広く浅く[blog.goo.ne.jp/taic02より移転]

https://blog.goo.ne.jp/taic02 から移転。秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記など、広く浅く、時には中途半端に深く、いろいろと。

はじめに

2008年9月12日から、gooブログ(https://blog.goo.ne.jp/taic02)で投稿していました。
gooブログが2025年11月18日に終了することになり、2025年9月3日から、この、はてなブログへ移転して、継続することにします。
デザインや操作の違いにはまだ慣れませんが、「心機一転」ではなく、gooブログ時代と方針を変えず、極力、同じブログにしていきたいです。どうぞよろしくお願いします。

 

お読みいただくにあたって、ご案内とお願いを記しておきます。

●ブログの題材について
長年住んでいる秋田市、大学時代を過ごした青森県弘前市の風景、出来事、地理、さらに旅行記、植物など生き物、ランチパックなどメーカー製のパンなどをよく取り上げます。
鉄道、路線バス、信号機、書体(フォント)なども扱いますが、そこまで専門的な知識がなく、また、詳しくないかたにも分かるように記すので、知ったかぶりだったり、回りくどかったりするかもしれません。


●ご覧いただく際にご承知おきいただきたいこと
当ブログは個人が収集した情報に考察等を加えた個人のブログです。したがって、扱っている内容の当事者とは関係ありません。
また、根拠や出典を明確にするよう心がけていますが、必ずしも正確な情報ではない場合もあり得ます。アップ後に状況が変化した際は、その旨を追記するよう心がけますが、フォローしきれない場合もあります。
これらの点をご了解いただき、当ブログの内容を元に、出かけたり買い物したりする際は、公式な情報も確認するなど、ご自身で判断するよう、お願いします。


●記事の探しかた
いろいろな分野を記事にしているので、ほしい情報が見つけづらいことがあるかと思います。
主なカテゴリーごとの記事一覧は、以下のリンクからどうぞ。gooブログ時代はカテゴリーを1つしか設定できなかったので、大雑把ですが。

秋田の季節・風景  秋田のいろいろ  秋田の地理  秋田市営バス

津軽のいろいろ    旅行記

ランチパック・パン    各地のお土産・食べ物

 

カテゴリーのほか、ブログ内の検索窓を使っても、見つけづらいこともあります。
その際の手段として、Google検索で「キーワード taic02」で検索すると、見つかることもあるのでお試しください。「バナナボート taic02」「バスダイヤ改正2024 taic02」などです。【2026年4月23日補足・ブログ移行の結果、gooブログ時代よりも検索に引っかかりにくくなっています。確実にその記事があるのに、検索結果に表示されないものも多く、何とかならないものか…】


●コメントについてのお願い
読者の反応が分かるコメント機能は、ブログならではのものです。感想、質問、情報提供等がありましたら、コメントをお送りください。古い記事へのコメントもどうぞ。

ただ、コメントは、ネット上で世界中の人の目に触れ、長く残るものです。この点を理解いただき、常識と良識あるコメントをお願いします。また、すべてのコメントにお返事するとは限りませんので、ご了承ください。

なお、コメント欄以外のメッセージ送信方法として、メールによるものを導入しようか考えているところです。開始時にはここに追記します。【2025年10月13日追記・プロフィール(about)ページ内に、メールアドレスを掲載しました。「アットマーク」を「@」に変えれば送信できます。】


●リンク、引用等、二次利用について
当ブログへのリンクはご自由に。文章の引用は、常識の範囲内でお願いします。いずれも連絡は不要です。

画像の転載や、当ブログの内容を元にした商用利用(報道等)は、当ブログが出典であることを明示いただければ、いいことにします。この場合は、連絡していただけるとありがたいです。


●gooブログからの移転関連のお知らせ
移転時に、コメント、画像の転送と過去記事へのリンク修正を行っていますが、一部、対応できていない可能性もありますので、ご了承ください。
gooブログの個々の記事へのリンクやブックマークをされていたかたは、2025年11月以降、表示できなくなる点も、ご承知おきください。なお、gooブログの記事個々のアドレスは「https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/★★★」の形式ですが、★★★部分は、移行先のはてなブログでも共通です。したがって、「https://taic02.hatenablog.jp/entry/★★★」に変えると、はてなブログ側で同じ記事を見られることを、参考までにお知らせします。
【10月13日追記・gooからインポートしたコメントについての不具合を発見】
コメントの行頭に半角「>」がある行は、はてなブログでは表示されなくなっていました。
したがって、記事中からの引用や、複数のコメントにまとめて返信した際等の相手のお名前が、消えてしまっているものがあります。【11月29日追記】インポートしたコメントでは、本来よりも改行が多く入る不具合もありそう。(以上追記)

 

※この記事は2025年9月3日アップですが、ブログ最上部に表示させるため3025年の日付としています。

昼竿燈の会場と定義の変遷

8月3日から6日まで、秋田市で「秋田竿燈まつり」が開催。
これまでの梅雨空から一転、3日は晴天。4日に梅雨明け。珍しく、最終日まで雨の心配がまったく要らなかった。6日は最高気温33.6℃。

 

「昼竿燈」という言葉がある。
竿燈は、夜に提灯に灯りを入れて行うのが本来。夜の竿燈を「夜竿燈」とはあまり言わない。秋田市竿燈まつり実行委員会では、「夜本番」と称しているが、これも市民に通用はするだろうが、自発的には言わないだろう。

「昼竿燈」は、広義では昼花火や昼行灯のように、「竿燈を明るい時間に揚げること」を指したり、もう少し狭めて「竿燈まつり期間中の昼間に、市内あちこちで揚げられる竿燈のこと」、「竿燈まつり期間中の昼間のイベント全般」を指すかもしれない。

狭義では「竿燈妙技大会」を指す。「妙技会」と呼ばれることも多い。
毎年8月4日から6日(※)の昼間に行われる、竿燈を揚げる技やお囃子の競技会のこと。
※(夜の)竿燈は日数や日程に変遷がある。少なくとも1988年に4日間になってから(それ以前は8月5日~7日)は、妙技大会は初日を除く3日間。
報道では、NHK秋田は「「竿燈妙技大会」は日中に行われることから「昼竿燈」とも呼ばれ」、秋田テレビは「竿燈妙技大会(昼竿燈)」、秋田魁新報は「妙技大会(昼竿燈)」としている。

現地の表示は大きく「昼竿燈会場」、小さく「第78回 竿燈妙技会」
現在、公式には、竿燈妙技会と昼竿燈が同義に扱われている。


竿燈妙技会は、エリアなかいちができた2012年から、その広小路に面した「にぎわい広場」が会場。
それ以前は、なかいち向かい、千秋公園に向かう「中土橋通り」で行われていた(2009年)。
なお、雨天時は秋田市立体育館で行われる。

