2006年3月31日に、秋田市の公営企業「秋田市交通局」と、同局が運行する「秋田市営バス」がなくなって、もう20年。
記事にしたい記録や記憶はまだまだあるけれど、なかなかまとまらない。以下、推測やうろ覚え・記憶違いもあり得るので、全面的に信用はしないでください。
秋田市営バスは、2000年以降、毎年春に秋田中央交通へ路線を段階的に移管し、規模を縮小していった。
路線移管時には、移管後3年間? だかは、移管直前の運行ダイヤ(つまり時刻表)を踏襲する取り決めになっていたそうだが、秋田駅前の乗り場が変わるなど、利用客には多少の混乱も見られた。車両も、赤い塗装から緑の塗装に変わり、それによる混乱というよりも、運行事業者が変わったことを思い知らされた。
昔取り上げたが、市営バス廃止時には、車体色から市営バスが「赤バス」と呼ばれていたとする報道があった。たしかに、一部ではそう呼ぶ人もいて、中央交通は「青バス」とされていたようなので、嘘ではない。だが、市営バスしか走らない沿線利用者としては、そのような呼びかたはしなかった。バスといえば市営バスだけであって、区別する必要などなかったからだ。区別する時は「市営バス/中央交通」。
移管途中、年度明けにこんな車両が見られた年もあった。
2003年4月13日 秋田駅前(秋田駅西口)
左は添川線、右は通町経由将軍野線。どちらも赤バスだから秋田市営バス、かと思いきや、将軍野線は移管済みで中央交通が運行していた。
どういうことかというと、交通局から中央交通へ譲渡された車両で、市営バス時代の塗装のままで営業運行に就いていたもの。
路線を引き受ける中央交通側では、(運転士と)車両を新たに大量に確保する必要があった。その入手先は、新車や県外事業者の中古車の購入と、市営バスで余剰になった車両の譲受であった。
交通局からの譲渡車は、車齢10年を境に無償or有償が違ったそうで、中型車の多くは無償譲渡となる古めの車であった(小型・大型は10年未満も多かった)。また、譲渡開始当初は、中央交通が当時取り引きのあったいすゞと日野の車に限られた。三菱ふそうと日産ディーゼルの車は、比較的新しくても廃車になったこともあった。末期には、メーカー問わず譲渡された。ナンバープレートは、廃車状態で譲渡された1台を除き、市営バス時代のまま。
車両譲渡に当たっては、誤乗を防ぐために、車両塗装は変更することになっていたのだろう。譲渡後、いったん運用を外れて、塗装変更など整備を受けてから、中央交通で再稼働するのが基本だった。
しかし、譲渡車両は、年によっては相当な台数になった。後述の通り20台以上の年もあった。3月のうちに整備に入る車両もあったようだが、塗装工場は手一杯だっただろう。中央交通としても、整備中の埋め合わせをする予備車の余裕はそんなにないだろう。交通局側でも、廃車にする車両が少なくて、年度末ギリギリまで譲渡予定車を使い倒さなければならない年もありそう。
そこで、応急措置的に、市営バス塗装のまま運行する対応が取られた(のだと思う)。
4月以降順次、塗装変更が施され、5月中頃までには、全車が緑の塗装に変わっていった。
確認できた限りでは、2002年、2003年、2004年に見られた。それ以外の年は車両のやり繰りがついたことになる。2006年の閉局時に残っていた最後の11台は全車譲渡されたものの、2006年3月31日で赤い塗装は完全に見納めとなった。
市営バス時代と完全に同一の姿で、中央交通の路線を走ったわけでもない。
正面の市章が消され、側面後部の事業者名は書き換えられている。上の写真では、車両番号(局番・号車番号)も消されているが、詳細は後述。
放送などの車載機器や、行き先表示(方向幕。交換しなかったケースもあり、大型車ではLEDに交換される2011年まで継続使用されたものもあった【8日カッコ内に情報追記】)は、中央交通仕様に交換されている。塗装変更は後回しにしても、それらは変更しないと運行できないから、一晩で交換作業しなければならなかった年もありそうで、大変そう。
冒頭の写真の将軍野線、秋田22い201は、1990年度導入の元・局番250号車。左の添川線は、1996年度導入の交通局最後の新車で、最終日まで交通局に残った137号車。どちらも日産ディーゼルの中型車で車体デザインも同じだが、6年差があるだけに型式は違う。外観ではフォグランプの位置が違う。
ところで、将軍野線の路線移管は2001年。2003年の移管路線は、小型バス路線や東口方面移管だった。将軍野線ユーザーにしてみれば、移管後2年経って市営バス塗装車が再び現れて、面食らったかもしれない。所属営業所(当時は秋田東営業所)や運用の都合はあるものの、配慮できなかったものだろうか。
写真の車両は、同じ便に固定で運用されていて、少なくとも2003年5月18日までこの塗装だったのを確認している。
赤い中央交通の車を見ると、この路線はもう市営バスが走らないのだと名残惜しい気持ちになるとともに、緑の車両を見る以上に路線移管の事実を突き付けられたように感じた。
年度別の記録。
2002年は、主に新屋方面が移管(当時は直営だった、新屋発着ローカル路線も含む。他には日赤病院・御所野)され、市営バスから大型車が消滅した。その時点で大型車は22台あったはずだが、うち20台が譲渡され、さらに中型車も譲渡された。日産ディーゼル製が譲渡されたのも、この年が初? それで手が回らず、応急措置に踏み切ったのか。
