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蓬莱泰三 小山田満月

今年接した訃報からお二方。
いずれも、昭和末~平成にかけて、NHK教育テレビ(現・Eテレ)の番組を作っていた放送作家・脚本家。以下、一部敬称略。
以下、内容は訃報にかこつけた、自己満足でどうでもいい学校放送番組の記録です。ほとんど役に立たないと思うので、ご了解の上、物好きな方だけお読みください。

●蓬莱泰三(ほうらい たいぞう。1929年生まれ)
新聞の死亡記事では、放送作家として「できるかな」「中学生日記」、作詞家として「合唱組曲「チコタン」」辺りが代表作とされていた。

僕は小学生の頃から、読めなかったけど、文字の形として存じ上げていた。
幼児向け造形番組「できるかな」のオープニングでは、主演であるノッポさんより先に、画面右下に「作 蓬莱泰三」とおそらく毎回表示されていた。番組初期は別の人も作っていたようだ。
秋田市営バス添川線の行き先表示「添川・蓬田」の「蓬」と同じ文字で、全体に横棒が多い名前だと思いつつ、どう読めばいいのか分からなくて、印象に残っていた。
(再掲)秋田市営バス添川線 下り蓬田上丁行き
その後、中学校の国語で「竹取物語」に「蓬莱の玉の枝」が出てきて、やっと「ほうらい」だと分かった。「たいぞう」か「やすぞう」かは、亡くなるまで分からなかった。

NHK総合テレビ・名古屋放送局制作のドラマ「中学生日記」でも、複数いる脚本家の1人であることを知ったのも、その頃か。なお、2001年までの番組テーマ曲を作っていた熊谷賢一氏は2017年に亡くなっている
※今年話題のTBS「中学聖日記」ではありません。


「チコタン」の作詞者でもあることは、死亡記事で初めて知ったが、歌そのものは前から知っていた。
「チコタン」は関西弁(蓬莱氏は兵庫県出身)による長い合唱曲。男の子の視点で、チコタンへの恋心とその交通事故死を題材にしている。

1986年かと思うが、8月末(=秋田は既に夏休み明け)に東京の西六郷少年少女合唱団(現存するが、いったん解散して再結成されている)が秋田に演奏旅行に訪れ、僕の小学校でも「移動音楽教室」が開催された。そのプログラムに含まれており、コミカルに始まった歌が、後半は「死」を扱った歌になるのに衝撃を受けた(実は僕はさらにそれ以前に歌の存在は知っていたのだが)。

ちなみにこの演奏旅行は、同合唱団の設立・指導者であった鎌田典三郎氏が秋田県男鹿市払戸出身である縁と、首都圏の学校に通っていてまだ夏休み中の団員を、学校が始まっている秋田へ連れてきて、秋田の児童に歌を聴かせようという趣向だったのだろう。
「西六郷」とは合唱団発祥地である東京都大田区の地名(小学校名)。秋田県の美郷町六郷とは関係ない。

20日追記】蓬莱というのは、筆名かと思ってしまえそうな珍しい姓だが、兵庫県ではそれなりに見られるようだ。大阪発のテレビ番組に出演している気象予報士蓬莱大介氏も兵庫県出身。



小山田満月(おやまだ まんげつ。1948年生まれ)
NHKラジオ「サンデージョッキー」や教育テレビ「ピコピコポン」、さらに吉本興業の養成所NSCの講師も務めた。

僕がお名前を知ったのは「ピコピコポン」。
ばくさん(熊倉一雄)とビーバー(という名前の着ぐるみのビーバー)が、数や形の仕組みを教える幼児向け番組「ばくさんのかばん」の後継番組が「ピコピコポン」。
連続するストーリーのある人形劇で、ばくさん~では扱わなかった「ゼロ」の概念を取り上げるなど画期的だったそうだ。「知らないものには『エックス』」というのもあった。
今まで知らなかったが、第1話は毎年度同じながら、以後のストーリー展開は毎年異なる、パラレルワールドで話が展開したそうだ。

1987年に始まったので、僕はとっくに視聴年齢は過ぎていたが、最初の数年は毎回ではないけれどおもしろくて見ていた。クラスメイトでも見ていた人はいて「宝探し友の会」を歌っていた。1991年の放送終了後もファンは多かったようで、2008年にはDVDも発売された。

そのオープニングでは、ドット数も色数も少ない黎明期のCGアニメを背景に、左側に実写の人形が1体ずつ順にクロマキー合成され、右側をキャスト・スタッフが縦スクロールされた。
その中に「作 小山田満月」があって、おもしろい名前だけど本名なんだろうかと不思議だったのが、最初。※ピコピコポンは別の脚本家もいた。
「満月」は筆名。ちなみに小山田姓は東北地方に多いそうで、秋田にもちらほらいる。満月氏福島市出身。

