲がって跨線橋を越え、JR東日本秋田総合車両センター(旧・土崎工場。7月から秋田総合車両ベースという名になったとか)。あとは直進して自衛隊前、四ツ谷団地入口などを経て、北へ進んで医療センター。

まず、土崎地区側では遠回りする。
駅を出て、北税務署まで350メートル弱南下すればいいところ、「し」の字に950メートル強も遠回り。幼稚園~税務署交差点は道幅が狭い。税務署の交差点にたどり着いたセンター行き復刻塗装車
かつて組合病院があった付近でもあり、店舗が集まる土崎の中心部でもある五差路周辺の利便を図ったということなのだろうか。
もしくは、小学校前~五差路は、神田土崎線(笹岡線とは別の、元祖・神田線で2019年廃止。この記事など)も通っていたので、路線免許の都合などによるものか。


一方、自衛隊前~医療センターで、将軍野線(秋田駅西口~県庁・寺内~医療センター)と重なるが、ルートは異なる。
将軍野線は四ツ谷団地~サンパーク(団地)内を周回して、北側から医療センターに入るのに対し、本路線はサンパークに入らず、「四ツ谷」バス停を経て南側から入る。
今度は土崎駅発着のほうが近道。なお、同区間なら運賃は両路線とも同額。

これは上記、神田笹岡線の名残りだと思われる。
笹岡線は当初はサンパークに入っていて、病院移転時に病院経由に変わっているので。


土崎中心部も寂れ、そこで乗降する人はどれほどいるだろう。ショートカットすれば、時間短縮と運賃もいくらか下がるかも。
一方、サンパークに入れば、土崎駅で乗り継ぐ住民の利用が多少増えるか。
いっそ、将軍野線【8日追記・もしくは神田旭野団地線】を土崎駅まで延伸し、この路線と統合するような形にすれば、いくらか運行経費節減になるのでは。
などと考えてしまうが、中央交通はやりたがらないのでしょうね。

 

2026年10月は、廃止路線はなしということでしょう。
ところで、2026年度に、秋田市の路線バス網の再編が始まるような話があったが、その後は聞こえてこない。
何よりもまず気になるのは、廃止されずとも、減便や時刻移動がどの程度あるか。もう少し待たないといけません。

W杯’74@まる子

2026年7月5日放送のフジテレビのアニメ「ちびまる子ちゃん」第1537話。後半パートは「「サッカー世界一を決めるテレビが観たい」の巻(脚本 加賀未恵)」。

以下、ネタバレですので、未視聴のかたはご注意を。

 


クラスメイトのサッカー少年・ケンタ(長谷川健太)は、ドイツのミュンヘンで行われ、「夜の12時から」放送される「サッカーの世界大会」の決勝戦のテレビ中継を見たがる。だが、それは清水では放映されず、見られないのだった。
なんとかして見せてやれないかと、まる子たちが、休日の1日奔走する。

東京へ出かけていた花輪くんの協力により、テレビの音声を電話で“中継”してもらい、ケンタは音声だけながら、楽しむことができた。
花輪くんは「昨日の夕方から旦那さまのご用事で東京へお出かけになっており」、その翌日(=決勝戦が始まる前)に帰る予定だったのを変えて電話中継に付き合い、決勝後の朝に清水へ戻った。花輪くんは朝の学校の机で眠るシーンのみ登場で、声の出演はクレジットされなかった。


ちびまる子ちゃんは1974年度を舞台にしているが、史実に忠実な点もあれば、そうでない点もある【6日補足・ノンフィクション作品ではないのだから、たとえ事実と異なっていても問題はないのだけど】。今回はどうなのか。Wikipediaなどでざっと検証してみた。

1974年に西ドイツで第10回のワールドカップが開催され、現地時間7月7日(日曜日)16時からミュンヘンで決勝が開催されていた。ちなみにオランダ 1-2 西ドイツ。
そうそう。当時は東西ドイツに分かれていたのだった。当時の一般日本人が、区別せずに「ドイツ」でまとめることはなくはなかったかもしれないが、その10年ほど後の記憶では、西ドイツは基本的に「西ドイツ」と呼んでいたと思う。※秋田市は1984年に旧西ドイツのパッサウ市と姉妹都市となったので、当時は耳にすることが多かった。
作中では「ドイツ」とされていたが、経緯を説明するとなるとややこしくなるからね。