ブログ「二〇世紀ひみつ基地」によれば、過去にさかのぼれば、風の影響をなくし公正な審査をするため、天候に関わらず市立体育館(おそらく移転前の現・県庁第二庁舎の場所の頃?)で行われたことがあったようだ。また、妙技大会ではなさそうだが、大正時代など戦前に、中土橋や広小路で昼に竿燈が揚がった写真が残っている。

 

そして、2000年から2006年は、また別の場所で開催された。
2001年8月5日(日曜日)に撮影した写真を2つ。

 

通町の通り(県道233号)が会場だった。
上はどちらも通り北側歩道からの撮影で、1枚目は東・通町バス停~通町橋方向を、2枚目は西・大町通りが突き当たる丁字路付近を、それぞれ撮影。
2枚目の写真で、茶色いビル(当時は大町企画ビル、今は大町第2レインボウビル。1982年5月築)の右、とんがり屋根のテントがある場所は、丁字路角・現在のセブン-イレブン秋田通町店(2013年開店)。
その右の緑色は秋田市民俗芸能伝承館・ねぶり流し館。
それらの奥の赤い四角い看板は、秋田ニューシティ(2010年閉館)の「辻兵」のもの。この時点ではまだダイエー秋田店も入っていた(2002年8月31日閉店)。


以下、当時の状況は「広報あきた」での告知に基づく。
会場の名称は、2003年まで「通町商店街」、2004以降「通町」の表記だが、場所自体は同一(2000年のみ一部例外あり。後述)。
妙技大会会場としては、通町橋たもとから丁字路にかけて100メートル程度。県道の交通規制は、それに通町橋を含めた区間。短い感じもするが、中土橋やなかいちで開催できているのだから、その程度で充分か。
丁字路以西や大町通りは規制されなかった。通町経由の路線バス各路線は、竿燈大通りへ迂回。直進して通町二区を通る路線は、大町西交差点~菊谷小路との交差点まで迂回するため、通町二区は臨時バス停で対応したはず。

1998年に始まったヤートセ秋田祭は、菊谷小路との交差点まで交通規制して開催していたイメージが強い(通町開催は2024年が最後)。しかし、開始当初はアゴラ広場や中土橋でやっていたそうだ。遅くとも2000年6月には通町で開催されていたので、商店街の受け入れ態勢や交通規制のノウハウは共有できたかもしれない。

ちょうどこの直前(1998年だそう)、通町~大工町の道路拡張が終わって広くてきれいな通りになったことが、会場変更の理由ではないだろうか。
妙技大会は通町が会場になる前も、中土橋でやっていた。
中土橋と比べると、空が広くて開放的で、夏空に映える竿燈も美しいと感じて撮影した記憶がある。

二〇世紀ひみつ基地によれば、通町は風の影響が大きいため、出場者から不評で中土橋に戻された由。たしかに、通町は東西に風が抜けてやりづらそう。


そして、竿燈は城下町の庶民の祭りである。旭川より西側が町人の住む「内町」だったわけで、それにふさわしい会場だとも思った。上の写真で演技中なのは「上亀之丁」だが、会場すぐそばの町内。

 

夜の竿燈は1988年に4日間に拡大されたが、当初は8月4日~7日(1992年「ひらり」)。
昼が通町に移った2000年が、その最後の年だった。2001年から現行の8月3日~6日に前倒し。

2000年の通町での開催は変則的だった。
妙技大会自体は5日~7日だったが、4日の午後も通行止めにしてイベントを行っていた。ステージも作られたようだ。
同時開催として「サマーフェスタ美心2000」なるもの。
「美心」は見慣れぬワードだが、「びごころ」と読み、1998年策定「秋田市観光振興計画」の「メインテーマであり、美酒・美食・美林を彷彿させる「美」をコンセプトとしたもの」。※当時のタバコの袋
4日は、バトントワリングパレード、大抽選会、ジャズダンス、民謡舞台。
5日・6日は盛りだくさんで、港ばやし、ヤートセ、大道芸(チンドンミュージック、中国雑技)、特産品実演販売等々。
それらの分なのだろう、会場が西方向へ1ブロック長く、交通規制はせきや東(上肴町の通りと交わる)の信号機のない交差点まで実施。

2001年からは3日間(4日~6日)に。
2001年は4日と5日に「街の風音楽祭」を開催。大町と通町の商店街の主催だったようで、通町、サン・パティオ大町、日本銀行秋田支店前でのストリートライブを開催。今の「アキタミュージックフェスティバル」に通じるものか。
5日には妙技大会会場(終了後)で、南米カーニバル「サヤパレード」。
同じく5日に、通町佐野薬局隣で、「秋田市俳句人連盟」の創立記念イベントとして、その場で誰でも投句できる「野外俳句大会」を開催。

2002年は、4日と5日に港ばやしやヤートセの他、西馬音内盆踊り、羽川剣ばやし(秋田市下浜羽川)、エレクトーンミニコンサートなど。
「竿燈まつりの協賛イベントです」と明記して、「野外俳句大会」も継続。俳句の題材は「竿燈まつり」。

2003年は、妙技大会前日の3日に野外俳句大会。日曜日だから曜日の都合?
郷土芸能、エレクトーンは「サマーフェスタ2003」として、駅前のアゴラ広場へ。
また、「あきた特産市」が市役所前と産業会館跡地でおそらくこの年から開催。これが現在の「あきた竿燈屋台村」の原点なのだろう。
特産市は中土橋やアゴラで開催された年もあり、2009年は産業会館跡地で特産市、市役所で「秋田竿燈屋台村」と区別。2010年はアゴラも含めた3会場で「竿燈屋台村」を開催。
なお、ニューシティ跡地の屋台は、秋田商工会議所主催の別イベント。ニューシティ解体後の2011年に「B級グルメフェスティバル」として始まった。2012年から「ご当地グルメフェスティバル」。

2003年8月4日17時35分。市営バスは市章がシールの131号車
↑この日は時折雨で、路面が濡れている。妙技大会はどうだったのかは不明だが、各店舗前には出店に使うのかテントがある。夜は開催された。
2001年にも写っているが、妙技大会開催区間の沿道に、電球入りの提灯が設置されていた。本物の竿燈の提灯に似た、立派なもの。ここは電柱がない(地中化ではなく裏側に配線)ので、施工は大変かも。
なお、道路拡張前は、竿燈期間中に商店街が独自に、大量生産品の赤と白の縦縞の細長い提灯を設置してた。当初は電球入りだったが、平成になる辺りに電球なしになった。
また、竿燈大通りの夜会場にも、ピンクと白の細長い提灯が設置されていた。秋田魁新報、秋田放送、秋田テレビの名入り・電球付き。https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250905/20250905083453.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250904/20250904093031.jpg(再掲)2009年
2010年は設置されていたが、2011年はなし。東日本大震災による節電が理由だろうか。それ以降、設置されなくなり、竿燈の観客への落下防止のワイヤーのみ張られる。

 

