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新川橋架替

現在、秋田市内では才八橋のほかにも、架け替えが行われている橋がある。2017年度辺りから工事が始まっていたのだが、取り上げそびれてしまっていた。

その橋は、
新川橋

以前は県道65号だったが、今は秋田市道で、国道7号「若葉町」交差点南の川尻地区と、新屋のいわゆる勝平地区を結ぶ。
秋田運河(旧雄物川)に旭川が合流した直下で、橋上流の中洲にウミネコが集結すること、新川橋ができる前にこの付近に「芝の渡し(新川の渡し)」と呼ばれる渡し船があったことを取り上げた。

1892(明治25)年に初代新川橋が架かって、渡しが廃止。その当時は、秋田運河雄物川放水路がまだなかったので、この川が雄物川本流だった。
秋田市の版画家・勝平得之が、初代であろう新川橋を描いている。「秋田十二景 新川ばし」で、1936(昭和11)年作。木製の橋の下で、岸で漁や釣りをしている。
運河・放水路は、その翌年1937年完成。

熱心に探したわけではないが、現在の橋の以前の新川橋については、得之の版画以外には、諸元や写真といった資料を知らない。
後述する新聞記事見出しからは、現橋が、新川橋として初めての鉄橋(鋼鉄製の橋という意味)と受け取れる。ただ、運河化によって川幅や周辺道路は変わっていると思われるし、木橋の耐用年数を考えても、現橋の前の木橋は、明治時代の初代とは違う2代目だったのではないだろうか。

ということで、たぶん3代目ではないかと考える現在の新川橋。県道だった時代で秋田県が架橋したはず。
現在の管理者である秋田市のサイト(ページ番号1007309)で、諸元を掲載してくれている(秋田県庁ならやらないでしょう)。
それによれば、市道 川尻新屋線、1963(昭和38)年架設、橋長97.85メートル、幅員12.5メートル(歩道を含むかは不明)。【2021年2月18日追記】2月15日付秋田建設工業新聞によれば、「橋長97.85m、トラス部の幅員が14.58m」。
上記の通り、今の橋は架橋時から「秋田運河」もしくは「旧雄物川」に架かる橋なわけだが、橋名板では「雄物川」とされている。そういう慣例なんだろうか(運河の他の橋は未確認)。
勝平側・上流側から

勝平側。離れてズームすると、トラスの丸みが出て雰囲気が変わる
種類としては、下路式のトラス橋。※以下、橋の構造については、素人の受け売りです。
トラスは1つ(1径間)だけ。トラスの形状としては「曲弦ワーレントラス」か。
戦前製の先代秋田大橋木曽三川の橋のような、重厚なトラスではなく細身。

この橋とつながる勝平地区の反対側、雄物川放水路のほう(こちらは今も県道)には雄物新橋が架かる。雄物新橋も、現在の橋は1963年竣工。雄物新橋のほうが長く、複数の形が異なるトラスが使われているが、大きなトラスの形状は新川橋とそっくり。設計・製造・工事を2橋でまとめたのかもしれない。

現在は、新川橋も雄物新橋も、トラスはクリーム色。子どもの頃(昭和末~平成初期?)は色が違った。雄物新橋はオレンジ色っぽい赤だったはず。新川橋も今とは違う気がするが、あいまい。

秋田運河は堤防の道がなく、ギリギリまで建物が多いので、外側から新川橋の姿を見られる場所は限られる。私有地や危険な箇所もあるし。
右岸(川尻側)上流から
写真では影と、新しい橋の脚も写りこんでいて分かりづらいのだが、橋脚の配置が意外だった。
橋脚は1本だけだが、橋の中央でなく、川尻寄りにある。その上がトラスの根本という感じ。
つまり、トラスは勝平側の岸の「橋台」と、橋脚で支えていて、橋脚から川尻側の橋台の間は桁橋ということなんだろうか。97.85メートル全部がトラス橋という構造ではないのだと思う。
単に設計施工上有利だったのか、本荘の由利橋のように下を船が通ることを考慮したのか。
【30日画像追加】左岸上流側から