日曜日なので、花輪くんが前夜から東京へ出かけ、まる子たちが1日使えたのは辻褄が合う。
現地の16時が日本で深夜0時だとすれば、時差は8時間となる。
実際のドイツとの時差は8時間。だが、この時期はサマータイムで7時間。ところが、当時はサマータイムが実施されていなかったようで、8時間で正解と思われる。


日本でのテレビ中継。
1974年大会の日本での放映権は、東京12チャンネル(現・テレビ東京)が獲得している。当時は大阪や愛知にさえ系列局(他系列と掛け持ちするクロスネット的関係の局はあったようだ)がなく、独立局同然だったようだから、静岡でネットされなかったのだろう。
しかし、当時は今ほどテレビネットワークの縛りがきつくなく、地方局では臨時でネットすることもなくはなかったかもしれない。調べてみれば、静岡以外も含めて、放送された地域はあったりするかもしれない。

ケンタは「日本で放送されるのはこれが初めてなんだ」と言っていた。ワールドカップの決勝戦が、なのかそれの生中継なのか、ニュアンスはあいまい。
12chは1つ前の1970年メキシコ大会でも放映権を得ているが、生中継は1974年が初だったらしい。
ラジオ中継はなかったのかと疑問も浮かぶが、後述のように当時はサッカーの人気は高くなかったので、中継はなさそう。

ということで、怪しい点はなく、極めて事実に忠実な設定だった。

【6日追記】当時の清水市では、サッカーどころではない事態だったのを忘れていた。大きな浸水被害を受けた「七夕豪雨」が発生。初期作「まるちゃんの町は大洪水」でも描かれている。
7日から8日にかけてなので、雨が降っていない屋外のシーンはあり得なかったし、深夜に長電話する状況でなかったはず。
1年間を舞台とするちびまる子ちゃんでも、年越しの話が複数存在するなど、パラレルワールドというか“世界線が違う”ようなことがあるので、これもその1つと受け取ればいいだろう。(以上追記)

 

以下、いろいろ。
強いて気になった点を挙げれば、
ケンタとまる子によれば、ケンタの父は「静岡県の中でも、映るところと映らないところがある」、友蔵じいさんは「伊豆のほう」なら映るのではと話したという。
隣県から越境する電波を受信することを指すと思われる。
だけど、12チャンネルというだけに、当初は東京タワーからのVHF12chの電波だけだったようで、当時の伊豆、というか神奈川県西部では、同局を受信できなかったかもしれない。小田原ではアナログ放送時代はテレ東が受信できなかった話もある。
素人の話だから誤情報で、実際に伊豆まで行っても受信できなかったということもあり得る。

 

まる子たちは、ケンタから話を聞くまで「サッカーの世界大会」が開催されていることを知らなかった。
当時は大人も子どもも多くがそうだっただろう。

今のように、深夜早朝の試合でも盛り上がるようになったのはいつ頃からか。
Jリーグが発足し、日本代表がアジア予選で「ドーハの悲劇」があった1993年、本大会に初出場した1998年、日本・韓国で開催された2002年辺りだろう。
【6日追記・近年は放映権の高騰やネット配信も含めてどこが取得するかが取りざたされる。1974年はどの程度だっただろう。12チャンネルは、競うことなく安価に取得できたりしたのかも。ある意味、マニア向け番組だったかも。】

 

50年以上経って、テレビや映像視聴の環境は大きく変わったが、2026年のワールドカップでも似たようなことがあった。
日本が敗れた6月30日(日本時間)の決勝トーナメント1回戦は、NHKBSとフジテレビでの放送。例えば弘前など青森県西側では、見たくても見られない人が多かったかもしれない。


今回のお話は、サッカーやスポーツ中継に限らずテレビ番組全般において、一度や二度ならず何度も、似たような経験をしてきた地方在住者には、非常に共感できた。※地デジ化後だが、青森県大鰐町での経験
こんなやり取りもあった。
ケンタ「(中継を)やるのがさ、映らないチャンネルなんだよ」
まる子「ああ、新聞のテレビ欄にあるのに映らないチャンネルあるよね」
たまえ「あるある。あれ悔しいよね」