2004年は4日に野外俳句大会。サマーフェスタはアゴラ。
2005年、2006年も同様。2005年7月末に、ねぶり流し館隣の旧金子家住宅の公開が始まる。
2007年には、妙技会とともに俳句大会も中土橋近くの市立中央図書館明徳館前に移り、4日~6日開催の「竿燈祭り俳句大会」に(事前募集形式に?)。通町でのイベントはなさそう。

なお、俳句大会は2011年には開催されているが、2012年の広報には情報がない。現在は開催されていなそう。


竿燈を中土橋に戻した理由は、上記の風だけではないのではないか。
長時間の交通規制が生じること、秋田駅からやや距離があり、観光客の移動や食事・休憩場所の問題などもあったのではないだろうか。秋田市の商店街の中ではがんばっている通町ではあるが、観光客を満足させられるとは限らない。

2026年8月6日16時
↑2003年の写真とほぼ同じ位置から。2001年にはこの付近にお囃子のステージがあったはず。この背後、高砂堂付近には置き竿燈もあった。
今も時折、旅行客や竿燈演者が歩くものの、装飾も目立った出店もなく(キッチンカーは来ていたか)、いつもの風景。商店街も25年前よりは寂しくなった。あと、ここの路面のブロックというかタイルが白くて、反射がまぶしい(市道区間は違うブロックなのでそれほどではない)。


最後に、2000年代の広報あきたの会場案内図では、妙技大会の会場に「昼竿燈主会場」と記されている。
となると、「主」でない=妙技大会でない昼竿燈の会場もあることになり、妙技大会=昼竿燈ではなくなる。冒頭の定義に戻るが、この頃はもっと広い意味だったことになろう。僕がとらえている昼竿燈は、これに近く、なし崩し的に【7日訂正・知らぬ間にあいまいにしつつ、しれっと】意味が狭められたことに違和感がある。
竿燈じゃないものを見せられて「昼竿燈」はおかしいということならいいが、市主催にしても、協賛イベントにしても、まつり本体以外を開催する余力【7日補足・経済面、人材面とも】がなくなってきたことを意味したりはしないだろうか。
【7日追記・夜について】夜の竿燈の入場前に開催されていた「民謡手踊り(2000年代まで?)」や「市民パレード」が、今年はなくなった。代わりというわけでもないだろうが、初日と最終日の全演技終了後に八橋運動公園を基地として、500基のドローンショーが行われた。大阪・関西万博でも行われた、秋田市出身の人が経営する企業によるもので、好評。
この変化も、突き詰めれば同じことではないだろうか。踊りやパレードでは、無償の出演者の確保、複数団体との調整が必要だったが、ドローンショーは、1社に頼めば済むのだから(準備風景を見たが、社員らしき人が10人程度しかいなかった)。(以上追記)

 

通町以前、20世紀は中土橋で昼竿燈が行われていたとしたが、実は1980年代は、また違う場所で開催されていた。今年の竿燈は終わってしまいましたが、続く。

遠来のバス@総文

「文化部のインターハイとも呼ばれる(公式サイトより)」、第50回全国高等学校総合文化祭(あきた総文2026)が、2026年7月26日から8月1日まで、秋田県内各地で開催された。「総文祭」と略してしまいそうだが、公式には祭を付けない「総文」とするようだ。

インターハイに限らず運動部の大会では、貸切もしくは自前のバスで大勢でやって来るイメージがあるが、文化部はそれほどでもないようで、秋田駅では、生徒2~3人と引率教員みたいな小集団の参加者も見た。
一方、性質上、運動部以上かもしれない大人数となる部門もあった。

秋田市大町二丁目
ニューシティ跡地、「大町イベント広場」と命名された(が認知度は低い)場所に、たくさんの貸切バス。


イベント広場というわりには、空いているか駐車場として使われることのほうが多い。駐車場は近隣のホテルに宿泊する団体のバスや、旭川を渡った千秋公園のあきた芸術劇場ミルハスで開催される催しの関係車両が使う。
今回も、ミルハスで7月31日~8月1日に行われた、総文の吹奏楽部門用の駐車場だと思われる。

吹奏楽部門には43校が出場。遠くは沖縄、鹿児島、宮崎、長崎、愛媛、香川などからも。楽器の運搬なのだろう、大きなトラックも何台か入っていた。
バスは、参加校・団体の地元のバス会社のものもあったが、出場校と比べて県内や隣県のバスも多かった。秋田県内または隣県まで他の交通手段で来た後、バスに乗り換えた学校もあったと思われる。※他部門も含めて、宿泊地や会場に移動するバスの手配を、東武トップツアーズが請け負ったとのこと。

他の催しでも同様だが、ミルハス前のスペースの都合から、降車後、バスがニューシティ跡地まで回送して、終わるまで待機というパターンが基本。
だが、今回は、冒頭の写真のように、雨で蒸し暑い中、ミルハスからニューシティ跡地まで歩いて来てバスに乗る学校も見られた。狭い道や一方通行があって、バスで行き来するのは大変ではある。


遠来の貸切バスは、花見や竿燈など夏祭りの際にも、いろいろと見ることができる。だが、それは貸切専業のバス会社のことが多いように思われ、ナンバープレートを見ないとどこから来たのか分からなかったり、分かってもあまり感慨がなかったりする。
ところが、今回来ていたバスは、ほぼすべてが、路線バスもやっている各地の大手の事業者であった。バス(あるいは鉄道)の知識がある者なら、名前ぐらいは聞き覚えがあるものばかりで、そこのバスが秋田まで来たことに感動した。ただ、車体塗装は知らなくて、表記を見ないと分からないものが多かったけれど。
【4日追記・祭りなどの長距離ツアー旅行では、全行程をバスで移動することは少なそうで、遠くても関東や北陸辺りが限度だと思われる。今回は、それ以遠から来たバスも少なくなかった。】

写真がないものでは、茨城交通、新潟交通、福井鉄道など。近場からは岩手県北自動車、弘南バスは弘前営業所と五所川原営業所から1台ずつ。以下、敷地外・公道上からの撮影なので、車両の後ろ姿が中心です。

白地に青い横線「国際興業カラー」の3台
かつて国際興業グループであった、十和田観光電鉄、岩手県交通、秋北バスは同じ塗装なので、北東北ではよく見かける車体塗装である。十和田湖など観光地で3社が集結することもある。
どの会社のバスかは、文字を読まないと区別できないのだが、かつては大きな文字は「Kokusai Kogyo Group」表記のものもあった(国際興業本体の中古車と思われる)。
北東北3社は2013年に国際興業グループを離れた。その後は、盛岡に「国際東北株式会社」ができて、3社はその子会社になっているようだ。塗装は継続。

ではこの3台は?
いずれもいすゞガーラで、車体のラインの位置もぴったりそろう一方、ISUZUエンブレム、銀色の部分の「ISUZU GARA」ロゴ、屋根上のリアスポイラーや後部バンパーの色はまちまち。
右は金色で鮮やかに表記された通り、秋北バスだが、秋田ナンバーでなく盛岡ナンバー。岩手県八幡平にある田山営業所所属。
左は十和田観光電鉄で、(秋北バスよりくすんだ)金文字。その右の赤と黄色と青の正方形の横に小さく「Kokusai Tohoku」。八戸ナンバーでなく青森ナンバーなので、青森か野辺地所属。
何も表記がない真ん中の車は後ほど。