新川橋を通る道は、今は幹線道路とは呼べなくなったかもしれないが、市民生活には重要な橋。
路線バスは新屋西線と川尻割山線が通り、歩いて行き来する人も多い。雄物新橋と違って歩道も狭くはない。

さかのぼれば、新川橋の重要度はさらに増す。
初代、運河化以前は、秋田市内では新川橋が唯一の雄物川を渡る橋だったはず。
運河化されて勝平地区が「島」になってから長らくは、新川橋、雄物新橋、新屋水門だけが、外とつながる道だったはず(もしかしたら戦後すぐ頃は違ったのかもしれない??)。
1961年から1981年までは、勝平(割山)に秋田空港があった。秋田市街地と空港の行き来に、新川橋が欠かせなかったことだろう。
上で少し触れた新聞見出し。1962年5月9日の秋田魁新報夕刊に「秋田空港へ舗装道路/川尻ー空港/新川橋も鉄橋に」。
つまり、今の新川橋(と雄物新橋も同様なのだろう)に架け替えられた大きな目的が、秋田空港のアクセス道路だったようだ。

1969年に、秋田運河2本目の港大橋(1976年に車線が増えて新港大橋になったようだ)が開通するが、向浜側なので勝平とはほぼ関係ない。
1980年代中盤以降、放水路河口に雄物大橋、運河に勝平新橋が開通。今は臨海大橋もできて、新川橋の負担はいくらかは減ったものの、身近で重要な橋には変わりない。

そんなわけで、老朽化した新川橋を架替えることになったのだろう。
新しい橋は、仮橋なしで旧(現)橋のすぐ下流側に造る方式(当初の計画では仮橋と聞いた気がする)。秋田大橋も、旧橋のすぐ下流側に今の橋が架かったので、手順としては同じ。

新しい新川橋は、橋長98メートル、有効幅員14.6メートル。【2021年2月18日追記】2月15日付秋田建設工業新聞によれば、「橋長110.3m、幅員16m(車道W9m、歩道W3.5m×両側)」と、だいぶ違う。
現橋は川尻新町~新屋豊町間だが、新しい橋は川尻若葉町~新屋天秤野になるそうだ。これは、橋が架かる道路が町の境目だったためか。

ちなみに由利橋は、旧橋175.6メートル、現橋190.5メートル。仮橋を使って、以前とほぼ同位置のはずなのに、なぜか伸びた。
仮橋なしの秋田大橋は、旧578.4メートル、現583.6メートル。どのケースも、近年架けられた新しい橋のほうが若干長くなる。
これは、技術に限界があった昔は、極力短くて済む2点間に架けようと検討した結果なのだと思う。今の技術ならどうってことないことや、取り付け道路の線形の都合があるかも。

前置きが長くなってしまいました。取り上げないでいる間に工事は進み、1か月ほど前・9月下旬時点では、
勝平側
新しい橋がもうできている!
川尻側
この時点では路面の舗装は途中。高欄(欄干)、照明など設置済み。秋田の海沿いの橋定番の、冬の強風を防ぐ板もある。橋名板はまだないかな。
下流側・勝平新橋から
新しい新川橋は、トラスなどない、ただの桁橋。現在の技術をもってすれば、秋田大橋だって桁橋にできたのだから。
桁は水色(秋田大橋に似ているが、あちらは緑が強く、こちらは水色に近い)。橋脚は等間隔に2本。
工事看板
この時点での工事看板は、今年11月までに終わるものだが、既存の道路とつなぐ工事は手つかずだから、供用はまだ先だろう。と言っている間に、また進んでしまいそうだけど。
今の新川橋を通行できるのも、長くはないだろうし、この橋がなくなれば、秋田市内からトラス橋がまたなくなることになる。運河下流秋田臨海鉄道の橋も、鉄道自体が廃止されようとしているし。残るトラス橋は、勝平新橋やJR羽越本線雄物川橋梁、雄物川上流寄りの雄和地区にちらほら程度。

これまでの工事の状況など、後日