そんな題材の作品を、同様に見られない地域もあるフジテレビというテレビ局が放送したことに、驚きもあった。
青森ではちびまる子ちゃんは放送されていないが、本作を知ったら、今大会でおたくが同じことをやってるじゃないかと、苦情が来るかも。


だけど、都会で生まれ育った人には、まったく理解できない話だったかもしれない。
上記、新聞テレビ欄の会話や、TVerの解説の「しかしそのチャンネルはまる子たちが住んでいる地域では映らないのだという。」を見聞きしても。そもそも新聞を見ない人も増えたし。

また、「見たがっていた」ケンタが、音だけ聞いて満足したことについても、今の感覚では共感できないかもしれない。だが、昭和はそういう時代だった。今はいい時代になった。

 

最後に、作中でも誰も触れなかったが、気になるのは電話中継した電話代(通話料金)。
「東京から(ケンタの)うちに電話をかけてくれる」とのことなので、花輪くん側の負担。花輪家のことだから大きな問題ではなさそうだけど。

 

試合時間は現在と同じらしい(給水タイム以外)から、105分として。
現在(2024年から)、NTTの固定電話は時間を問わず全国一律、3分9.35円。105分だと327.25円。

昔はかける時間帯と、相手先の距離に応じて、料金が違った。
1980年代以降は、昼間/夜間/深夜の3区分で、さらに平日/日祝日で異なったが、1974年当時(1972年11月~1976年11月)は曜日問わず昼間/夜間だった。
単位料金という基準額があって、区分によりそれで何秒通話できるかが異なる。僕は市内通話「3分10円」のような10円単位しか知らなかったが、それは1976年以降で、この当時は7円単位(市内は3分7円)。

東京~清水の距離をどう計算したのかが分からないが、直線で140kmほど。
120~160kmの区分に該当するとして、夜間は15秒で7円(昼間は8秒)。
105分だと2940円。
花輪家なら痛くもかゆくもないでしょう。

それにしても、知らぬ間に長距離の固定電話料金はかなり安くなっていたのだった。

イオン土崎解体 '26.6

秋田市のイオン土崎港店だった建物の解体。.
内部の解体が先に行われていて、その後、5月下旬に県道56号(新国道)に面した正面側が、足場とシートで覆われた。6月初めには、正面玄関の上の屋上に飛び出ていた、塔屋(ジャスコ時代は展望台だったとのこと)部分の外壁の撤去が始まったようだった。

6月下旬。駐車場スロープは手付かず
シートで分かりづらいが、本体の外壁もなくなっていて、骨組みだけの状態になった。

 

正面向かって左奥・東側にも、塔屋が2つあった。真ん中はプレハブ小屋?
今まで意識していなかったが、現役当時は屋上に板状の柵が設置されており、隠れて見えづらかったようだ。

薄れた古めかしい「出口」
屋上駐車場から、東側の市道への下り口。
建物の3階と屋上が立体駐車場であったが、末期は屋上が閉鎖されていたので、古いままだったのだろう。


一方、東側。隣接する幕洗川街区公園から。


外壁は健在。足場とシートが未設置の部分もある。大きな風除室も残る。


着々と進んではいるが、解体完了までしばらくかかりそう。新店舗の計画はどうなっているでしょうか。

JR東日本秋田事業本部 発足

2026年7月1日でJR東日本の事業体制が変わる。
旧国鉄からの鉄道管理局をおおむね継承した2本部10支社が、36事業本部に再編される。
これまでは県よりやや広い範囲を支社としていたのを、県もしくはさらに細かく分割する感じ。
働きかたが変わり、利用者も社員も減っていく中で、変えていかなければならないのは分からなくもないが、地域を越えた移動も担う鉄道において、そんなに細かくしていいのかという疑問も浮かんでしまう。

2017年にできたJR東日本秋田支社のビルの前
秋田市にある秋田支社は、秋田県内の大部分と、青森県の西側・津軽地方を管轄していた。「青森支社」は存在せず、東側は盛岡支社の管轄。