別の2台
右の十和田観光電鉄は、文字の金色が鮮やか。八戸ナンバー。リアウィンドウからすれば日野セレガ。
国際興業時代は、いすゞ製のバスしか購入できなかったが、東北国際ではその縛りがなくなった。

左の盛岡ナンバーのガーラが岩手県交通。Kokusai Tohoku入り。
十和田観光電鉄と秋北バスでは、国際興業時代と同じ金文字表記を使っているが、岩手県交通は書体と文字色を変えてしまった。細くて目立たないし、なんか安っぽい。【5日補足・国際興業時代の表記は、金文字だったが、秋北・十鉄とは違うやや細身の書体。】

秋北バスは三菱ふそうエアロエースも。奥は楽器運搬トラック?
秋田200か1731ともう1台1733もいた。最近登録された中古で、どちらも東京の日の丸自動車興業から来たようだ。

 

さて、後部に何も表記がなかった車。

山梨交通だった!
同社も、2014年までに国際興業グループを離れている。
側面の金文字は、独特のひょろっとした書体で「The Bus of Yamanashi」。


以前は同じ書体で「Yamanashi Kotsu Bus」だったのが、2021年頃から順次変えているとのこと。
The Bus of Yamanashiは、企業名の英語表記などでなく「イメージワード」らしいが、ホームページには説明もなさそうで、いまいち分かりにくい。


国際興業塗装以外。

セレガ2台
「Hinomaru」
梨と砂丘の絵入りナンバー。今回見た絵入りナンバーは、他には弘前ナンバーのみ。
鳥取市の日ノ丸自動車(上記、東京の日の丸自動車興業とは無関係)。2009年に鳥取砂丘に行った時に乗りました。


さらに、別のセレガ2台。

側面と正面に「レオ」がいるライオンズカラー
ということは、西武本体系か伊豆箱根バスか近江鉄道バスか。


「OHMI-3776」とあるから、近江鉄道?
ナンバーも社番も連番の2台
「湖国バス」という、聞いたことがあるようなないような、近江鉄道の子会社だった。滋賀ナンバー。
正面の行灯は「湖国」と表示。西武グループでは、行灯をLEDにせず、水色地に白文字で「西武」「近江」「伊豆箱根」などと表記することに決めているようだ。国際興業グループよりも統一感がある。


後部には、
この位置のQRを読むのは難易度が高そう
「新名神でお出かけの際は 土山サービスエリアへ!」。
甲賀市の土山(つちやま)SAを、近江鉄道も出資する第3セクターが運営していて、その宣伝。キャラクターは、甲賀忍者と信楽たぬきをモチーフにした「土山たぬき」。

 

今年5月には、運動部の遠征で、あいまいな契約をしたバスによる痛ましい事故があった。上記の通り、総文吹奏楽部門では、しっかりとしたバス事業者が輸送を担ったことになる。でも、その費用はどこから出たのだろうか。野球の甲子園では、遠征・応援費用を広く募ることもある。
バス業界の人手不足、教員や保護者の負担、さらに学生の多忙、猛暑・異常気象も含めて考えると、文化部も運動部も、やたらと遠出してまで部活動をする必要ってあるのかと疑問を覚えてしまう。帰宅部OBとしては。

 


イベント広場に隣接する、秋田いすゞ自動車中古車センターは、これに合わせるかのように車両を撤収したが、総文期間は空いたままで使われなかったようだ。
総文が終わった翌8月2日には、イベント広場と中古車センターの全面で、次の設営が始まった。
3日から始まる秋田竿燈まつりの「ご当地グルメフェスティバル2026」の会場となる。

今さらラジャ・マハラジャー

アップするタイミングを逃していたが、NHK「みんなのうた」の2026年6月~7月の再放送曲の1つが「ラジャ・マハラジャー」であった。
初回放送は1985年2月~3月。作詞:福田三月子、作曲・編曲:吉川洋一郎、歌:戸川純、東京放送児童合唱団(現・NHK東京児童合唱団)、切り絵:柳沢京子、アニメーション:毛利厚。
再放送は2023年4・5月以来。

 

1980年代=昭和末期は何度も再放送され、我々世代にはなじみがある歌。
人によっては、怪しいような妖艶なような曲調や切り絵アニメーションが苦手だったかもしれないが、僕は明るくエキゾチックな雰囲気が好きだった。伴奏には、当時出始めのFM音源のデジタルシンセサイザーも使われているのではないだろうか。

ラジャ・マハラジャーに関していろいろ。憶測が多いですので、全面的には信じないでください。敬称略。


●再放送の時期
Wikipediaによれば、ラジャ・マハラジャーがテレビで2か月にわたる再放送されたのは、1991年までと、2008年以降。1996年と2001年にラジオのみでの放送があったほかは、世紀またぎ前後に空白の時期がある。
再放送中断は、単に「古い歌」とみなされたせいかもしれない。ただ、戸川純本人の歌唱による音源の発売は、2008年のアルバムまでなかったそうなので、再放送が復活した時期と重なる。音源化が再放送再開の呼び水になったのかも(関連して後述)。

以前も触れたが、昭和末期のみんなのうたの2・3月の新曲は、名曲ぞろい。ラジャ・マハラジャーは1985年の初回放送も、1986、1987、1991、2001(ラジオのみ)、2008年の再放送も、2・3月。例外は1996年のラジオの1996年10・11月。
2・3月との関わりは一切なさそうな歌だけど、たまたまなのか。

2017年以降になると、春夏に集中しているのも不思議。


●作者
作詞、作曲者について、今まで意識していなかった。
作詞の福田三月子は、真名杏樹の別名義。作曲家・船村徹の長女で、岡本真夜「TOMORROW」も作詞。
みんなのうたでは、福田三月子として、松本伊代の「ニャーンタイム(1983年)」や河合奈保子の「雨のてん・てん(1985年6・7月)」。さらに1987年の「ゆうやけ星」では、自ら歌ってもいるようだが、その曲だけ記憶にない。

作曲の吉川洋一郎は、今年1月に68歳で亡くなっている。みんなのうたでは、歌唱者や作者が亡くなってしばらくした頃に、それを意識したのではないかと思える再放送がされることがある。たまたまかもしれないが。
映画やテレビの音楽も多く手掛け、1987年「NHK特集 地球大紀行」やニュース番組の音楽を担当。
みんなのうたでは、1986年(これも2・3月の名曲)斉藤由貴「ポケットの中で」、1987年のアグネス・チャン「神父さんのパイプオルガン」を作曲、さらに1985年からの番組テーマ曲を作っている。テレビの5分番組冒頭に流れる、短い曲のことだろう。時期によってあったりなかったりして、今は別の曲だが、たしかに1985年に新しくなった記憶がある(その直前はなかったはず)。


