今回は、2001年8月に秋田駅北の歩行者用跨線橋や手形陸橋の下(=奥羽本線300キロポスト付近)で撮影した写真から。
※当時のダイヤの記録は持ち合わせてないので、「Rail・Artブログ」等ネットの情報を参考に、簡単にまとめました【コメント欄も参照】。

いきなり話がそれますが、写真で線路向こう側の建物。
左奥から、秋田駅ビルアルス(ALS)、他の建物と架線柱に隠れてあまり見えないが、秋田フォーラス(現・秋田オーパ)の旧ロゴの屋上看板(2012年5月9日の記事など)。
車両の右に見えている辺りは、秋田駅西北(にしきた)地区土地区画整理事業が行われている一帯。緑のとんがり屋根は、結婚式場「秋田セントポール教会(アールベルアンジェ秋田)」。2010年に隣接地に建て替えられたので、現在とは別の建物(2011年4月21日の記事)。その右、「居酒屋フレンズ」などはなくなった。
夏の朝の日差しが強かったのを記憶している。気象データを見ると、撮影時は20℃程度、同日の最低気温19.3℃、最高気温28.4℃で、24年後の感覚では涼しい。

当時の鉄道を知る人なら見覚えがあり、列車名も覚えているかもしれないが、東北地方の一般人には、濃淡グレー塗装の車両の外観も、列車名もあまりなじみがないかも。
国鉄が、寝台・座席兼用の特急車両として製造した583系電車の、JR西日本所属編成。1991年頃薄い水色に塗り替えた後、1997~1998年にこの塗装になった。西日本では2015年までに廃車。
※国鉄時代の塗装のままだったJR東日本の583系電車については、2012年9月17日の記事、2015年5月4日の記事など。
大阪~新潟の定期急行「きたぐに」のほか、1990~2000年代前後は、このような臨時列車、修学旅行(集約臨時列車)や高校野球応援団輸送など団体列車に使われていて、秋田でも見る機会はそれなりにあった。
グリーン車(寝台にならない)1両、2段式A寝台(改造車)1両を含む10両編成。グリーン車の一部座席を撤去してサロンにした車両を組みこんだ編成を臨時や団体用の「シュプール編成」、そうでないものを「きたぐに編成」として分けていたが、実際の運用は、厳密に分かれてはいなかったとのこと。
余談。583系のB寝台は3段式だが、JR西日本の583系の中には、2段式としても使うことができる車両があり、それを使った、神戸~軽井沢の寝台急行「シャレー軽井沢」が運行されたことがあったのを、今回調べていて知った。
583系の寝台のギミックはとても複雑だそうだが、そこをいじって(上段を使わないとか?)2段にもできたということか(だとしたらA寝台との差が小さいのでは?)。どうしてシャレー軽井沢だけが2段仕様で運行されたのだろう。そして、583系が2段寝台で運行できたのなら、使い道の幅が広がっていそうにも思えるが、他に波及しなかったのは何か問題があったのか。
583系の下段には「きたぐに」で何度か乗ったが、窓を独占でき、寝台内の面積が広くて快適で、客車寝台より好きだった。一方、中段と上段は、1度は乗ってみたい気持ちもあったが、(寝台内の天地の)狭さと(床からの)高さにおじけづいて、その勇気がなかった。
撮影時は、先頭がクハネ581-24、最後尾がクハネ581-25の、シュプール編成「B1」編成。
クハネ581形は(前身の581系と)583系初期の先頭車。後継のクハネ583形との違いは、搭載する発電機(MG)の違いと、それに伴う定員(2ボックス分増)。