再編後、秋田支社は「秋田事業本部」となる。
管轄路線は、秋田支社時代の秋田県内分をそのまま引き継ぐ形。ただし、羽越本線は山形県に入って、酒田駅の手前の本楯駅まで所管するのは変わらないので、その区間の5駅だけは、秋田県外の管轄駅。酒田駅以降は、旧・新潟支社→「庄内事業本部」。
これまでは秋田支社だった青森県側は「青森事業本部」として分割。奥羽本線では陣場駅/津軽湯の沢駅、五能線では岩館駅/大間越駅が事業本部の境となり、県境と一致する。ただ、その駅間のどの地点が境界なのか、現時点では不明。奥羽本線の矢立トンネルはどう管轄するだろうか。
奥羽本線の旧・東北本部と、北上線、田沢湖線、花輪線の旧・盛岡支社との境は、そのまま「山形事業本部」、「盛岡事業本部」との境界に。したがって、花輪線は、秋田県内でも東大館駅以降全駅が盛岡管轄のまま。

 

青森県としては、やっと県全域を一括する組織ができたけれど、新幹線の並行在来線は第3セクター化されて分断状態。社員としては、長年、秋田支社と盛岡支社に分かれていたのが統合されて、やりづらいところもあるかもしれない。【2日追記・陸奥新報によれば青森事業本部の社員は「約400人で構成」。】
【11日追記・五能線が秋田と青森に分断される。これまでは秋田支社として一体的に活性化ができていた面もあるはずだが。】

 

JR東日本秋田支社の人事異動は、管理職クラス程度が、秋田魁新報に掲載される。
6月9日付紙面に、7月1日付の異動名簿が出ていた。昇任や勤務地変更を伴わない、所属や職名のみの変更が多そう。ごちゃごちゃしていて分かりづらいが、例えば、
「弘前統括センター所長・津軽地区長・弘前駅長」だった人が、「青森事業本部マネージャー弘前駅長」に。
「秋田統括センター所長・中央地区長・秋田駅長」だった人が、「秋田事業本部副本部長秋田駅長」に。

要は弘前駅長と秋田駅長。旧・秋田支社で利用客数2位と1位の駅であり、現場社員としてはツートップだろう。青森事業本部エリア内の利用客数は、青森駅、新青森駅、八戸駅、弘前駅の順なので、弘前駅の格は下がってしまうか?
乗務員基地の「運輸区」と「駅」を統合した「統括センター」というものがあった(弘前は2023年、秋田は2024年発足)が、それはなくなるのだろうか?

その他、横手駅長、大曲駅長、東能代駅長は「秋田事業本部マネージャー」が先に付くし、副駅長やただの駅配置の人、内勤や車両センター勤務でも「○○事業本部マネージャー」がいる。

【7月1日追記】秋田支社長がそのまま秋田事業本部長に就いたのだが、異動名簿には掲載なし。(以上追記)


秋田支社ビルには、前の道路沿いに2枚、奥の建物付近に1枚、計3枚の企業名・支社名を表記した、同じサイズのすりガラスみたいなのが設置されている。


先週末の時点で事業本部のものに替えられており、「秋田支社」と記したシールが上張りされていた。もしかしてガラス全体を交換したのか?
事業本部化後の写真を後日追加します。↓

【7月1日画像追加・追記】
仮表示中は外されていた金属枠が復帰。文字は「秋田支社」時代と比べて、「秋田事業本部」のほうが普通の角ゴシック体っぽく、微妙に異なるような気もするが、どちらも「秋」ののぎへん1画目が独特のカーブを描く。

1日には、事業本部内で「秋田事業本部発足式」が行われたことを、NHK秋田が報道。およそ40人出席+リモート。
【3日追記】発足式について、秋田魁新報も7月2日にNHKと同内容で報道。だが、小泉支社長→事業本部長を「小林」と誤記し、3日付紙面で訂正。
また、2日の「シリーズ時代を語る・大久保正樹(県軟式野球連盟会長)・2」で、父親の勤務先の国鉄秋田鉄道管理局をカッコで「現・JR東日本秋田支社」としていたが、訂正なし。(以上追記)

 