●なぜ戸川純
僕は名前くらいしか存じ上げないが、戸川純は、このような子ども向けの歌を歌うようなイメージではないと思う。【8月1日追記・当時23歳】
みんなのうたは、いろんな人、意外な人が歌う歌も多いので、その1つなのだろう。この前年辺りから「笑っていいとも!」など多くの番組に出演して、人気と知名度が上がっていたようだ。歌はとても上手く、ふさわしい人選だった。
【8月1日追記・「行列つれて」の声が裏返るところを始めとする、声色の使い分けや感情のこめかたが絶妙で、「子ども向けの歌」に留まらないラジャ・マハラジャーの完成度を高くしていると思う。他の歌手のカバー版をいくつか聞いてみたが、子ども向けの歌に収まってしまっていて、オリジナルには及ばない。】


吉川洋一郎は戸川純のバンドメンバーでもあり、真名杏樹も少なくとも1曲を作詞している、そんなつながりで作られた曲のようだ。

 

●なぜマハラジャー?
そもそも、どうしてインドの「マハラジャー」の歌にしたのか。
Maharajaは「マハラジャ」「マハーラージャ」表記が正当とされるそうで、最後を伸ばすのはこの歌のみと思われる。意図したものなのか、勘違いなのか。
【8月1日追記・ヒンディー語で「ラジャ」は「王」、「マハラジャ」は「大王」なので、「ラジャ・マハラジャ(ー)」は、意味的には、王様、大王様と連呼している感じだろうが、韻を踏むというか語呂重視の歌詞だろう。】

当時、「マハラジャ」という言葉は日本で一般的ではなかったと思う。僕はこの歌で知ったはず。
マハラジャが広く知られるのは、1998年日本公開の1995年のインド映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」以降か。

 

だが、別の「マハラジャ」もあった。
バブル期を象徴するディスコ「マハラジャ」チェーン。1990年代のジュリアナ東京よりも前のディスコに当たり、内装がインド風だからマハラジャなのか。
マハラジャ1号店は1982年に大阪にでき、東京は1984年12月進出。

タイミング的に、このマハラジャから着想を得て、ラジャ・マハラジャーを作ったのかもしれない。

 

余談だが、青森県弘前市に「カリ・マハラジャ」というカレー店があった。
1992年オープン、2014年閉店


●イントネーション
今回の再放送で気になったのが、冒頭のアナウンサーの曲紹介のイントネーション。
「ラ ジャ↓・マハラジャー↓」と全部下げ調子だった。

「ラ↑ ジャ↑・マハ↑ ラ↑ ジャー↑」と全部上げるものだと思っていた。おそらく本放送時も、少し前の再放送時も、それで統一されていたのではないか。メロディーの上がり下がりとも近い。


40年近く前の歌で、NHK職員のアナウンサーやスタッフたちでも、往時のイントネーションを知らず、現在、「マハラジャ」と言う時も下げるから、今回はそれに従ったのかもしれないが、違和感とともに残念。

 

●ニャホニャホタマクロー
ラジャ・マハラジャーを語る時に関連してくるもの。多くの人にインパクトがあったようで、Google日本語入力でもすぐに候補に表示される。

「ニャホ・ニャホ=タマクロー」は、1942年生まれのガーナの医師、政治家のお名前。
ガーナサッカー協会会長に就いていた2005年3月23日に放送された、「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」で取り上げられた。
リアルタイムで見ていて、それだけならへぇーと楽しめたのだが、「尺」が余ったのか冗長なコーナーだった【4日追記・制作費が潤沢でもあったのだろう】。
著名な漫画家・画家に名前から想像するイラストを描かせたほか、いきなり歌が始まった。
ラジャ・マハラジャーの替え歌で、「ガーナのサッカー協会会長 ニャホニャホタマクロー」といった歌詞。
歌は「ニャホニャホ少年少女合唱団」で、想像イラストと組み合わせたアニメーションとともに、けっこうな長さで放映された。
インドサッカー協会ならともかく、国が違うし、単にラジャラジャマハラジャーと音数が合うだけ。ノリで替え歌にしちゃった感じがして、好きになれなかった。悪い意味でのフジテレビらしさかもしれない。【8月1日追記・歌全編の替え歌ではなく、「北から南へ行列つれて/おきさきさがしに行くそうな/まあ! まあ!」に相当する部分はカットされていたはず。その点も、都合良く利用したように感じて、好きでなかった。】
「吉川洋一郎 全仕事」ブログによれば、実際には「フジテレビのディレクターがこの曲の大ファン(http://yoichiroyoshikawa.blog65.fc2.com/blog-entry-332.html)」で替え歌に使ったそうだ。だが、どこの許諾も得ずに替え歌にした(これも悪い意味での、以下同)ため、NHKと吉川サイドから抗議され、後の放送ではクレジットが入ったとのこと。皆さん寛容で丸く収まったのは良かった【8月1日追記・作品を気に入って替え歌に採用したことについては、吉川氏は好意的だったようだし、視聴者の反応も良かったので、再度の放送につながったのだろう】。


再放送がなかった時期でもあり、元歌を知らず、ニャホニャホタマクローがオリジナル曲だと思っていた視聴者もいるようだ。
その意味では、ラジャ・マハラジャーの再注目に貢献したと言えよう。
CD化され、再放送が増えたのは、ニャホニャホタマクローもきっかけかもしれない。

大型中古も新塗装

秋田中央交通の一般路線バスに、2026年3月に新車が4台入っていた。中型ノンステップで、いすゞエルガミオ(秋田200か1757、1758)が臨海営業所、日野レインボー(1761、1762)が秋田営業所。

その前の導入は2025年の4台だったので、次は2027年かと思いきや、異例の早さで2026年6月に2台導入。6月4日に、「回送」表示で秋田運輸支局へナンバーをもらいに行くと思われる1台を目撃している。
2台ともエルガミオで、1774・秋田営業所、1775・臨海営業所(1757とまぎらわしい)。

エルガミオは2026年7月27日に、2022年12月以来のマイナーチェンジが実施された。前方の歩行者等を検知するフロントブラインドスポットモニターが採用されて、ヘッドライト周りなどのデザインが若干、変わった。
その直前のかけこみ購入みたいな形だが、何か意図があったのだろうか。負けてもらえるとか。


並行して、他事業者の中古車も導入しているが、新車が増えたせいか控えめ。最近の3台はいずれも、以下の通り特徴的。
中古車も基本的には、2025年の1707号車から突如始まった、窓より上~屋根がグレーの新塗装。行き先表示機は、今のところいずれも廃車発生品と思われるオレンジ色LED。

秋田市郊外や秋田市外を走る、子会社の秋田中央トランスポートの車両にも中古車が入っているようだが、クリーム色・アイボリーの旧塗装のままか?

