広く浅く[blog.goo.ne.jp/taic02より移転]

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割山町の謎バス停

秋田市営バスに何タイプかあった、ほかに同種のものがない“1点モノ”バス停の続き。※前回は県立体育館前のソーラー照明付

秋田駅西口を出て勝平地区へ向かうバスは、県庁前または大町を通り、川尻の若葉町交差点で国道7号(臨海バイパス)を越え、新川橋秋田運河を渡って、勝平地区へ入る。最初のバス停が「豊町」で、そこで3方向に分かれる。
東から船場町経由川尻割山線、新屋西線、商業高校グラウンド前経由川尻割山線で、それぞれ別の位置に豊町が分散している。
商業経由は1978年に秋田商業高校が移転したのより後で運行が始まったはず。新屋西線が通る新屋朝日町の道路は30年ほど前に新しく開通した。
したがって、船場町経由がいちばん古いバスのルート。新屋西線もかつては船場町経由だった(朝日町経由になったのは、県庁経由は1992年4月から、本数が少ない臨海経由は2019年秋から)。

その船場町経由のルートは、豊町、割山町、船場町とバス停が続く。1点モノがあるのは「割山町」。勝平と同義の広域なエリア名としての割山でなく、町名としての「新屋割山町」が由来。
上り側バス停。大型バスが行き交うには狭い道
割山町は上り側と下り側がやや離れた位置にある。上り側は民家の軒先みたいな所にあり、ポール自体も雨風から守られている。


ベンチというか縁台のようなものも置かれる

どうでしょう。このバス停のポール。少なくとも秋田ではここにしかないはず。
円形の表示板は、一般的なダルマ型のものと同じだが、その支柱は金属パイプで枠のような形になって、上部は半円状にカーブし、裾は絞られて1つにまとまって台座にささっている。時刻表枠は金属板2枚(片面にしかはめられないようになっている)。台座が台形なのも秋田では珍しい。
他の各種バス停と比べて、幅は広め。県立体育館前のと同じか若干広そう(時刻表の紙のサイズは同じなので、目安になります)。
全国的にある「すずらん型」と呼ばれるバス停に似ているが、各地で多いものは、時刻表枠は白い樹脂製であるなど、もうちょっと軽そうな雰囲気がある。
このような製品も存在する(した)のか、あるいは円形表示板にジャストサイズなことからすれば特注品か。
枠は都会的でスタイリッシュだけど、表示板が昔ながら&見慣れたものなので、アンバランスな印象を受ける。

表示板 ※点々は雨粒の水滴です。
支柱には、真上と左右の計3か所で固定。左右は、黄色と赤の境目とぴったり重なっているから、やはり特注かも。
表示板は、3色、ナール書体、ローマ字入りと、秋田市交通局(秋田市営バス)が2000年前後頃に設置・更新していた仕様。それが中央交通へ移管(ここは2002年春)されて、今に至る。

実は移管直後・2002年4月にも撮影していた(どうせなら市営バスだった3月中だと良かったですが…)。
上の写真と同じ面

ひさしはカラフルで、自販機と奥には公衆電話がある
バス停がある場所は、かつてはお店だった。「たんけんぼくのまち」でチョーさんが住み込むおじさん・おばさんの店みたいな、食料雑貨店のような。
当時は軒より外に出されており、ベンチは別の場所だったのか写真には写っていない。


ここで、下り側バス停も見ておく。上り側から見て秋田駅寄り、自動車教習所の向かいにある。
左手前が下り。奥の白い車付近が上り
風で倒れてしまったのを見かねたのか、自動車整備屋さんの看板の柱に、ダルマ型バス停(の支柱)がくくりつけられている。でも、表示板が道路に対して平行向きになってしまって、見落とされそう。
下り側は、ごく一般的なダルマ型。表示板は、
市営バス設置のナール。表面に細かい傷がたくさんある
表示板は上りと下りで同じ。かと思いきや違う。
ローマ字。上りは「WARIYAMA CHO」、下りは「WARIYAMA MACHI」。

秋田市役所のサイトには、新屋割山町の読みは「アラヤワリヤママチ」とされている。
実際とバス停表記とで「ちょう」か「まち」が違ってしまう例は、市営バス時代も中央交通移管後もたまにある。上りと下りは、別々に製作されたのだろう。
そう言えば、船場町経由の経路上で、ナールの表示板なのはここだけ【13日補足・商業経由と再び合流する「勝平二丁目」は片側がナール】。ほかのバス停は、移管直後に中央交通が交換したJTCウインRフォントやシール貼りが多いから、市営バス時代は手書き表示板(か後述の二面体)だったのだろう(船場町上りは初代バスロケを撤去、豊町上りは初代バスロケのまま)。


こんなバス停ポールが、どうして1つだけ置かれたのか。まったくの憶測。
昔取り上げたように、市営バスでは一時期ダルマ型でない、可動式・非電照式ポールを置いたことがあった。「二面体」と称するらしい、プラスチッキーなものが1986年度に50基設置された。
(再掲)二面体バス停。初代バスロケを平らにしたようなデザイン
ところが、風が強い秋田市にあって、軽くて表面積が広いので風を受けて倒れやすく、衝撃で壊れやすいという欠点が露呈。1991年の台風19号などで軒並み倒れて、無傷のものはなく、増備もされなかったはず。結局、再びダルマ型が設置されるようになり、それがナール・ローマ字入りに発展していった。
このことを踏まえれば、「二面体に代わる新たなバス停」としての試作品が、これだったのかもしれない。表示板だけは従来品と共通化するという条件(ネジ穴は違うが)で。
でも、コストや幅、既存ダルマ型バス停との互換性(台座・支柱が違うので表示板のみの交換ができない)といった問題があって採用は見送られ、ダルマ型が復活することになった。ということだったりして?【12日追記・というか、「台座・支柱・表示板を一括して更新する」という考えから、「台座や支柱は使い回し、表示板だけを新しくする」ように方針転換したのかも。】【12日さらに追記・そして、バス停名を活字かつローマ字入りにしたのも、ひょっとしたらこれが最初の試作ということもなくはないかも。とすれば、それは本格採用されたことになり、中央交通移管後、現在でもフォントを替えて引き継がれていることになる。】(根拠のない憶測です)


船場町経由の系統自体、いずれなくなってしまいそう【13日補足・勝平交番前(船場町のもう1つ先)~豊町間を西線と同じ朝日町経由への変更、あるいは系統自体の廃止もなくはないと思う】な予感もする。頑丈な作りの上、軒下で状態は良好だけど、いつまで残るか。
別の1点モノバス停について、続きます