こうした再編を見越してのこと(+省力化・効率化)かと思うが、車両側で消えたものがあった。

2025年12月撮影。701系電車
国鉄時代から、鉄道車両にはそれが所属する車両基地を表記することになっていた。漢字1文字とカタカナ2文字(機関車などはまた違う)。漢字は鉄道管理局(支社)名、カタカナが基地名(電報略号に由来)を示す。ネット上のハンドルネームとして、実在もしくは架空のものを使う人も見られる。
秋田支社の秋田総合車両センター南秋田センター所属だと「秋アキ」。国鉄時代「南秋田運転所」だった頃からの伝統の表記。
何年か前から、それが順次消されていた。2025年12月時点では、まだ表記が残る車両はかなり少なかったと思う。

「秋アキ」の痕跡

 

※このほか、車両工場や車両基地の呼称も変更されており、土崎工場→秋田総合車両センターの名も変わっていた。この記事後半。

秋田港貨物支線 廃止

2026年7月1日、JR奥羽本線の土崎駅から秋田港駅まで1駅1.8キロの奥羽本線の貨物支線が廃止される(2025年2月の記事今年4月の桜の記事でも少々) 。「秋田港線」と通称されるそうで、所有管理するJR貨物でもその呼称を用いている。
秋田港駅から先の、2021年廃止済みの「秋田臨海鉄道」とは別会社・別路線だが、混同する秋田市民も多い。

 

その秋田臨海鉄道へ直通していた貨物列車がなくなった後は、秋田港にクルーズ船が入港する年に数えるほどの日数だけ、JR東日本が旅客列車を運行していた。
クルーズ船列車のためだけに、引き続きJR貨物が管理していたが、それらも2025年度で終了。県が費用を出す話もあったが、巨額のため見送りとなり、貨物支線も廃止が決まった。

ちなみに、廃止が決まった辺り(2025年9月)で、秋田商工会議所が秋田県に対し、存続に向けて県から関係機関へ働きかるよう求める要望書を提出した。遅い。県議会において廃止が明らかになったのは2025年2月なのだから、その時点で早急にやるのならまだしも。

 

以下、土崎駅のすぐ先、本線から支線が分岐してすぐの場所にある、歩行者・自転車道の「港船ヶ沢踏切」周辺の風景を中心に。
クルーズ列車の最後の運行は2025年11月14日。

その直前
すでにレールに錆が出ていた。

 

2025年12月末頃かと思う。

撮影は2026年1月上旬
踏切の手前に、枕木3本を束ねた車止めが設置された。
11月14日以降も、何らかの運行はあった可能性は否定できないが、これにより、支線を列車が走ることは物理的に不可能になった。
そこへ雪が積もって静かに廃止を待つ。

2026年2月中旬。雪に線路が埋もれた

 

2月下旬。雪は消えた


5月の連休明け頃か。

5月中旬
踏切の道の両側に、鉄パイプを組んだ柵が設置された。ここ以外の車が通る踏切にも設置。

パイプ内側にはトラテープ

 

5月中旬。レールはさらに錆び、ブタナが茂る

現状で廃線同然だから、7月1日になっても、取り立てて動きはないのではないか。ただ、いつかはレールが撤去されるだろう。踏切も。

 

5月中旬。旧国道「相染新田踏切」
列車が通れない状態でも、車両が踏切を通過する時の一時停止は必要。秋田の運転者は踏切一時停止の遵守率は高く、ここでもほぼ全車が止まっていた。それが当たり前だけど。

相染新田踏切が廃止になると、よそ者ながら気がかりなことがある。この踏切付近は、線路両側に線路と並行な道路があるため、踏切の両側で左右から車が出てくる可能性がある。上の写真でも2台が出ようとしている。
また、市立港北小学校の通学路になっていて、この踏切付近で旧国道を横断することになっているようだ。横断歩道ではなく、北側(上の写真右)の路面が緑にペイントされている。
現在は、旧国道の車が踏切で一時停止するついでに、車を合流させたり、歩行者を横断させたりしているのを見かける。
道幅が狭いわりに通行量はある旧国道において、踏切で一時停止することで、速度抑制の効果があるかもしれない。いい意味でのボトルネック。
踏切がなくなれば、今までより通行速度は上がるから、歩行者が横断しにくくなったり、事故になったりしてしまわないだろうか。