そんな中、京成系列から来たという、1755号車(秋田営業所)は、なぜか旧塗装
塗装後、運用開始までの整備や手続きが手間取ったにしては時間がかかりすぎだから、トランスポートに入れる予定だった車を、急きょ本体へ回したとかだろうか。
これがラスト旧塗装車となるのか?

 

屋根がグレーのバスもだいぶ増えた
上の写真では、左側3台が旧塗装。待機する右側4台がグレー屋根、うち1台(右奥)は復刻塗装車、1台(右側2台目)が新車、2台が中古車。

 

 

右の1766
これも京成系列の中古だという、大型車・日野ブルーリボン(ブルーリボン2)。
大型車が少ないせいか、基本的に同じ車両が毎日同じ運用に入る、秋田営業所の配置。

大型車として初の新塗装であり、いすゞエルガと共通車種になってからのブルーリボンとしても初。※エルガとの相違点は、ヘッドライトが左右1つずつの2灯式である程度。
ただし、2018年度に井川町がスクールバス用に購入したブルーリボンを、トランスポートが運用している事例はある。

現在の中央交通の大型路線車はいずれも中古車で、いすゞエルガがほとんど(三菱ふそうエアロスター、大型扱いされる中型ロングの日野レインボーが少々)。
日野ブルーリボンは、共通車種になる前のものが1台(東武系列中古、ワンステップ)、2017年に来て、今は廃車になったのが最後だった。

余談だが、2つ上の写真左奥の1739号車は京阪の中古。4灯式なのでエルガミオかと思いきや、ヘッドライトが区別される前の世代の日野レインボー2。

 

もう1台大型。

1768、臨海営業所
ロゴは見当たらないが、4灯式だからエルガなのでしょう。
川崎鶴見臨港バスの中古だそう。いすゞ+富士重工5Eボディの319号車というのが同社の中古で来ていて、2013年まで走っていたのだが、それ以来か。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250904/20250904191245.jpg(再掲)

 


1768を上から見下ろしたら、気になるモノが。

屋根上最後部
中央はクラリオンのバックモニターのカメラ。中央交通ではどの車にも付いている。20年以上前の市営バス譲渡車に設置されていたものと見た目は大差ない。

それと別に、左右両端に、もっと小さいカメラみたいなのが設置され、いかにも後付けの配線がされている。

右はバックカメラ

後部バンパーの左右にも、同じようなものがある。
銀色のもの
障害物検知の超音波センサーではないだろうか。
クラリオンの場合、前と後ろの看板、ひさし、壁などへの接触を警告する「ソナーシステム」として製品化されている。
中央交通の他車には付いていないから、川崎鶴見臨港バス時代のものか。今は使っているのかな。

秋大時計に命名

先週半ば。

秋田大学手形キャンパス正門
秋大は8月上旬まで前期(今は学年を4分割することもあって、その「第2クォーター」でもあるらしい)授業があるそうで、今はテスト期間なのかな。

 

正門まっすぐの渡り廊下で工事をしていた。
渡り廊下の下側に、以前はなかった学章と「AKITA UNIVERSITY」「秋田大学」の文字が付いた。その上、窓の高さにはブルーシート。


この渡り廊下は2011年春に竣工し、その当初から、この部分には窓の代わりにデジタル時計が設置されていた。この記事中ほど。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/taic02/20250906/20250906130014.jpg(再掲)
24時制でオレンジ色文字。7セグメントのいわゆるデジタル数字表示だが、1本の棒ではなく、点が並んでそれぞれのセグメントを構成するタイプ。

奥まった位置にあるため、正門が面する県道15号からは一瞬しか見えない。だが、正門向かいにまっすぐ伸びる市道からは、よく見えた。それほど大きな文字ではなく、視力にもよるが、タカヤナギ グランマート手形店駐車場付近からも(少なくとも点灯しているのが)見えた。
その部分が工事中。シートの下に、まん丸の枠が透けて見える。アナログ時計にでもするの?

 

現在。


「DOWAサステナブルクロック」
以前と違うデジタル時計になり、丸いのは、その装飾だった。
秋田大学長のXによれば、23日時点でシートが取れているが、時計は点灯していない。
DOWAとは、秋田県とゆかりが深い、DOWAホールディングス(旧・同和鉱業)。

 

22日付で、大学とDOWAホールディングスによる「秋田大学とDOWAホールディングス株式会社 ネーミングライツ記念セレモニーを開催」が発表されていた。
それによれば、秋田大学2例目のネーミングライツとして、本件が契約、7月30日にセレモニー開催。附属図書館が「DOWA×秋田大学中央図書館」に、デジタル時計が「DOWAサステナブルクロック」となる。
ちなみに、ネーミングライツの最初は、2024年11月から、手形キャンパスの生協などが入る学生会館が、TDK株式会社との契約により「TDK Venture Spirit Hall」。


運動施設など、自治体が管理する公共施設の命名権売却・ネーミングライツは、今はすっかり当たり前になってしまった。※2014年の記事
近年は、横断歩道橋などそんなものの命名権が売れるかというようなものが、対象となることがある。秋田県では、先日、県警本部や県立高校までも含めた373施設のネーミングライツについて、サウンディング型市場調査を行ったが、反応があったのは、秋田ふるさと村の周遊バスと秋田白神県立自然公園の2つだけだったとのこと。

国立大学法人でも行われていて、弘前大学では今年度から実施。4社と13施設を契約している。
「文京町キャンパス 大学会館前 ステージ」、「文京町キャンパス 総合教育棟1階 玄関ホール」「総合教育棟2階 リフレッシュスペース」など、だいぶ小分けの命名。
旧・教養部→共通教育棟→総合教育棟の、正門横にあり、入試の取材が入る大きな101、201、301、401各講義室も対象。301は日本原燃分析株式会社(六ヶ所村)による「J-CAL 講義室」となり、残り3つは弘前ガス株式会社による「101 エコルーム」「201 エコルーム」「401 エコルーム」。ややこしい。どっちみち、今まで通り部屋番号で呼ばれるでしょう。

 

そんな現状だから、国立大学の時計に名前が付くのは驚かない。
でも、「特定の1つの時計に名前を付ける」という行為は、かなりレアかもしれない。他には「ビッグ・ベン」しか思い浮かばないけれど、あれは「時計塔」の愛称?
こういう小物のネーミングライツは、命名権というより、施設に企業名を表示する広告と同然の存在なのだろう(じゃあ最初から「時計の周りに掲出する広告の募集」でいいようにも思うが)。
ちなみに、弘大では文京町1番地地区と3番地地区を結ぶ「文京町キャンパス 渡り廊下(2010年完成。冒頭の過去記事参照)」も対象となり「J-CAL Avenue」。