1991年度導入 元266号車。市営バスのいすゞ製中型車としては最後のグループ【6日追記・2022年度でいすゞ製車両が大型・中型全車譲渡(または廃車)されたため、市営バスからいすゞ車がなくなった】
この年は、局番表記は消さずに存置。
余談だが、市営バスの局番や事業者名表記は、メーカーや時期によって書体が異なり、手書きらしきものや、経年で消えやすいものもあった。
祝日などに国旗・市旗を掲揚する棒が付いているが、中央交通では掲揚しないので、後に撤去。
1993年度導入 元295号車。日野製大型車最終グループ
行灯付き、ブルーガラスの豪華仕様(関連記事)。行灯は「秋田市営」から「秋田中央交通」に。
ヘッドライトと行灯の並びの黒い部分に、銀色の線が3本あるのが特徴的だが(日野製大型車以外にはなし)、塗装変更時になくなった。
(再掲)塗装変更後
そして、貸切兼用の「ワンロマ車」で、秋田八丈(秋田黄八丈。「秋田八景」は誤り)の織物をモチーフにしたという車体塗装が個性的だった、1992年度の日野車も譲渡された。※上の1993年車との違いは、車体塗装、座席の数と配列(シート自体は同じ。ワンロマ車にはリクライニングや補助席はなし)、ヘッドライト・テールランプ形状程度。
284号車
いすゞの中型車(263、265、266号車で確認)でも同じなのだが、中ドアに広告が出ている。
車内外の広告が、無条件で“移管”はしなかっただろう。同じ広告を出すにしても、新たに契約するはずで、車体から撤去した状態で譲渡していた(後述)。中ドア広告は、シールなのではがしづらく、どうせ塗り直すのだからそのままにしたのか。広告主してみれば、約1か月間のサービス広告になったのかな。
1993年度265号車後方
広告の枠だけが残っている。リアウインドウ上は、広告を掲載していたステンレス板(関連記事)で、そこはグレーで塗りつぶされた。塗装変更後も、取り外しは困難だったようで、車体と同色に塗られて最後まで残った。
市営バスの事業者名表記は、側面後方窓下の白い部分に「秋田市営」が基本。その部分に「秋田中央交通」と記した白いものを貼っている。
ただし、ワンロマ車を含む、1992年度と1993年度の大型車は、側面後部の後輪直後に「秋田市交通局」と表記していた。この車は正面に「秋田市営」の行灯があったわけだが、だからといってそうする理由は分からない。その車は、その位置に中央交通を表記。
295号車はグレー部分
いすゞ製(1992年度279~282号車)はいわゆる肌色部分に白文字
もともと後部に事業者名表記がなかったこともあり、後部からは市営バスにしか見えない。後述のように、若干の変更点はあったのだけど。
ところで、ワンロマ車。
2002年4月20日。元283号車
さかのぼって、
2002年3月2日。283号車
リアウインドウのシール広告と、後部の電動シャッター(?)で切り替わる広告装置が撤去されたのが分かる。1992年度の導入直後は、広告装置はなかったはずなので、最後に本来の後部デザインが見られたことになる。
分かりにくいが、どちらの写真も、屋根の後部中央に、クラリオン製のバックモニター用カメラが付いている。
秋田中央交通では、バックモニターをカメラがでっかかった頃から導入していた。対して、先進的な秋田市営バスにしては珍しく、少なくとも路線車ではバックモニターは採用していなかった。
上の3月2日の写真はどういうことかというと、車両譲渡に先立って、カメラを取り付けていたもの。この年以外にも実施されており、3月中に、今回はどの車が譲渡されるのかを予測することができた。上記、後部広告板がある車では、広告板部分にカメラを付けたので、他車より視点が高かったことになる。
塗装変更することを考えると順番が逆に思えるし、費用はどちら持ちだったのか気になる。
運賃箱や整理券発行機を、市営バスの車両どうして入れ替えることも行われていた。これは、譲渡される車で使っていた新しくて状態の良い機器を、古い機器が設置された使い続ける車に移す目的だったのではないかと思う。
あとは、今回の2002年譲渡の車のリアウインドウの右下か左下。
295号車
白い紙に細い明朝体(MS明朝?)で「新 屋」。
ちなみに、上写真で、その下の横長のものは、2代目バスロケーションシステム搭載車を示す、NEC移動通信のシール。譲渡時に機器を撤去したはずだが、シールはそのままにされた。
新屋線、新屋西線、川尻・割山線など2002年移管で大型車も充当される路線は、移管から2005年に臨海営業所ができるまでは、秋田営業所(大川反車庫)の管轄であった。運用される車両は、秋田営業所の他路線とは区別されていて、その車に「新 屋」が貼られていた。
2002年の交通局からの譲渡車両(中型車を含む)だけでなく、他社の中古や秋田営業所からの移籍車両もあって、けっこうな台数だったはず。現在は、各路線とも1時間に1~2本に減ってしまったが、当時はそれだけ便数があった。
中央交通の赤いバスの話のつもりが、話がそれてしまいました。2003年以降について、後日。