そして廃線跡はどうするのだろう。

【7月2日追記】7月2日時点で、港船ヶ沢踏切、相染新田踏切とも変化なし。通過車両も一時停止している。特に報道もなかったので、廃止を意識しない市民が多いだろう。
1907年開業だそうなので119年にわたり土崎の光景だったのだから、最後に何かあっても良かったかも。昔は蒸気機関車が走っていたのだろうが、その頃の写真など残っていないのだろうか。
【さらに追記】7月8日時点でも、2踏切周辺で変化なし。(以上追記)


本件と直接の関係はないが、7月1日にはJR東日本の事業体制も変わり、支社が細分化されて「事業本部」となる。この記事にて

静岡の桃

秋田市のスーパー「ナイス」で、桃が売られていたそうだ。早い。

 

「JA静岡市 長田の桃」

暖かいところ産だから早いのか。

「暁星(ぎょうせい)」は品種名。初めて聞いた。
福島県などの主力品種「あかつき」の枝変わり(芽条変異)で、あかつきより少し早く熟すとのこと。
ちなみに、品種登録はあかつきは1979年、暁星は1986年。思ったより古い品種。秋田であかつきの名を聞くようになったのは、1990年代後半だったと記憶する。


今年の初物は、程よい柔らかさで甘くておいしいかった。言われてみれば、あかつきの味かな。【29日品種・桃の硬軟は好みが分かれ、僕は柔らかいものが好き。あかつきは果肉が硬めの品種なので、今回はよく熟していたようだ。】

それにしても、静岡市にしても静岡県にしても、静岡で桃が穫れるイメージがなかった。
あくまでもイメージであって、岡山県が桃産地なのだから、静岡でモモが生育しても不思議ではないけれど。
実際のところ、静岡県の桃の生産量は、統計でもよく分からないほどわずか。県別順位でも、かなり下位のようだ。そんな静岡県の数少ない産地が「長田」。

静岡市は何度か訪れていて、多少の地名は把握しているが、「長田」は初めて聞いた。
駿河区の「おさだ」だそうで、静岡市街地の西の安倍川を渡ってすぐの一帯の平野部。台風中継でおなじみの用宗海岸がある、用宗(もちむね)地区の手前。山奥などでなく、けっこうな街なかだった。
東海道本線や東海道新幹線で通過していることになる。下り列車で左側に富士山が見える(左富士)辺りか。


静岡市ホームページ「長田の桃(ページID:5416)」には、「長田(おさだ)地区は、全国一、二を誇る早出しの桃の産地」「明治30年(1897年)頃から桃の栽培を始めたという記録」「現在は広野の地域を中心に桃農家が軒を連ねます」など。
「一等品のほとんどは東京・名古屋の市場へ出荷されるため、静岡市内での流通は一部のみ。」とも。品種はさまざま栽培されている。
今回のは、大きさがやや不ぞろいだったから「一等品」ではないかもしれないが、秋田で手に入ったのは貴重なのでは。

「広野の地域」とは、駿河区広野。厳密な地名としては長田ではないが、広い意味で長田エリアに含まれるのでしょう。
位置的には、長田より海側(地名としての長田は海に面していなそう)。安倍川の河口(で合流する丸子川)から用宗までの間。

静岡の果樹産地と聞いて、平野に迫った丘の斜面、いわゆるみかん山を連想した。そこにカンキツ類の代わりにモモが植えられているのを想像したが、違った。

地理院地図に赤い楕円を追加
地形図では、海岸からすぐのところに1km×300m弱の横長の一帯に果樹園の地図記号。Googleマップストリートビューを見ると、たしかにモモらしき木が植えられている。海と住宅街に囲まれ、そしてもしかしたら富士山が見える環境で育った桃だったのか。


長田の桃を皮切りに、これから桃のシーズン。
その最後を飾るのは、9月に出回る北東北の桃。
全国的には、それこそ桃産地のイメージは薄いが、秋田県では生産が増えていて、県別ランクで10位に入るかどうか辺り(2025年は入らず)。