秋大も弘大も、いっそ医学部附属病院のネーミングライツを募集したら、どーんと収入が増えるのでは。医療法などにより、病院自体の名称はむやみに変えられないのかな。


ネーミングライツと同時に、時計自体が更新された。
以前より小さいので、視認性は悪くなった。グランマートからだと、往時のオスマン・サンコンさん(視力6.0)でないと見えないでしょう。
初代時計は15年で役目を終えたことになる。老朽化していたのだろうか。アナログの屋外用電気時計は、野ざらしで枠がサビサビになっても、20年30年そのまま動いていることが多いと思う。
まだ動くのに処分してしまったのなら、もったいない。
医学部附属病院の正面に時計があってもいいと思うし、時計が撤去されてしまったらしいJR東日本・土崎駅に寄贈したら喜ばれそうですが。


DOWAサステナブルクロックは、24時制表示、青白い色の7セグメント文字。以前と同じく、セグメントは、点で構成されていると思われる。

「31℃」!
時刻だけでなく、温度と交互に表示されるのだった。

シチズンTIC株式会社の温度表示機能付き屋外対応大型LEDデジタル時計「LDW-20B1」だと思われる。
2025年6月頃新発売で、税抜き本体価格65万円。12時制に切り替え可能。
文字高20mmで「80m離れても無理なく見られる視認性」「視力1.0の人が時計として無理なく見える距離です(当社実測)」。渡り廊下から正門まで100メートルなので、敷地外向けではない時計ということか。

温度センサーは別売りで、精度が違うバリエーションがあるようだ。
「温度表示する場合は、気象庁に届出が必要な場合があります」とのこと。屋内で関係者向けに表示するような時は不要だが、街頭で表示する時は必要らしい。
ちなみに、この1分前に、山王の秋田地方気象台で観測した気温は27.9℃でした。体感としても30℃はなかったのでは…

旧・秋田総合車両センター南秋田センター

2026年7月1日のJR東日本の事業体制変更に伴い、車両工場や車両基地である総合車両センター・車両センターは、総合車両ベース・車両ベースと名称が変わったらしい。
秋田市土崎にある、旧・土崎工場だった秋田総合車両センターは、「秋田総合車両ベース」となったことは、ネットで見られるいくつかの現地の表示の写真や、報道(ふるさと納税者向け場内公開)で確認できた。さらに、7月23日には一般公開「秋田総合車両ベースフェア2026」が9月に開催されることが公式発表された。

 

一方、秋田市楢山、一つ森公園と金照寺山の間にある車両基地のほう。
前回の繰り返しになるが、国鉄時代から長く「南秋田運転所」だったのが、2004年に「秋田車両センター」となって秋田総合車両センターとまぎらわしくなったが、両者は独立した別個の組織だった。
ところが、2021年に在来線部門と新幹線部門を分けた上、在来線側を秋田総合車両センターの下部組織とし「秋田総合車両センター南秋田センター」となった。新幹線側は独立して「秋田新幹線車両センター」になっていた。
それに、訓練施設である「秋田総合訓練センター」も併設。


7月以降の名称は、ネット上に情報がなく、分からなかった。それでは、現地へ行って確かめよう。

これは看板?

これが表札?

「秋田新幹線車両センター」は、「秋田新幹線車両ベース」に。秋田事業本部ではなく「新幹線運輸車両部」というものの下に位置するようだが、その新幹線運輸車両部がナニモノかが分からない。6月以前は「新幹線統括本部」があったようだが…

在来線の南秋田センターは、秋田事業本部の「秋田総合車両ベース(南秋田)」に。
南秋田ベースとならなかったのは何より(?)だが、正式名称にカッコを使うというのがなんとも。声に出す時はどう言えばいいのでしょう。そして相変わらず、土崎と区別しづらく、混同・誤解されることがありそう。
社内では、「南秋田」と呼ばれているのでしょうかね。

他地域では、川崎市の「鎌倉車両センター中原支所」が「鎌倉車両ベース(中原)」になったとのこと。

「秋田総合訓練センター」は変わらなかったようだ。


ところで、以前、高等裁判所支部、地方裁判所、家庭裁判所、簡易裁判所が入る建物のことを、なんと呼ぶのか疑問を呈した。「合同庁舎」みたいな建物自体の呼称があってもいいのに、なさそうだった。「仙台高裁秋田支部秋田地家簡裁庁舎」という、略称のようなものはあるみたいだけど。
同じ視点で、この建物・敷地はどうなんだろう。むしろここ全体を「南秋田ベース」と呼んだほうが、「ベース」の意味合いに近いような気もする。あるベースと、カッコ付きながら違うベースのが同居するというのは、言葉のニュアンスとして違うような。

初夏の花々 ’26

東北はもう1週間ほど、梅雨らしい天候が続きそうで、蒸し暑い。このまま雨の被害なく明けて、ほどほどの暑さでお願いしたいのですが。【21日追記・19日に、今季初めてアブラゼミが鳴いていた、ような気がした。】
この1か月ほどの秋田市内で見かけた、花や植物をまとめて。

大町二丁目、日本銀行秋田支店と秋田ニューシティ跡地(秋田いすゞ自動車中古車センター)の向かいにある、「大町通り」下り側バス停。大きい建物は元・ファッションアベニューAD


「大町神明社」という小さなお社の前
右隣の駐車場は、2015年まで「フレンドビル竹谷」だった。
バス停上屋が建つ部分は(AD前まで含めて)歩道かのようにも見えるが、実際には各施設の民有地だと思う。厳密には歩道がない道路。
バス停上屋の左、電柱の根本。

お隣とのブロックの境のわずかなすき間から、タチアオイが生えて咲いていた。
真夏の花と思いがちなタチアオイだが、実際にはアジサイと同じ頃に咲き出す。秋田市内の庭植えなどのタチアオイよりはやや遅く、小ぶりだが、あまり見ない(白とピンクが多いかな)赤紫色の花をたくさん咲かせていた。

今はないが、以前は神社の前の植栽にタチアオイが植えられていたような記憶があるので、そのこぼれ種だろうか。

 


春に3種の桜が咲いていた、奥羽本線・第一手形谷地町踏切。
その東側に初夏は、

ノウゼンカズラ
春の記事で触れたとおり、2010年代前半まで、ここにクリーニング店があった。解体後は柵だけになり、そこから生えた。2020年のストリートビューでは何もなく、2024年でも草丈は低かった。

 


踏切西側の北方向、千秋北の丸付近の小高い道路から、千秋中島町方向を見渡すと、鮮やかな黄緑色というか黄色の葉っぱがこんもりしているのを見つけた。蛍光ペンで描いたような人工的な色にさえ感じた。
近くへ行くと、

黄色くないのは違う種なのか、剪定されたからか
県立秋田北高等学校の塀際(地震対策で以前より低くされた)の生け垣の針葉樹の新芽だった。


カイヅカイブキかと思っていたが違いそう。コニファー?

