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アドバルーン

20日にオープンした、マックスバリュ泉店
その開店チラシを見て、忘れかけていた言葉を思い出し、懐かしくなった。

泉店オープンセール中に揚げるという、「アドバルーン」である。


ひょっとしたら、今20歳代以下の人は実物を見たことがなかったり、あるいは言葉すら知らなかったりするかもしれない。

昭和末期(~平成初期?)、秋田市のようなある程度の規模の都市の市街地の記憶がある、僕のような人にとっては、その記憶の風景の中にきっと存在したであろうアイテムの1つがアドバルーン

アドバルーンとは、根元を固定し、空気より軽い気体(ヘリウム)を入れた大きな風船(小さい気球?)の下に、広告文を記した垂れ幕を付け、空に揚げる(上げる)もの。
広告媒体の1つとして、かつてはもてはやされたのだが、いつの間にか見ることがなくなっていた。

Wikipediaで調べてみると、アドバルーンの歴史は古く、1913(大正2)年に初めて使われ、しかも日本発祥。和製英語で英語では「advertising balloon」。
1936年の二・二六事件では、「勅命下る軍旗に手向かふな」というアドバルーンを揚げて投降を促したそうだ。
戦争中は途絶えて、戦後復活。昭和30~40年代に隆盛期となる。
近年は、高層ビルの増加や広告手段の多様化で少なくなったものの、展示場の屋内で揚げられたり、バルーンを特注の形状にしたものが出たりしている。

ネットで見ると、かつては、1つの広告主(店)が5本とか10本とか多数のアドバルーンを揚げて、さらにそんな店がいくつもあるような繁華街では、アドバルーンが“林立”する光景が見られたそうだ。
秋田市でも、1980年のイトーヨーカドー秋田店開店時にはそのような光景だったそうだが、僕は見た記憶がない。

覚えているのは、木内だったか協働社だったかで、2~3本のアドバルーンが揚がっているもの。けっこう頻繁にあったと思う。ダイエーでは揚げていなかったと思う。
下の文字の内容を読んだ記憶はなく、紅白もしくは青白、緑白などの2色のまん丸のバルーンが青空に浮かぶのを、のんびりとした休日の1コマとして覚えている。

僕が最後に見たのは、昭和末期か平成初期といった頃のはず。
しかし実際には、昨年のセブン-イレブン開店時にはどこかの店が揚げたそうだ。そういえば、住宅展示場か何かの会場で揚がっているのも見たような気がしなくもない。

アドバルーンは「係留気球」だから、揚げるには技術が必要で、見張り要員が常にいて、強風時などはすぐに対応できる態勢だそう。
看板と同じく、屋外広告物としての規制対象であり、秋田市の場合、「添加する広告物の縦の長さを15メートル以内とし、横の長さを1.5メートル以内とすること。」「掲揚高度を地上から地上から20メートル以上50メートル以下とすること。 」と秋田市屋外広告物条例施行規則で定められている。(秋田市以外で適用される県条例も同じ条件のようだ)


とにかく、久しく意識してアドバルーンを見ていないのは確実。今回、マックスバリュ泉店でアドバルーンが揚がるとなれば、見ておきたい。次はいつ見られるか分からないのだから。

ということで、千秋公園へ。御隅櫓の下・千秋トンネルの上、二の丸の階層にあるあずまやから、泉方面が見渡せる。
※今回は19日には揚がらず、20日と21には揚がっていたのを確認。
と思ったら、夏場は木の葉が茂っていて視界が遮られて、見づらかった。御隅櫓に上ればよく見えるだろうけど、100円取られるので。
すき間からなんとか発見
右の白と茶色のが泉中学校、その左奥のグレーのは東北ミサワホーム秋田支店。後ろの低い丘は高清水公園で、さらに奥の山は男鹿半島の寒風山

マックスバリュは平屋の建物だから、離れた場所からは直接見えない。そこにアドバルーンが揚がっていると、場所は明確。
千秋公園のここからマックスバリュ泉店までは2.3キロ離れている。