秋田県北部、鹿角地域では「北限の桃」としてブランド化。2026年は大雪で枝が折れてしまい、収穫は3割減の見込みだという。
それより北の青森県でも生産が増えていて、平川市碇ヶ関などが産地。
気候変動で産地と生産量は変化していく。そのことは素直に喜べないし、地産地消もいいけれど、いろんな土地のいろんな食べ物を食べるのは悪くない。

秋田駅の電化柱1

鉄道車両のうち、電気を動力として走るものは、空中から吊り下げて張った架線(かせん※)から電力供給を受ける。一部地下鉄の第三軌条方式や、蓄電池式電車は別として。
※業界用語では、「河川」と区別するために「がせん」と濁すこともあるらしい。

 

その架線を張るための柱が、秋田駅の北側で変化している話。
線路の配線やポイントなど、鉄道設備を研究する愛好家もおられて、架線を対象とする人もいるが、サイトなどは多くなさそう。たしかに、興味を持ったらおもしろいが、僕は予備知識もない“にわか”なので、以下、見当違いもあるでしょう。

 

「架線柱(かせんちゅう)」と呼ぶと思っていた。ネット上でも架線柱が多いものの、JR東日本では「電化柱」と称しており、メーカーや業界団体等でも電化柱とするところが多いので、ここでは電化柱を用いる。

電化柱は、立地(橋の上など)や各鉄道会社・路線ごとの違いにより、材質や形が違う。間隔は50メートル前後。
秋田市街地の奥羽本線・羽越本線では、コンクリート製の柱が、50メートル間隔で立つのが基本。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20260322/20260322202008.jpg再掲)奥羽本線・鯉川駅付近
管理用の番号が振られている。
上の写真の「1」のように、秋田の奥羽本線では番号以外の数字も記された白と黄色のものが巻かれている。一方、羽越本線では小さめの数字のみの白い板が巻かれる。羽越本線のほうが、電化開業が3年ほど先なので、時期的な違いなのか。【29日追記・奥羽本線でも、小さく白い板で、文字が消えて読めない表示もあるので、電化時期の違いではなさそう。】

 

隣り合った電化柱で数字が1つ違うので、連番を振っていることになるが、数字は2桁が最大のようなので、5キロも進まないうちに、同番が出てくるようだ。【29日追記・信号機があると、番号がリセットされていそうなことを発見。駅間の信号で区切られた「閉塞」が長い区間では、3桁もあるのかも。】
同一箇所に複数の柱があると「1-1」など枝番が付く。

 

上の写真の鯉川の電化柱では、分かりにくいが「1」の下に小さく「1971.10」とある。秋田総合車両センター横の柱にも同じ表記があるし、この区間の電化開業は1975年10月なので、その柱の製造または建柱年月なのではと思っていた。

 

秋田駅構内の北側。

各ホームのほか、留置線もあるので、線路も架線も、そして電化柱も複雑な配置でたくさんある。
電化柱に注目してみれば、珍しそうなものもまぎれているのだけど、それはいずれまた。
気付いたのは2026年3月。

複数の線路分の架線を吊るす、門型の電化柱がほとんどだが、最大で50メートル以上になる全幅を1組ではカバーできず、何組かで分担している。番号表記は「副」とか枝番が付いて、複雑。

うち、4・5番線分を担当し、ホーム先端・出発信号機のそばにある「副49-3」と「副49-4」の柱がやけに新しい。柱のコンクリートは白く、「ビーム」と呼ぶそうだが、2本の柱の間に渡されて架線を吊るす金属部分は輝いている。他のビームは平らな棒でできているが、これはパイプ状。
架線の路線というか系統を示すのだと思われる(調べても分からなかった【27日補足・「き電区分」を示しているのか?】)が、「B」の表示は、他の電化柱よりも大きい。

「2025年11月」
新しいものは、堂々と年月を表記していた。それが製造か建柱か、どちらかは分からない。続編で触れるが、柱だけ先に立てるようなので、電化柱として稼働開始するのは、その数か月後になると思われる。
その前の「井筒1号4段」が分からないが、「井筒工法」とかいう基礎部分の工法を指すのかも。

 

ここの電化柱を新しくしたのか。前のを引っこ抜いて?