平成に入ると、幼児向け番組はジャンルを越えて共通化され「ともだちいっぱい」シリーズになって、その一環でピコピコポンも終了。
ともだちいっぱいでも、小山田氏が作った番組があったようだ。記憶では「おーい!はに丸」の後継「やっぱりヤンチャー」→「なかよくあそぼ」を担当していたような気がするが、わくわくさん&ゴロリの「つくってあそぼ」にも関わっていたようだ。


ネット上には明確な記載が見当たらないが、最近、小山田氏が別の学校放送番組も作っていたことを知った。個人的には、または同年代のそれなりの割合の人にとって、インパクトがある番組。
1986~1987年度の「ことばのくに」である。
と言っても、ピンとこないでしょう。
「ユー アンド アイ」といえば思い当たる方は多そう。

「ことばのくに」は小学校2年生国語科の番組。【20日補足】したがって、ここで述べるのは1978~1979年度生まれの人たち向けのバージョン。
Wikipediaによれば、1984~1989年度にわたって放送されたが、設定や出演者は2年ごとに大幅に違って3世代あった。(それぞれの2年目は、全部または一部が前年の再放送というか使い回しだった可能性もある。)

僕自身が2年生の時は初代を見ていたことになるが、ほぼ記憶がない。「王様」がいたらしい。
3代目は「らくらく仙人」がいたのを覚えている。僕が6年生当時のとある曜日は、10時45分:6年生理科→11時00分:ことばのくに→11時15分:6年生社会という番組順の放送。当時は学校でビデオ録画して自由に視聴できる環境ではなかったから、リアルタイム視聴。
理科と社会のテレビを両方とも見るとなると、間に「ことばのくに」で15分間のブランクが生じてしまう。
担任の先生としても、そこが中途半端だったのだろうか。我々児童が見たいとせがむと、「ことばのくに」を見せてくれたことが何度かあって覚えているのだ。
これら初代・3代目の作者は不明。

とてもインパクトがあったのが2代目。といっても全体の流れを記憶する人は少ないかも。
部屋の一角に空き缶や食器やおもちゃの打楽器が並べられており、その部屋の主の若い男が、突然チンチンカンカンとそれらを打ち鳴らしながら、「♪ユー アンド アイ」と歌い出すシーンのみを覚えている人が多そう。

若い男は「新作」という名前の作家という設定。
裕介と愛子という子どもが、「ことばのくに」を目指す旅の道中で、「へんしんタンマ」と闘い(?)ながら、国語を学んでいくというお話を執筆している。
そのお話部分は人形劇で展開される。新作が自室で説明をする部分と人形劇部分の導入部というか切り替え部分が「♪ユー アンド アイ」なのだった。
まんがはじめて物語」の実写とアニメの移行部分の「ナルナルタンタン へそのゴマ」のような位置づけ。

「ユー アンド アイ」のフレーズが何度か繰り返される歌で、途中で「勇気、愛情」「裕介、愛子、ハイ!」と合いの手も入る。冒頭は新作が歌い、最後は裕介と愛子が歌う。チンチンカンカンとは別に、シンセサイザーらしき伴奏も流れるが、どこか中華風っぽい。
うるさくてしつこいと感じられたのだろうか。どうも番組後期では、繰り返しが短くなり、チンチンカンカンは廃止された(歌うだけ)ようだ。

で、その番組冒頭では「さく おやまだ まんげつ」と出ていたから、そういうことだ。
この番組ではオープニングアニメ(イラスト?)の中でスタッフや声の出演者が、手書き文字・仮名書きで表示されていた。手書き・仮名なのは当時の学校放送番組では珍しくなかった。
だけど、新作だけは、本人が登場する時にゴシック体のテロップで「新作 藤島 新」と、まるでニュースキャスターのように漢字表示されていた。
子ども心に、役名が「新作」で、演じる人が「新」なのが、どこか不思議だった。

藤島 新氏は、1947年生まれの歌手(スタジオミュージシャンとかそんな感じ?)。だからユー アンド アイもうまかったのか。
藤島氏は、槇みちるという人(「ひらけポンキッキ」の歌を歌っていた、ぶんけかな の母)と「みちるとピーカブー」というユニットを組んで、「できるかな」の最後のオープニング曲を歌っていたそうだ。【20日補足・できるかなの歌の収録は、ユーアンドアイと同時期もしくは少し後ではないだろうか。】小山田氏作のことばのくにの出演者=蓬莱氏作のできるかなの歌手という、若干のつながり。
※「できるかな」のオープニングは、曲自体は変わらないが、時期によってアレンジや歌手が違うバージョンが少なくとも3タイプ存在した。


以上、ごちゃごちゃとした記録。