だけど、久しぶりに見たアドバルーンは、思ったより小さく、かつ低く感じてしまった。思い出が美化されたことも一因なんでしょうけど。

僕が子どもの頃見たアドバルーンは、もっと近い距離だったので、今回小さく感じたのはそのせいかもしれない。そもそも、千秋公園からでは肉眼で文字を読むことは不可能だった。(カメラでズーム撮影すれば判読できた)
それに、広小路の店では、店の屋上から揚げていたはずだから、その高さ分、下駄を履かせられて、アドバルーンが高かったはず(上記の通り条例による高さ制限はある)。


やっぱり近くから見たくなって、開店直後は行かないと思っていたはずの、現地へ。
東側の住宅街側から向かうものの、道が狭く家が建てこんでいるためか、なかなかアドバルーンが見えない。400メートルほど離れた、泉日吉町街区公園からは見えた。西側の新国道からだと、見えただろうか?

風に流され気味?
そんなに強風ではなかったけど、やや傾き気味に揚がっていた。
昔のアドバルーンは、いつもまっすぐ真上に揚がっていて、こうじゃなかったような気がしなくもないけれど、気のせいか、ガスの成分とか掲揚技術の違いか?

平屋建ての店の屋根の上から揚げていた模様。
裏側の公園から

アドバルーンそのものに注目。
赤白の風船に「マックスバリュ泉店オープン」。青い文字は青空だと読みづらい気がする
記憶にあるアドバルーンは、文字がある垂れ幕がもっと幅広で、かつ背景が白い地だと思っていた。
これは、あまり広くないし、網に文字を張っていて背景は透明な状態。
記憶は勘違いかもしれない。網のほうが風が抜けるので流されにくく、軽量化できそうだし。

紅白の風船は、もっとも典型的なアドバルーン用風船。
二・二六事件の時は、さすがに暗い単色(モノクロ写真なので色は不明)の風船だった。
紐が1本外れている?

アドバルーンを間近でじっくり見たのは初めてだった。いい経験でした。
ちなみに店は開店2日目だったので、さほど混んではいなかった。


ついでに、ほかの広告媒体の思い出2つ。
アドバルーンと並んで、最近見聞きしなくなったものが「飛行機から音声を流す」広告。
今でもスピーカーを積んだ車が走っていることはあるけれど、その空版。
これも、昭和末期~平成初期を最後になくなったのではないだろうか。晴れた日に飛行機のエンジン音と広告の声が聞こえ、見上げれば青空を小さな飛行機が飛んで行く思い出がある。
車の広告よりも、安定した柔らかな音だった気がする。※コメント欄参照。ほかにも秋田日光モータースが行っていたらしい。

「宣伝飛行」「宣伝放送飛行」などと呼ばれるそうで、現在でも請け負っている航空会社がいくつもある。
「株式会社瀬戸内航空写真」ホームページによれば、高度400メートルからスピーカーを搭載したセスナ機が1回旋回すれば、地上の直径500~1000メートルの範囲に声が届くという。
場所によっては条例による規制もあるそうだし、最近は高気密の住宅が増えて、広告効果が下がっているのかもしれない。

もっと昔には、飛行機からビラを撒く宣伝もあったそうだが、さすがにそれは知らない。(昭和40年代にはなくなっていた模様)


もう1つは、飛行船。
現在は、メットライフ生命が「スヌーピーJ号」という飛行船が全国を飛ばしている。大潟村が離発着場の1つになっているためか、毎年秋田市内を何度か飛んでいる。現在、日本で唯一の飛行船だそう。
昔から飛行船そのものが多かったわけではないが、飛行船の「気嚢」部分にロゴマークなどを入れて広告に使われることがあった。
覚えているのは、1986年頃。黄色地に赤文字のロゴが入ったコダック社の飛行船だったはず。
「飛行船」というものは知っていたが、見たのはその時が初めて。突然、秋田の空を飛んでいたのを見て、とても驚いた。

Wikipediaによれば、当時はフジフイルムを皮切りに、小西六から改名したばかりのコニカと、写真フイルムの三大メーカーがこぞって飛行船を飛ばしていたそうだ。「コダック号」は、「1号が事故で失われ、2号も造船された。」とのこと。

同じ頃、NHKが飛行船で各地を巡って生中継する企画(上田早苗アナウンサーが乗っていた)を行って、秋田市上空も飛んだ。
その後は、ずっと飛行船を見ることはなく、2010年登場のスヌーピーJ号は久々の飛行船だった。