2015年8月撮影 Googleマップストリートビューより
そうではなく、以前は両隣の線路分の電化柱と、柱を共用していたのだった。3番線側の柱は、羽越本線仕様の表示板で「50」か? 6番線側は「副? 50-1」。
柱を増設して、4・5番線用を独立させた形だが、どういう意図なのか。今後、両隣も新しくするつもりなのか。あるいは、この付近にかつてあったランプ小屋みたいなもの(2020年10月~2024年5月の間)や、5・6番線の端の休憩所みたいな2階建ての建物(2017年7月~2019年9月の間)が相次いでなくなっているので、この辺りの構造物を整理する一貫なのか。

2015年8月ストリートビューより。左の小屋、右の建物は今はない

 

4・5番線付近では、その後、動きはない。
一方、8番線の東側の留置線付近では、現在進行形で電化柱が変わりつつあるので続く。

路面に方面

秋田市の土手長町通り。
「広小路西」交差点から南方向
向こうのシダレヤナギ並木が旭川。先方のピンク色が「土手長町横断歩道橋」、その先が「二丁目橋」交差点。
今週初め、ちょっとした変化に気付いた。

 

土手長町歩道橋から。奥が通町橋方向、右が広小路・秋田駅方向
ここの南行き方向は5車線に分かれている。二丁目橋交差点で竿燈大通りへ右折する3車線と、直進する2車線。
その道路標示(路面の白線)は、これまでは、進行方向別通行区分とその予告の矢印だけだった。
いつの間にか、直進方向に「国道13号方面」と「秋田駅方面」の文字が追加されていた。

 

二丁目橋交差点の反対側、北進して二丁目橋・竿燈大通りへ左折する側には「合流注意」がペイントされている(比較的最近、2015~2017年の間に新設)。その他「追突注意」のような定型の注意喚起の標示は、秋田でもたまにある。
だが、具体的な地名を記したものは、とても珍しい【末尾追記参照】。少なくとも秋田市街地では初ではなかろうか。

2015年に三重県鳥羽市の鳥羽駅前では見かけた
積雪地の秋田では、積もれば見えなくなるし、除雪作業による摩耗もあるかもしれないので、やらないのかと思っていた。


ここの場合、車線数が多く複雑で、たまに戸惑っていそうな車はいる。ただ、歩道橋の橋桁に、全車線に方面を記した標識はある。それに加えて、直進車線のみ、路面に表示したのはなぜか。
直進の場合、二丁目橋交差点の先で4車線になって、すぐ「北都銀行本店前」交差点(来年元日にフィデア銀行になると変更するのでしょうね)。左側3車線は中央通り・秋田駅方面へ左折、右1車線が直進して有楽町・国道13号方面。
したがって、直進し続ける車は、早めに右側の車線に入ったほうがいい。広小路から来て、左車線でもたもたしていると、中央通りへ入って秋田駅前へ戻っちゃうよと警告する意味もあるのかも。
二丁目橋交差点の手前には、広小路側にも秋田中央警察署側にも、案内標識(いわゆる青看板)がないので、設置すれば分かりやすいようにも思う。標識設置よりは安上がりだからと、標示にしたのか?


(再掲)
鳥羽駅前の標示の文字は、視認性を重視したのか、アンバランスで不格好に感じた。ストリートビューによれば、その後も同じ文字で引き直されているが、2025年11月時点では薄れて消えそう。

歩道橋から撮影した画像を上下回転
秋田の標示は、三重よりはスマート。視認性も悪くないでしょう。「方面」は省略しても良さそう。
文字が薄れた時どうなるか。そして他の交差点に波及するか。

 

【25日コメントいただき、秋田市内他の事例について追記】
国道7号「追分」交差点(追分三叉路)南に、「男鹿」と「能代」があった。「方面」がなく、2012年10月時点で存在し、筆跡(文字のデザイン)が違う(近年もその筆跡で引き直されている)ので、初期タイプと言えよう。

国道7号「臨海十字路」交差点西の、臨海大橋方向から北へ左折する車線には「能代方面」。他の車線には「追突注意」が標示され、いずれも2015年~2018年の間に新設され、二丁目橋と同じ筆跡。