 


秋田貨物駅付近の奥羽本線の外旭川側には、歩行者自転車道が並走し、その境に水路と網状の壁が立っている。壁は防音や防風目的なのだろうか。

車窓から眺めていたら、1か所だけ、鮮やかな赤い花が、塀の上から線路側になだれかかるように咲いているのを見つけた。
旅客列車は高速で通過するし、貨物駅があるので線路反対側から見るのも困難。歩行者道で現地へ。


濃いピンク色のつるバラだった。
線路側のほうがたくさん茂って咲いており、道路側はわずか。その根本は、道路側の塀の元
塀の途中には葉も花もほとんどなく、上で一気に繁茂している。
周りにアジサイ(この時点では咲き始め)はあるが、つるバラはこの1本だけ。
また、大きい木はキササゲだと思うが、これは自然に生えたものだろう。

同じ道路の泉踏切~泉外旭川駅辺りでは、桜や梅のほか、地域の人が植えたと思われる園芸植物がある箇所もある。ほんとうのところは問題なのかもしれないが、悪影響はないし、黙認状態なのだろう。
つるバラも種で増えることもあるようだが、やはり誰かが植えたのか。

全体像
上の写真右下。水路のコンクリート壁の途中から、小さなガクアジサイが伸びて、2輪花を咲かせている。排水のパイプから生えているようだ。

榮太楼大町店の上

前回の大町五丁目の解体から北へ600メートル。竿燈大通りの二丁目橋から、旭川の上流方向の眺め。

2026年4月下旬
左の大町二丁目側、川沿いいちばん手前の2階建ての建物。

右の高いのは空き家同然の「新秋田ビル

 

岸の枝垂れ桜が終わりかけ

「菓子舗榮太楼(栄太楼、えいたろう)」の大町店(大町本店とも?)だった建物。明治16年の創業地がここだったそうだが、1980年に本社工場が移転、1981年にできた。当初は1階が店舗で、2階は旭川を眺められる喫茶だった。

ちなみに、東京日本橋に榮太樓總本鋪があるが、日本橋とここの川沿いの立地が似ているとして、秋田の創業者が日本橋の了解を得て名乗ったらしい。
また、榮太楼ではかつて旅館も経営していたが、ここから500メートルほど上流の対岸。


いつの間にか喫茶はやめて、跡は2005年に「東海林太郎音楽館」ができた。
2019年6月29日に、1階の店舗も閉店。秋田銀線細工の「矢留彫金工房」となっていた。【18日追記・引き続き榮太楼の所有管理なのだろうが、お菓子は買えなくなった。】
今、初めて知ったが、建物全体が「榮太楼ふるさと文化館」という名称らしい。

 

その建物に足場が組まれていた。

正面。「榮太楼ふるさと文化館」とある
そうか、ついに榮太楼大町店だった建物も解体か、と感傷にふけったが、そうではなかった。写真では閉まっているが、音楽館も工房も廃止や移転していない。
足場は全面でなく川側をメインに、6月に入った頃まであったかと思うが、現在は撤去された。

現在。旭川は増水中

屋上と川に面した壁の、榮太楼関連の表示を撤去したのであった。
正面の「菓子舗榮太楼」や、南・竿燈大通り向きの「さなづら」の広告はそのまま。
老朽化により維持管理も大変なのだろうし、屋外広告物の手続きもしないとならないし。

ここでお菓子が買えると思ってしまう人もいるだろうから、まぎらわしさは低減されたが、屋上にあった榮太楼のロゴがなくなるのは、少々寂しい。

板に描いたのではなく、横方向の棒でできた立方体に、鋳物か何かのロゴを付けている。4面ともロゴがあったが、南北面は面積が狭いので小さなロゴ。ロゴは元は白かったようだが、だいぶ色が変わった。

ロゴマークも、松をモチーフにした榮太樓總本鋪のものと似ている。これは足がたくさん生えたクラゲのようにも見えるけれど、これも松なのでしょう。横書き文字は榮太樓總本鋪右から左で、秋田は左から右。昔は秋田も右からだったのかも。

 

ところで、上のリンクの新秋田ビルの記事の通り、かつては新秋田ビルの上に「HITACHI」の広告看板が載っていた。
そして、新秋田ビルと榮太楼の間の2階建ての建物の上には「京ごふくせんもん店/ちんがら呉服はしや」の看板が出ていた。その建物がそのお店。ストリートビューでは2024年5月時点ではあった看板が、現在は枠だけになっている。現在、正面には看板があるが、シャッターはいつも下りている。
はしやの看板があった当時は、南側からは榮太楼の看板は隠れてよく見えなかった。
空き店舗が多く寂しくなった一帯だが、看板類も寂しくなってしまった。

2002年8月。土手長町歩道橋から
秋田ニューシティに入り、閉店する直前であったダイエー秋田店の看板と榮太楼。壁面には「旬・美・菓 大町工房」ともあるが、名前に覚えはある気がするが、何を意味するのかは覚えがない。

元・第一会館本館 解体

秋田市街地の建物解体シリーズ。※前回の記事
大町五丁目4番地、歓楽街・川反(かわばた)の1本西隣の大町通り(赤れんが館通り)。

2026年4月初め
白いビルは、かつて「第一会館(㐧一会館)本館」だった。本館(本店ではない)には本社機能と宴会場などバンケットホールがあった。川反通りには「第一会館川反店」があり、小さい宴会場や居酒屋など複数の飲食店(おそらく直営)が入っていた。

 

1970年設立の企業だそうだが、2019年9月に倒産。どちらの建物も閉まった。川反店のほうは今なお、そのままのはず。
本館は2020年6月頃に、中通から移転した「東北バルブ株式会社大町支店」が入った
エントランスのドア上には「互大大町第一ビル」というビル名らしき表示があったが、後に、その横の壁に東北バルブ大町支店の名と並んで「互大設備大町ビル」という表記も設置され、ビル名はよく分からない。Googleマップでは「ロイヤルユウ大町」という、近く――上の写真で背後に写っている――のマンションの名を表示してしまっている。

秋田ではわりと知られた、「互大設備工業株式会社(ごだい~)」関連のビルになったのだろうが、5階建てのビル全部に東北バルブが入ったのかなど、詳細は分からないままだった。

 

今春、気が付いた時には、仮囲いが設置され、内部解体がされていた。
エントランスのひさしは、第一会館~東北バルブ初期は、内側が白い天井で覆われていたが、今は鉄骨がむき出し。2020年10月から2022年10月の間に、天井板が撤去されている。


5年ほどでなくなってしまうのは、場所やビルの本来の用途からして使い勝手が良くなかったのか、老朽化のためか。東北バルブがどこへ行ったのかは不明【15日追記・新国道沿いへ移転したとの情報をいただいた】【16日追記・八橋新川向のタイヤ店「ドーヴィル」隣接地。2024年頃まではドーヴィルは「ダイリン」で、その当時はどちらもダイリンの別棟の店舗だったようだ。自動車販売店っぽい作りなので、もともとはそういう用途だったのかも。外観は企業名のみ表示で支店名の表記はなさそう。】。

 

現在は建物自体の解体が進んでいる。

7月初め。南側から


恒例ですが、跡はどうなるか。