列車名は、寝台急行「東北夏祭り号」。もちろん夜行列車。
ずっと大阪~青森での運行だと思っていたが、変遷があった。
初運行の1989年は、下り・大阪発秋田行きだったという。上りは
1990年から1997年は、神戸~青森で上下とも運転。
1998年から2006年は、大阪発青森行きの下りのみ運転。2007年以降設定なし。
運転日は、1990年代以降は、大阪発8月2日~5日が基本だったようだ。初年については後述。
下りの大まかなダイヤは、
大阪を18時頃に発ち、0時頃まで北陸の主要駅に停車。翌朝5時・象潟から停車し、大館8時、弘前9時前、終点青森9時半頃着。【14日追記・秋田駅は2001年は3番線6時14分着/6時16分発。2002年は3番線6時12分着/6時16分発。】
寝台特急「日本海1号」の30分~1時間ほど後を続行する感じ。急行ながら停車駅はさほど多くなく、さらに583系の走行性能を考えると、日本海を追い抜かないよう、長時間停車や運転停車は多そう。
ところで、夏祭りが終わった直後・お盆の帰省シーズンには、大阪~青森で同じ583系による、急行「あおもり」が(運行日は異なるが上下とも)運行されていた。
元々は寝台特急「日本海」の臨時便で20系客車が使われていた。3段式寝台では特急料金を取りづらくなって、1990年から急行になったようだ。1994年から583系化。2000年以前は年末年始も運行され、2008年で運行終了。
なお、1970年代頃には、名古屋~青森(米原・北陸経由)の急行「あおもり」が存在した。
20系時代は絵入りテールマーク(トレインマーク)があったが、583系では、東北夏祭り号と違って赤文字の「急行」。
あおもりの下りは、大阪20時半発、福井を過ぎて日付が変わり、庄内地方にも停車、秋田9時過ぎ、青森12時過ぎ。こちらは「日本海3号」の続行。
上りは青森17時、秋田21時前、大阪10時前。東北夏祭り号の上りも、これと同時刻だったようだ。
羽越本線~奥羽本線内のダイヤは上下とも、(JR東日本の)583系による東京ディズニーリゾート行き団体列車「わくわくドリーム号」と、ほぼ同一か。

撮影時の写真を見ると、ところどころ、窓のカーテンが開いている。
早く目が覚めた下段の乗客が、朝の奥羽本線の車窓を眺めておられたのだろうが、青森まで先は長い。
583系では、運行途中で寝台/座席を切り替えることはないと思っていた。だが、ネットの乗車記を拝見すると、2005年下り「あおもり」では、朝に寝台を解体して座席にしていたという。羽後本荘から東能代まで作業員が乗車。乗客が希望し、かつ構造上、隣接する区画の乗客にいったんよけてもらって、座席にしていたそうだ。青森着が昼過ぎと時間が長いための配慮だろう。2006年の下りでは解体なしとの情報もある。
また、あおもりも、東北夏祭り号も、グリーン車は座席として発売せず、全乗客が利用できるフリースペースだった。狭い寝台内では飲食もしづらいための配慮だろう。
そもそもの話だが、「東北夏祭り号」は、関西・北陸の人たちに東北の夏祭りを見に行ってもらうための列車のはず。
この列車を降りた駅(街)で、大きな夏祭りを見られるのは、秋田、弘前、青森。小規模なものや、乗り換えれば、他にもあるけれど。
トレインマークの絵柄や、特に関西での知名度からすれば、青森ねぶたを念頭に置いていたのだろう。
だから、1989年の運行開始時のトレインマークは知らないが、秋田止まりだったとは驚いた。同年の運行日は、大阪発7月28日~8月8日(秋田着29日~9日)。
当時の竿燈まつり(当時は「竿灯」表記)は、8月4日~7日開催。ちなみに、1987年までは8月5日~7日の3日間、2001年から8月3日~6日。
つまり、秋田以外の祭りを見る人たちには、秋田から乗り換えてもらわないといけないし、秋田で祭りをやっていない日にも、秋田行きで運行されていたとは、なんだか不親切。
それどころか、青森ねぶた祭は7日まで、仙台七夕は8日までのはずなので(当時は違ったのか?)、最終運行日はどの祭りを見せるために運行していたのだろう。
青森まで行くようになってからも、どこかちぐはぐだったと思う。
いずれも夜のお祭りなのに、到着時刻が早すぎる。秋田で6時に降ろされても、時間を持て余す。弘前、青森だってそうだろう。
北陸各地を含めた、JR西日本沿線各地から乗車しやすい時間帯に設定した可能性はあるが、それだったら深夜にどこかで長時間停車してでも、「あおもり」のダイヤに乗せたらどうだっただろう。
青森17時、秋田21時の上りが運転されていた頃は、その時間も悪い。青森や弘前は祭りが始まる頃の出発、秋田は祭りが終わる前に会場を離れれば、かろうじて間に合う時間。
これでは、祭りを見終わってすぐ帰路に就くのは難しく、現地で1泊が必要になる。宿泊が要らないのが夜行寝台列車のメリットなのに、本末転倒。だから上りが先になくなったのかもしれないが、帰りは各自でご自由にというのも、不親切。
下りだけになっても10年近く運行されたのは、一定の利用(祭りだけでなく、北海道方面や早めの帰省なども含めて)はあったのだろう。複数社をまたぐ長距離臨時列車のダイヤは、制約が多いものだが、工夫の余地はあったかもしれない。
長くなって恐縮ですが、2001年8月には、まだほかにも583系の夏祭り臨時列車があった。続く。